見出し画像

しれとこ100平方メートル運動10周年記念シンポジウム ⑬第三部 パネル討論その4 日本自然保護協会

1988年に開催されたしれとこ100平方メートル運動10周年記念シンポジウムの内容を連載形式で掲載いたします。
当時のナショナルトラスト運動や環境問題への認識を共有できればという意図です。

なお、編集は当時の斜里町役場の部署「斜里町役場自治振興課」です。

内容は以下のとおりです。

---------------------------

あいさつ 斜里町長 午来昌
祝辞
環境庁自然保護局長 山内豊德(報告書には全文掲載なし)
北海道知事 横路孝弘(報告書には全文掲載なし)
ナショナル・トラストを進める全国の会会長 藤谷豊

第一部経過報告と課題提起
千葉大学教授 木原啓吉
100平方メートル運動推進本部会長 午来昌
100平方メートル運動推進関東支部長 大塚豊
 100平方メートル運動推進関西支部世話人代表 笠岡英次

報告者による討論
天神崎の自然を大切にする会理事 後藤伸
ナショナルトラストをめぐる全国的な動き
会場からの質問応答

第二部基調講演
「国立公園に何が求められているか-保護と利用のあり方を考える-」
日本自然保護協会会長 沼田眞

第三部パネル討論
「国立公園の新たな保全と利用に向けて」
NHK解説委員 伊藤和明
自然トピアしれとこ管理財団事務局長 大瀬昇
中部山岳国立公園管理事務所保護課長 渡辺浩
野生動物情報センター代表 小川巌
日本自然保護協会参事 木内正敏
北海道「味と旅」編集長 山本陽子
会場からの質疑応答・総括討議

閉会にあたって 100平方メートル運動推進本部副会長 炭野信雄

-----------------------------




第三部 パネル討論
「国立公園の新たな保全と利用に向けて」

木内正敏(日本自然保護協会参事)
東京教育大学卒業後、日本自然保護協会の研究員となる。昭和58年、斜里町が策定した「知床国立公園幌別地区基本構想」にも関与されるなど、知床との関りは深い。

国立公園の知床で、今いろいろ自然教育•環境教育を進めようという話が話題になっているわけですけれども、なぜ国立公園でそういう環境教育•自然教育が必要なんだろうかということです。

私ども自然保護協会にいまして、高度成長の時、国立公園に対する期待は非常に強いものがありました。ただ、御存じのように、日本の国立公園制度というのはアメリカと違いまして、人の土地に国立公園を線引きします。

ですから所管している環境庁の土地ではないところに国立公園なり国定公園を指定しますから、地権者の人たちと、規制なり利用ということでの意見が一致しないことがままあるわけです。
したがって、公園計画そのものが、当初考えていた自然環境なり本来的な利用のあり方と必ずしも一致しない形で自然公園が指定されてきている。この知床も同じ宿命を持っています。
ただここの場合は、割合国有林が多うございますので、まだいいというと語弊がありますが、管理的にはいい方ではないか。しかしもっと民間の人たちがいっぱい土地を持っている中に指定されている国立公園は、「ここが国立公園ですか」と外国人に言われてしまうような状況になっているところもあるわけです。

昭和40年代に開発が進んでくる時に、やはり我々としては国立公園というのはこうあるべきだ、こんなふうに残してほしいという期待を持っていたわけですが、いろいろと開発が押し寄せて、その中ですばらしい自然がどんどん失われてきてしまった。
そういう中でいろいろと反対運動をしてみたり、いろいろな住民の方々と議論してきたことがあるわけですけれども、今この時点に立ってきますと、反対運動というだけではなくて、自然公園のあり方を見直しつつ、どういうふうに保護を図っていかなきゃいけないんだろうか、あるいは利用を図っていかなきゃいけないんだろうか。

その辺、先ほど沼田先生からもお話がありましたけれども、やはり自然公園としてのありようをきちんと整理をし、目的を設定しておかなきゃいけないんではないかと私は思っています。

というのは、国立公園だったら守られるんだと思っている方々が、今回の伐採問題みたいに、制度そのものをよく知らないこともありますけれども、裏切られてしまった。国立公園て何なんだという気持ちを率直に持たれることが、一般の方としては多いと思うわけです。

ですから、今の制度の中で単純に保護の強化を図ろうと考えても、現実的には、例えば3種の地域を1種に格上げして強化を図ろうということになりましても、地権者の人と一致しなければそれが現実にならないということで、単純に保護の強化を図るという声を出すだけではなかなか現実的ではないということになります。

