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しれとこ100平方メートル運動10周年記念シンポジウム ⑪第三部 パネル討論その2 中部山岳国立公園管理事務所 上高地のマイカー規制について

1988年に開催されたしれとこ100平方メートル運動10周年記念シンポジウムの内容を連載形式で掲載いたします。
当時のナショナルトラスト運動や環境問題への認識を共有できればという意図です。

なお、編集は当時の斜里町役場の部署「斜里町役場自治振興課」です。

内容は以下のとおりです。

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あいさつ 斜里町長 午来昌
祝辞
環境庁自然保護局長 山内豊德(報告書には全文掲載なし)
北海道知事 横路孝弘(報告書には全文掲載なし)
ナショナル・トラストを進める全国の会会長 藤谷豊

第一部経過報告と課題提起
千葉大学教授 木原啓吉
100平方メートル運動推進本部会長 午来昌
100平方メートル運動推進関東支部長 大塚豊
 100平方メートル運動推進関西支部世話人代表 笠岡英次

報告者による討論
天神崎の自然を大切にする会理事 後藤伸
ナショナルトラストをめぐる全国的な動き
会場からの質問応答

第二部基調講演
「国立公園に何が求められているか-保護と利用のあり方を考える-」
日本自然保護協会会長 沼田眞

第三部パネル討論
「国立公園の新たな保全と利用に向けて」
NHK解説委員 伊藤和明
自然トピアしれとこ管理財団事務局長 大瀬昇
中部山岳国立公園管理事務所保護課長 渡辺浩
野生動物情報センター代表 小川巌
日本自然保護協会参事 木内正敏
北海道「味と旅」編集長 山本陽子
会場からの質疑応答・総括討議

閉会にあたって 100平方メートル運動推進本部副会長 炭野信雄

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第三部 パネル討論
「国立公園の新たな保全と利用に向けて」

渡辺浩(環境庁中部山岳国立公園管理事務所保護科長)
昭和44年厚生省国立公園部に入省。以後吉野熊野国立公園をはじめ、5つの国立公園に勤務され、自然公園行政に携わる。
昭和61年より現職に就任された。

中部山岳国立公園管理事務所の渡辺です。
上高地で行われておりますマイカー規制の歴史と、現在どういう状況にあるかをお話ししたいと思います。

もう皆さん御承知かと思いますけれども、中部山岳国立公園の上高地というところは、梓川の清流と3,000メートルを超える山に囲まれております。標高は大体1,500メートル、面積は80ヘクタールほどしかない非常に狭い平坦な場所でございますけれども、景勝の地であり、登山基地として非常に有名なところでございます。

昭和30年代に大衆登山ブームが起こりまして、入山者がかなり増加してきましたけれども、40年代に入りまして、高度成長、マイカーブームの波が上高地にも押し寄せてまいりました。特に昭和44年に、梓川の下流にあります東京電力の奈川渡ダムの建設に伴いまして、国道158号線がつけかえられ、これが供用開始になると途端に到達性が非常によくなり、入り込み者数は急増してまいりました。昭和40年の入り込みが41万人というデータが出ておりますが、昭和44年に53万人となっております。

上高地は、国道158号線、松本から高山へ行く道路なわけですけれども、この中ノ湯というところから分岐した6キロぐらいの上高地公園線という県道の行き止まりの端にあるわけです。
当時の夏の最盛期には人と車とで溢れまして、道路は渋滞する、駐車場は不足する、排気ガスはひどい、ごみはすごい、喧騒、道路から外にはみ出して駐車をする、利用者は渋滞の車の間を縫って排気ガスを浴びながら歩く、道路の脇の植生がタイヤによって踏みにじられる、こういった自然公園の本来の姿とかけ離れた状態が出てまいりました。余りひどい渋滞に耐えきれないで、途中から引き返すお客さんも多々おりました。

