しれとこ100平方メートル運動10周年記念シンポジウム ⑥第一部 天神崎を大切にする会報告
1988年に開催されたしれとこ100平方メートル運動10周年記念シンポジウムの内容を連載形式で掲載いたします。
当時のナショナルトラスト運動や環境問題への認識を共有できればという意図です。
なお、編集は当時の斜里町役場の部署「斜里町役場自治振興課」です。
内容は以下のとおりです。
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①あいさつ 斜里町長 午来昌
祝辞
環境庁自然保護局長 山内豊德(報告書には全文掲載なし)
北海道知事 横路孝弘(報告書には全文掲載なし)
②ナショナル・トラストを進める全国の会会長 藤谷豊
第一部経過報告と課題提起
千葉大学教授 木原啓吉
③100平方メートル運動推進本部会長 午来昌
④100平方メートル運動推進関東支部長 大塚豊
100平方メートル運動推進関西支部世話人代表 笠岡英次
⑤報告者による討論
⑥天神崎の自然を大切にする会理事 後藤伸
⑦ナショナルトラストをめぐる全国的な動き
⑧会場からの質問応答
第二部基調講演
⑨「国立公園に何が求められているか-保護と利用のあり方を考える-」
日本自然保護協会会長 沼田眞
第三部パネル討論
「国立公園の新たな保全と利用に向けて」
NHK解説委員 伊藤和明
自然トピアしれとこ管理財団事務局長 大瀬昇
中部山岳国立公園管理事務所保護課長 渡辺浩
野生動物情報センター代表 小川巌
日本自然保護協会参事 木内正敏
北海道「味と旅」編集長 山本陽子
会場からの質疑応答・総括討議
閉会にあたって 100平方メートル運動推進本部副会長 炭野信雄
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第一部 経過報告と課題提起 天神崎を大切にする会 報告
木原
天神崎の問題は、6年前にここの会場でやった時に、やはり高校の先生で玉井先生という方がお見えになりまして報告されました。当時玉井先生は、ここに来て初めて自分たちがやっている運動と同じような運動が知床や隣の小清水町、あるいは入浜権の運動とか、いろいろな運動が展開されていることを知られた。そして力づけられて帰られた。それがきっかけになって、全国の進める会ができて、第1回の大会を天神崎で開いたりしたのです。
後藤先生は、高校の生物の先生をずっと最近までやっていらっしゃって、私どもが現地に行きますと、全国から天神崎を見に来る人たちを案内してくださって、天神崎の自然についていろいろ詳しい説明をしていただいております。地道な活動を支えてこられた方であります。ぜひ後藤さんに、天神崎の最近の動きをお話ししていただきたいと思います。
本州の南の端の天神崎の自然を大切にする会の仕事を少しやっている後藤です。
先ほどから教育の話が出ましたけれども、実は天神崎の会の教育を担当している者です。ですが、現職の教師をしている間に何となしに、だんだん年もいくし、時間がもったいなくなりまして、早めにやめて、自然観察なんかを中心にもう少し野外教育のことを勉強したり、自分が好きでやっているのは小さい昆虫のカメムシとかセミみたいなものを子供の時からいらっていますので、そういう虫の代弁者になって、少し今の自然破壊を虫の立場から訴えたいと思っているわけです。
先ほどからの話を伺っていますと、6年前に同僚の玉井済夫がお世話になっていろいろ教えてもらったわけです。
思い出しますと、6年ぐらい前までは天神崎の買取り運動というのはどん底だったわけです。一生懸命募金を集める運動をいろいろ手を変え品を変えやっていたわけですが、ちっとも集まらんわけです。何しろ2億の金を集めなければらちがあかない。ところが4分の1にも満たない額でのたうち回っている状態だったわけです。
それでこちらに玉井が参加しましていろいろ教えていただき、ここでたくさんの人と知り合いになりまして、特に知床の運動のやり方が非常に参考になるという話がありまして、マスコミのいろいろな応援もそれ以来飛躍的に増えまして、2年前についに目標の2億円の募金が終わりました。募金のことについては、皆さんの手元のプリントで見ていただけばわかると思います。