この知床の場合、たまたまそこで100平米運動が進んでいました。そういうことで前回は林野庁も一時あきらめた経過があります。そして再度この伐採問題が持ち上がり、一部の木が切られたわけです。このことを考えますと、100平米運動がなければこの伐採問題はこれだけではとても収まらなかった。

私はたまたまアメリカの国立公園設立100周年のお祭りに行ったことがあるんですが、国立公園が全部国のものとして指定されているわけですけれども、非常に立ち入りを禁止しているところの近くに、ネーチャートレイルみたいな観察路があります。

立入禁止にするようなところにどうして道をつくるんだと聞いたら、保護ということの重要性をわかってもらうためには、保護していることをわかってもらわなきゃいかん。何で保護しているかわからないと、立入禁止の意味が一般の人たちに伝わらない。だからこれはこういう目的で保護しているんだということを逆に伝えるやり方をしないと、保護を進めようというところで問題が起こるんだというお話を聞いたことがあります。

国立公園にいろいろなものがあるわけですけれども、それぞれの地域に、この地域はどうするんだという保護に対する目的性、あるいは利用に対する方向性をだんだん明確にしていかないと、ただ全体的に、国立公園だから保護して残してくれという言い方には、現段階でも説得力がないと思います。特に国立公園の周辺地域は規制がありませんから、だんだん日本の自然を見ていきますと、規制が弱いといえども国立公園にしか自然が残ってこないという状況も生まれてきています。だからこそ国立公園のあり様がさらに問われてくるんではないだろうか。

そこで、一番最初に申し上げた、なぜ国立公園で自然教育とか環境教育をやるんだろうかということなんですが、私、先ほど紹介があったように高尾山という山で自然解説の仕事をしています。

高尾山はこの知床国立公園の約倍の260万人というお客さんが毎年いらっしゃいます。恐らく面積は何十分の一にもならないくらい、非常な過密利用がされています。先ほど伊藤さんから1升ビンの話が出ましたけれども、私は5、6年前にビジターセンターができる時からかかわっているんですけれども、その5、6年前からごみの持ち帰り運動をやりだしていまして、今はほとんどごみは山頂から高尾山一帯には見られなくなりました。たまに、何年かぶりで来た人が、「すごくきれいになりましたね」というお話をされていくことが多くなりました。

それから環境庁の渡辺さんからもお話があったように、いろいろ規制をしたら訪れる人の種類が変わってきたという話がありましたけれども、高尾山の方も、今までは我々のような解説をする人がいなかったんですけれども、自然保護協会として東京都の方から解説業務の委託を受けまして、私どもほか2人が勤務していますけれども、訪れる人にいろいろと野外での自然観察の指導をしたり、スライドを見せて、今見られる花は何だとか、この道はこういう特徴があるとか、いろんな解説をしているわけですけれども、だんだんやはり訪れてくる人の中身が変わってきました。1升ビンを持って上がってくるような人も多かったわけですけれども、今ほとんどそういう方はいらっしゃいません。

ちょっと忙しくて事務的な仕事などを山頂でしていますと、受付で「きょうは野外解説をしないんですか」というようなことを聞く人がいて、日帰りでしょっちゅう都心から来られる場所なものですから、だんだん常連のような方も増えてきた。そういうことで、随分ああいう場所でも変化してきたなと感じています。

ちょっと話を戻しますけれども、我々みたいに都会に住んでいますと、いろいろな情報がいっぱいあって、だんだんフラストレーションをためてきて、必要な情報がわからなくなってくる。ある意味では、人間が人間として生きていくのに必要な情報が混乱しているのが今のように思うんです。

そういう反動として、無農薬野菜を一生懸命探してみたり、反原発の運動をやってみたりとか、いろんな動きがあります。ただその中でも特に自然志向といいますか、自然回帰型の動きが都会の中には非常に強くあるように私たちは日常的に感じるわけです。そういうものをどういうふうに受け止めていくかというのは非常に重要なテーマだと思うんですね。

アメリカに国立公園の百年祭で行った時に、国立公園はどうあるべきなんだという議論がありました。私なんかは、アメリカは自分で土地を持って自分で管理しているんですからそんなに問題はないだろうと思ったんですけれども、同じような都市化の問題、ただ自然を訪れてくる人にサービスをするんじゃなくて、もう少し環境問題を含めたものを、国立公園としても受け止めるべきではないかという議論がされており、私、本当にびっくりしました。