普通ですと松本•上高地は1時間半ぐらいで行ける場所なんですけれども、ひどい時には6時間、7時間かかる、あるいはたどり着けなかったという状態が出てまいりました。その当時も、時間を区切って交互通行をしたり、あるいは仮設臨時駐車場をつくったり交通整理等してまいりましたけれども、これは全く焼け石に水という状態でした。

当然地元からは、もっと道路を広げろ、新しくつくれ、駐車場を広げろ、つくれという極めて強い要望がなされましたけれども、上高地という貴重な自然環境の保全と景観を守るため、また公園の利用を考えた時に、施設をつくってそれを広げていくのは際限のない話だ、この考え方はどうしても歯止めをかける必要があるんじゃないだろうかと考えました。

自動車公害というような夏の上高地の状況の解決には、いずれ車を排除していくことしかないだろうということで、マイカー規制が提案されてきたわけなんですけれども、特に昭和44年に日本自然保護協会の方から、「上高地の利用規制に関する意見書」が提出されました。地元にも、上高地交通対策協議会が結成されまして、利用の規制が検討されてきましたけれども、なかなか地元での合意が得られませんでした。実際にマイカー規制が実施に動き出すには、昭和49年の「国立公園内における自動車利用適正化要綱」の制定まで待たなければならなかったわけです。

この「自動車利用適正化要綱」の中で、上高地はモデル地区として指定されました。上高地におきましては、当面の緊急措置として、県道上高地公園線を、日時を切ってマイカーの乗り入れを禁止する。あわせて夜間の通行を禁止する。上高地の駐車場から奥への車の乗り入れを禁止する。

こういった方向がこの要綱の中で示されました。新たに岐阜県との県境に近いところで、岐阜県からも車の流れがあるものですから、岐阜県側の関係者も加えまして、関係行政機関、関係諸団体をもちまして「上高地自動車利用適正化連絡協議会」という組織が結成されました。そして昭和50年の夏から、30日間のマイカー規制が実施されることになったわけです。


この50年度の30日間のマイカー規制は、先ほど言いました「自動車利用適正化連絡協議会」、今現在で35の関係機関、会議所が入っておりますが、ここでその年度の適正化方針を定めまして、これを受けまして長野県の公安委員会が道路交通法第4条に基づいて規制を実施することになっております。

規制の対象になる車両は、大型バス、11人乗り以上のマイクロバス、ハイヤー、タクシー、自転車、これ以外の車両を対象とする。夜間はすべての車両を通行止めにする、こういう内容で行いました。

このマイカー規制ですけれども、単に公安委員会の規制ですべて終わってしまうものではございませんで、この協議会の構成員でもあります長野県、長野県の警察本部、地元の豊科署、地元の安曇村、バス•タクシーの会社、地元の旅館、観光業者、山小屋、それに国立公園の管理事務所、こういったところがそれぞれリーフレットを作成したり配布したり、立看板をつくったり、横断幕をつくったりそれを設置したり、そのほかに交通情報を流したり、それを提供したり、また交通整理に人手を出す、予算をつけるというようなことで、皆さんの力でそれぞれ予算、人手を出していただきました。また協議会としても、中ノ湯のここから交通規制が始まりますよというゲートに整理員を配置いたしまして、ゲートの管理を行う。こういった各機関の協力によって、また利用者の理解も得て初めてマイカー規制が実施されたわけでございます。

昭和50年に夏の30日間の規制で始まりましたマイカー規制は、地元から根強い、利用者が減って収入が減るから反対であるという声を受けながら、少しずつでありますけれども、昭和52年からは秋も規制をしよう、また46日とちょっと増やしました。昭和54年には50日を超えるようになりました。昭和57年からは春のゴールデンウィークも加えようということで56日間、このように少しずつ日数を増加してまいりました。

これは利用者減になる、収入減になるという根強い地元からの反対もあったわけなんですけれども、実際に上高地に入っていただく利用者のアンケートを取りますと、9割方の方々がマイカー規制に賛意あるいは同意を示していただいているといったデータ等に力づけられながら実施してきたわけです。