今考えてみますと、天神崎の財団法人を設立し、62年春にはナショナルトラスト法人第1号の認定を受けました。みんな皆さん方のおかげと深く感謝しております。
ただいま天神崎ではどんな仕事をしているかといいますと、体制作りもかなり整いましたので、二つの大きな仕事をやっています。もちろん毎日、たくさんの人が視察や自然観察に来られますので、それの案内に大変ですけれども、それは昔からやっていることです。
1つは、資料の提供を考えているわけです。どういうことかといいますと、今、全国各地で非常にたくさんのナショナルトラスト運動が起こっているわけです。そういうところから時々お電話いただいて、参考になる資料がないかと言ってくれます。恐らくここもそうだと思います。
早めにそういうことに対して的確な資料が提供できるように、すぐに整理して、たくさん用意して要請に応じられるように頑張っていきたいと思っています。これが1つ。
もう1つは、自然保護センターの建設がございます。これもかなり前からの懸案でございますが、日本自然保護協会の方でうんと力を入れてくれておりますので、これは近く実現すると思います。このセンターを建設する土地の買収はもう済みました。あわせて、後ろに少し自然の岩山がありますので、それも買取りできています。センターでは簡易的な宿泊もできるようになると思います。そうなりますと、今、隣におられる笠岡さんのように、大阪近辺に住んでおられる方も、ここに気軽に泊まっていただけるし、そこの子供さんたちも、合宿しながら自然の中で勉強することができるんじゃないかと思うんです。
実は天神崎というのはこの知床と違って非常にちっぽけな自然なんです。ですから私たちが天神崎にいろいろ募金をしていただいたのは、何も天神崎のあの狭い場所だけの保全を考えてのものじゃないと思っているわけです。もっと南紀州の非常に広い範囲の自然を保全し、その中で勉強しようというものであると考え、一応天神崎を核にしてこれからうんと幅の広い活動を行いたいと思うわけです。
自然保護協会の方では、このセンターで若手の自然保護指導員を養成するようです。私たちもそういうことには全面的に協力してやりたいと、準備を進めているわけです。
当面やっている新しい仕事はこの2つです。天神崎の運動は12年前からやっているわけですけれども、知床と非常に大きく違うところは、運動の始まった当初から、行政の協力は全く得られていないわけです。何しろ、天神崎の隣に小さい芳養湾という湾があるわけですが、そこの話だけでもこの運動の12年間の間に芳養湾整備計画が出ました。ここにたくさんの工場を誘致するために埋め立てしよう、大型船舶が接岸できるように何とかしようという計画で、これもすぐ着工するような運びまであったのですが、これは一応潰れました。
終わったとたんに、次は南紀白浜空港が狭いものですから、海を埋め立ててそこに飛行場を作ろうという話がまた芳養湾に出ました。これも大騒ぎしてやめさせたわけです。
ところがその後、火力発電所をここへ作ろうという話が出まして、後から後からこういう話が出てくるわけです。
田辺市の南に、白浜温泉を中心に観光開発はものすごい規模で行われているわけです。そういうわけですので、こういう動きがあるたびに、天神崎の運動は今にも潰れそうな状態が何回かあったわけです。というのは、天神崎の運動の中で、資金面の応援をしてくれている人の中に、この開発運動に協力する人がたくさん出るわけです。だから非常にその辺難しい問題が起こってきます。その都度、全国にも訴えるし、マスコミからもいろいろ支援がありました。おかげで一応今まで切り抜けてきたわけです。
ところが、どう切り抜けていったらいいか収拾のつかないような話が新たに持ち上がってきました。
私たちみんなで頭を痛めているわけですが、その1つは田辺湾の海水汚染の問題です。ここのように海を抱いているわけですが、田辺湾というのは紀伊半島の南では割合風の少ない深い大きい湾なんです。
ここで養殖漁業が行われています。しかもその養殖漁業というのは、日本でも非常に早い時期から始まったわけです。その養殖漁業が、非常に初めはうまくいったものですから、マスコミなんかは「これからの漁業は採る漁業よりも作る漁業だ」と、いかにもこれがすばらしいことであるかのように報道しましたし、行政の方からもどんどん援助が出るわけです。