そういう環境問題を受け止めるのには、自然のゆったりした動きとか自然の生態系、自然に触れながら人間生活を見つめ直すという面においては国立公園がもってこいで、環境教育の場として機能しなきやならないんじゃないかという議論でした。

そういう意味で、国立公園のあり方というのは、制度としてもありますけれども、フィロソフィーとして国立公園がどうあるべきかというのは、いろんな問題があることと同時に、自然公園行政みたいなものが、今の時代を先取りをしながら変えていかなきゃいけないものを持っているんじゃないかと思います。

特に環境教育とかということだけじゃなくて、一般に訪れてくれる人たちに対する自然の話ということからスタートしながら、訪れてくれる人たちが何となく持っている今の時代への不安感にも少しずつこたえていけるような、そういう利用に対する対応が求められているような気がします。

私、59年からこのホロベツ計画にも少し町に御協力しながら、公園のあり様を、町の方々とも議論してきました。
大事なことは、都会の人たちのいっぱいたまっているフラストレーションとか人間不信みたいなものを取り戻していく。
要するに環境破壊とか自然破壊というのは、人間と人間のコミュニケーションが全然成り立っていないという中から生まれてきているわけですので、そういう不信感を少しずつ取り戻さなければならないわけです。

それはやはり、自然が間に立って、人と人がいろんな意味でのコミュニケーションが成り立つような場をつくっていくことが基本的に重要じゃないかと思うんです。コミュニケーションがないから、隣の人が何を考えているのかわからないということを含めて、いろんな人がいろんな勝手な動きの中で、何となく世の中が開発ということで動いてしまっているように思うんです。


自然保護協会も、ここ10年ぐらい前から、自然の教育ということだけじゃなくて、自然と人間とのコミュニケーションを図る、あるいは人間同士が自然のことをお互いに感じ合って、「自然ていいですね」と本当に率直になれるような会話が持たれるような関係をつくっていく、そういう状況が一番自然を大事にしていくというか、人間同士を大事にしていく場が生まれてくるだろうということで、自然観察指導員養成講習を始めていまして、全国で7,000人近い人たちがこれを受講しています。あるいは国立公園にサブレインジャーといいましてボランティアの人たちを派遣して、一般の方々と対話を楽しむということを続けています。

要するに自然のことを教えるというよりは、一緒に共感し合う、楽しむ、そういうことがすごく大事なんじゃないかと思うんです。


きのうの立松和平さんの話じゃないですけれども、「自分が感じた自然のおもしろさとか楽しさみたいなものを誰かと何かちょっと話してみる、そうすると本物になっていく」と言うんですが、ただ1人でニヤニヤいいなと暗く自然を感じるんじゃなくて、共感し合うというところが、まずそういう意味での自然教育の基本的なものじゃないだろうかと思うんです。

このシレトピアでもボランティアの人たちの養成計画もありますけれども、やはり人と人が触れ合って自然を楽しむ場として、ここがどんどん育っていくと、知床国立公園の特徴みたいなものがそういう中から生まれてくる。

そうすると、短絡的かもしれませんけれども、あそこはこういう国立公園なんだというイメージができてくる。
そういう中にいろんな開発問題が絡んできても、それを何とか、保護区がどうだとかそこが3種だとかいう形じゃない形でそれを抑えていくことができるんじゃないか。またそういう動きが高まれば高まるほど、その地域の計画を少し見直したらどうかという意見が逆に通っていきやすくなっていくと思います。                                     (拍手)


伊藤
どうもありがとうございました。最後にお話しになった、自然を仲立ちにして人と人との触れ合いを図る、これは僕は大変大切なことじゃないかと思います。

最後に山本さんにお願いしたいのですが、山本さんは北海道観光出版というところで北海道「味と旅」という雑誌の編集長をしておられます。どういう雑誌か皆さんあるいは購読なさっている方がいるかもしれませんが、ちょっとお借りしてごらんに入れます。55,000部出しているそうでございます。きょうはNHKの報道がないので、宣伝してもいいだろうと思うんですけれども…。

そういうことで、多分北海道内旅歩きか、あるいは食べ歩きかもしれませんけれども、食べ歩きのわりにはスマートでいらっしゃいます。ひとつ利用者の側から、楽しむ側から提言をしていただければと思います。

前へ 第三部 野生生物情報センターからの提起

次へ