少なくともマイカー規制の期間中は道路の渋滞も解消し、予約の宿泊者も食事のお客さんも予定どおりに行動ができるということで、非常に喜ばれるようになりました。当然入り込みの台数は激減しました。不法駐車は全くなくなりました。排気ガスも、ごみも、騒音も目に見えて減ってきました。

また夜間通行止めをすることによって静かな環境が守られるわけですけれども、当然夜行性の動物に対しても非常な効果があったんじゃないかと考えます。道路の植生は、タイヤや排気ガスから開放されて、動物、植物、何よりも公園の利用者である人間にとって望ましい環境になった、静かな環境が戻ってきたという状況になってまいりました。

もちろん規制から外れた期間中は、駐車場の空き待ちに2時間も並ぶという状態も出てまいりますが、少なくともマイカー規制をしている間はこのような結果が出ております。そしてマイカー規制は、今まで夏だけといっていいぐらい夏中心だった利用にも変化を生じてきました。それぞれ春のゴールデンウィーク、秋の紅葉という形でピークはあるわけですけれども、春から秋まで平均化した形で利用が出てきました。
それと、土曜•日曜しか混まないという状況であったものが、マイカー規制の効果といいますか、平日にもかなり利用者が増加してくるようになった。上高地等々に駐車場がそれぞれありますけれども、利用者のデータを取ってみましてもやはりそのような結果に出てきております。

それからマイカー規制は、訪れてくる利用者の質にかなりの変化を与えてまいりました。従前、車中心の若者でいっぱいだったのが、家族連れの姿が非常に多く見られるようになりました。
従前ですと、車からほとんど出ないで、せいぜい出ても15分とか、ひどい時には全く車から出ずに帰ってしまう、あるいは河童橋から穂高だけ見てすぐ帰るという人たちが非常に多かったのが、マイカー規制をするようになってから、大正池、あるいは明神池まで足をのばしていこう、ゆっくり歩いて景色を楽しんでいこう、自然に親しんでいこう、こういった自然公園の望ましい利用をする方々が大幅に増加してきました。これはデータとしましては、当然上高地のお客様の滞留時間が非常に長時間化しているといった数値からも出てまいりました。訪れるお客さんの質にかなりの変化が出てきている状況になっております。


今年で14年目になります上高地のマイカー規制ですけれども、昨年度は71日間行いました。本年63年度はこれを98日間と大幅に規制日を増加させました。これは、上高地は冬の間閉鎖されてしまう形になっており、4月27日から11月15日までが利用期間ですけれども、この半分の日数が規制日数という状況です。昭和50年に30日から出発したのですけれども、これから見ますと大きな増となっております。

マイカー規制14年目を迎えまして、上高地におきましてはすっかり定着してまいりました。これまで中ノ湯のゲートでは、再三、ドライバーとゲートの管理をしている方々とのトラブルがありました。

「入れろ、なぜ入れない」とか「ここまで来て下まで降りて車を止めろとはどういうことだ」とか、かなりトラブルがあったわけなんですけれども、これもすっかりなくなってまいりました。
沢渡に車を置きますと1回500円取られます。
そこから上高地までバスで往復しますと2,000円お金を取られますけれども、沢渡りに車を置いて、バス、タクシーによって利用者はスムーズに上高地へ運ばれてきております。マイカー規制開始前後に反対、反対と声高く叫びました地元の反対の声は、利用者が増えてきているという現実にほとんど消えてまいりました。

しかし14年目を迎えました上高地のマイカー規制ですけれども、ちょっと上高地自身に変化が生じてきております。

その原因は、利用者が非常に増加してきたという実情でございます。
マイカー規制の日数が増えれば増えるほど、それに対応するように利用者が増加してまいりました。昭和50年に開始当初60万人だった利用者数が、昭和62年度は88万人。
村の統計では100万人という統計も出ておりますが、大幅に増加してまいりました。
今年はこれをも上回る勢いで伸びております。「夏のマイカー規制期間中だけの入り込み者に限りましても、昭和51年のデータを100といたしますと昭和62年度は199と倍増している。
これは、従前、車でただただ上高地に来るだけのお客さんでしかなかったものが、ゆっくり自然が楽しめれば、多少の不便とかお金をかけてもいい。ゆっくり自然が楽しめれば上高地に行ってみたいというお客さんがたくさんいた結果ではないかと考えております。