もちろん全国からも見に来ます。これがだんだん大きくなります。そして初めは天神崎と反対側の湾の一番南でやっていた養殖漁業が、その場所が汚染するとだんだん前へ出てくるわけです。
ついに田辺湾の南半分を全部汚染しまして北の方へ出てきまして、今、天神崎の目の前に養殖の場所が浮かんでいます。そのために、年々赤潮の発生が広がりまして、去年、一昨年の2年間は収拾がつかない状態です。どんなかといいますと、赤潮でただ魚が死ぬという程度ではなくて、海の中に住んでいる魚貝が陸上へ逃げてくる。去年なんか、磯に上がってきたイセエビを漁師の人が出てつかみながら、私が見たのでは小さいオート三輪に3杯も積んでいました。みんな手づかみです。水の中では生きていけない状態なんです。そういうことが夏はあるわけです。冬はある程度汚れはきれいになるんですが、そういう現状になりました。
今、天神崎の動物を調べてみますと、海の生物はたくさん死んでうんと種類が減りました。さらに汚染に強い帰化動物が増えてきまして、日本本来の動物と入れかわりつつあります。これは非常に厄介な問題ですので、これをどうするか。
もう一つはリゾート開発の問題です。2年前から日本列島全域がリゾートで沸いているわけですけれども、天神崎の場合は、それに半島振興法というもう1つのものが重なっているわけです。したがってここを開発するのは極めて補助金を取りやすい状態になっているようです。
それで、この8月に、全国紙にも載ったと思うのですが、有力な企業が田辺湾に進出して、65年には着工するというようなことを発表しています。しかも大規模企業が二つ入っています。こういう話が起こりますと、和歌山県も田辺市ももろ手をあげて賛成なんです。
市の職員なんか、土地買収の予約を全部取って回ったという話も聞いています。和歌山県というのはかなり後進性の強い県ですので、開発にあこがれている空気があるのですが、それでも最近は、原子力発電所とか大規模な化学工場が来ることに対しては非常に神経をとがらすようになりました。ところがリゾート開発についてはかなり甘いんです。今のきれいな海がそのまま残って、来てくれた人がどっさりお金を落としてくれるというようなことを考えているところがあるようです。
私たちが心配するのは、天神崎のような小さい自然は、それをそのまま保全しただけでは今の大規模なリゾート開発の中の1つの商品みたいな形にはめ込まれてしまうんじゃないか。恐らくこれは天神崎だけの問題ではなく、日本全国で非常に多くある問題ではないかと思ってこういうお話をしたわけです。この会で、お知恵を拝借できたらと思うわけです。
木原
どうもありがとうございました。
天神崎の運動が非常に急速に発展しまして、大体目的を達した。
今、自然保護教室を作ることに取り組んでおられるわけですが、一方で、大きなリゾート開発の波がある。これに対してどういうふうに対応しなければならないかが今問題である。これは天神崎だけではなくて、知床でも当然めぐりあう問題だと思っております。
私ども「自然環境保全審議会」でも、特に今、国立公園、国定公園がリゾート開発の舞台にあげられているわけです。それに対してどう対応すればいいのかということで研究会を作って検討を続けているところでございます。
天神崎については、私が日ごろ思っているのは、後藤先生もそうですし、玉井先生も、中心になってこられた外山先生も高等学校の先生なんです。そういう方たちが中心になって、広く多くの市民の方がそれをバックアップしながらやってきた。
しかも外山先生の考えが、自然を守る、自然保護を訴える以上は、自然を保護する側だけではなくて、それによって権利を制限されたりする人、例えば天神崎を既に買取ってこれから開発をしようという時に待ったをかけられたわけですから、開発業者も困ってしまう。
そういう開発業者も何とか救ってあげなければならない。そのためにはみんなが痛みを分け合わなければならない。天神崎の運動の根底には、そういう精神的なキリスト教的な考えがあるわけです。思想性がある。これが1つ、全国各地の多くの人々の共感を得たのではないかと思うわけです。
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