またこれまでの規制反対という声に代わりまして、逆に一層規制を強化すべきだ、通年規制をしてしまおうという声も聞かれてまいりました。バス、タクシー、交通関係は規制強化賛成、あるいは沢渡の駐車場の方々ですとか、上高地に納品している業者の方も賛成という声が聞かれてまいりました。

しかし、マイカー規制期間中でありましても、沢渡の駐車場が上高地の入山者の車で溢れて、入りきれない状態も散見されるようになってまいりました。
あるいはマイカー規制をしておりましても、バスは規制の対象になっていないものですから、上高地の駐車場がバスでいっぱいになってしまうという状況も出てまいりました。上高地は車は少なくはなりましたけれども、相変わらず人で埋まっている状態にもなっております。

また上高地の宿泊収用力は、環境庁の方でも公園計画で3,500人という形で抑えておりますけれども、日帰りの増加が非常に多いということが一番大きな問題として出てまいります。

今度は人によって静穏な環境がなくなるんじゃないかという議論も出てまいりました。これ以上の利用者の増は抑えるべきじゃないかという議論も出てまいりました。

マイカー規制も利用環境の保全ということで、入山者数の規制という観点も強く打ち出してみたらどうかという議論も出てまいりました。

大型バスであってもマイクロバスであっても、自家用バスは締め出すべきじゃないかといった声も出てまいりました。昭和50年に始まりましたマイカー規制ですけれども、1つの転換期を迎えていることは確かだと思います。

これは、歩く利用、好ましい利用が非常に増えて、滞留時間も伸びてきた、排気ガスもごみも騒音も少なくなってきた。植生の破壊も停止してきたという大きな前進を見たわけですけれども、もう一度公園の利用のあり方、上高地の利用のあり方の原点に立って見直す時期に来ているのかもしれません。


先ほど適正な収用力という話も出ましたけれども、これを定める、これの理解を得ることは極めて困難なことじゃないかと思いますけれども、上高地を訪れるすべての人に上高地らしさを満喫してもらうためには、どこをどのように利用させたらいいのか、何を保護していったらいいのかといったことをもう一度見直す時期に来ているのかもしれません。

これは地元の関係者あるいは各行政機関ともども、また公園の利用者の理解と協力も得ながら、一歩ずつこういったものの検討を進めていかなければならないと思いますし、マイカー規制も、こういった検討の中で新たな役割を見つけていかなきやならないんじゃないかと考えております。

単に車の渋滞だけを解消して、大ぜいの人を目的地に次から次へと送り込むだけの手段であってはならないんじゃないかとも考えております。

マイカー規制のお話をしてきましたけれども、知床がいつまでも知床であるようにというお話もありました。100平方メートル運動、ホロベツプラン等、地元から数々の提案がなされ、それをまた新たに行動に移していっているこの斜里町について、大変評価させていただいておりますけれども、マイカー規制につきましても、ぜひ知床の自然公園の利用のあり方をしっかり踏まえまして、これを実現していく1つの方策であれば、きっと利用者からも理解が得られて、大ぜいの人が知床を訪れて知床らしさを満喫して帰っていただけるんじゃないだろうかと考えております。
(拍手)



伊藤
どうもありがとうございました。上高地のマイカー規制によりまして、さまざまな変化、影響も出てまいったというお話でございますし、例えば利用者の質が変化した、自然をゆっくりと楽しむ人が増えてきたなどというのは、こちらで取り上げようとしているマイカー規制にもある刺激になるかもしれないと考えます。

次に小川さんにお願いしたいのですが、小川さんからは野生生物情報センターというのはどういうところなのかを皆さんに1分ぐらい御紹介いただいて、それから小川さんの専門の立場から見た知床の環境保全のあり方について問題提起をお願いします。


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