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百卑呂シ随筆

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#振り返りnote

菓子を配る

 経理の婆さんが、最終出社日の夕方に、みんなに菓子を配り出した。  元来一癖ある人で、例えばこちらが電話中でもお構い無しに、書類を持って来て横から何だか話しかける。相手にしていられないから他所を向いて電話を続けていると、その書類を置いて去って行く。電話を終えても再びやって来る様子はないから、仕方なくこちらが先方の席へ赴いて「これは何かね?」と訊ねると、「ここにハンコをください」と言う。  相手の様子を見て出直すなり、置いて行くなら付箋にでもそう書いて貼っておけば良さそうなもの

紫の雨

 十九の夏、スーパーマーケットの衣料品売場で紫の鼻緒が付いた畳の雪駄を見付けた。それが随分格好良く見えたので、買って帰って早速履き始めた。  畳敷きだから履き心地が良い。おまけに鼻緒が紫で凄味がある。これはいいものを買ったと大いに満足し、毎日履いた。  その時分には学生寮住まいで、寮内(屋内)ではスリッパを履いていた。  スリッパは実家から持って来たものだった。家から持って来たものをいつまでも身に着けるのは、何だか弱い気がするから、じきに寮内でもこの雪駄を履くことにした。  

クリアブルーの歯車

 まだ幼稚園に上がる前、海辺の雇用促進住宅に住んでいた頃に、母に連れられて何度か医者に通ったのを覚えている。何かの病気にかかったのか、怪我をしたのか、或いは予防接種だったのかも知れない。さすがにそれは覚えていない。  帰りにショッピングセンターへ寄ったら、おもちゃ売り場に大きなミクロマンが展示されていた。  ミクロマンは当時随分流行った玩具で、関節が可動式になった十センチほどの人形である。その店に飾られていたのは通常のミクロマンの倍ぐらいあったように思う。 「あ、大きいミク

愛着と決別

 横浜のパスタ屋で働いていた頃、時折、店を閉めた後でバイトのメンバーと食事に行った。  パスタ屋は午前二時閉店だったので、出かけるには随分遅い時間だけれど、街は割りに明るく、人通りもあったように思う。  そういう時代だったのか、あるいは横浜だからそうだったのか、今ではもう判然しない。  一緒に行くメンバーはいつも樋口と岩戸と小沢で、行き先は大体ラーメン屋か、近くのデニーズだった。  ある時デニーズで、樋口がコーヒーゼリーを注文した。じきにそれは出てきたが、樋口は皿を見ながら

イントネーション

 怖い話というか不思議な話が好きで、移動中などはよくYouTubeで怪談を聴いている。近頃は実話怪談のあんまり生々しいのは避けて、朗読系を聴くことが多い。  先日もその流れで適当に選んだ朗読チャンネルを聴き出したら、イントネーションが名古屋弁だった。それがどうも気になって、そっちへ気が行ってしまう。  これはきっと、当人が訛に気付いていないパターンだろうと考えたら、愈々気になって、話が一向入って来ない。  その内に段々、同僚の愚痴を聞かされているような心持ちになったから、とう

すり替わる

 コロナの騒動が始まる前、学生時代のバンドメンバーだったナベから急に連絡が来て、四半世紀ぶりにライブをやることになった。  自分は大名古屋在住だけれど、他の者はみんな大阪近辺だったから、練習は難波でやった。難波は大名古屋から近鉄で行けて、新幹線を使うより安かったのである。  ある時、帰りにナベが売店の『面白い恋人』を指して、「ご家族にお土産でどうです?」と言った。面白い恋人は随分前から知っていたが、買ったことはない。 「そうだな、まぁ、買って行こうか」  小さい箱を買ったら、

歴史認識

 元々高校の国語先生になるつもりでいたから、大学三年の夏休みに教育実習の申込みで卒業校へ行った。  受付で呼び鈴を鳴らすと事務員さんが出て来て、今は教頭がいないから出直すようにと云った。教頭がいないなら他の先生でもいいだろうと思うけれど、それはこちらの都合である。先方には是非教頭でなければならない事情があるのに違いない。  その日は引き上げて、翌日出直すことにした。  帰った後で、事によると自分の格好があんまり不真面目だったから門前払いを食わされたのか知らと思えて来た。そ

一人旅

 飲食チェーンの店長だった時、首都圏エリアの店長全員で鬼怒川温泉へ行ったことがある。一泊旅行だった。  云い出したのはエリアマネージャーだった。会社は一応週休二日制だったけれど、休みが取れない店長が多かったから強制的に休ませる狙いだったろうと思う。  現場サイドとしてはあんまり嬉しい話ではなかった。休めない者には無茶振りだし、休めている者には休みを行きたくもない旅行に奪われる。自分は後者の方で、後輩の井上に、思い出す度「行きたくない、まじ鬱陶しい」とぼやいた。  せっかくの休

 朝食の際、食卓の下に小さな蜘蛛がいるのを見つけた。毒蜘蛛ではないけれど、娘が見ると「蜘蛛! キモい!」と大騒ぎをして殺すのに違いない。  それで死角になる位置に自分が立って、蜘蛛を娘の目から隠してやった。  ところがしばらくそうしていても、蜘蛛の方では一向逃げようとしない。結局ティッシュで掴んで外へ逃がした。  蜘蛛は本来益虫だから、無闇に殺すのは気分が悪い。それに、あんまり殺していたら地獄に落ちた場合に助けてもらえないようにも思う。娘にもそう云って教えてやるけれど、どうも

硝子と機関車

 幼稚園の年中組だった時のこと。  ある時、教室と廊下を行ったり来たりして遊んでいたら、何だかガラス戸が重かった。気にはなったけれど、先生に云うほどのことでもないだろうと思って、そのままにしておいた。その時担任の渡辺先生は、女子数人に囲まれて何かお話していた。  そのまま何度か出たり入ったりを繰り返していたら、戸がとうとう廊下の方へゆっくり倒れ始めた。  あっと思った瞬間、前にテレビで見た、機関車を押し止めるスーパーマンの姿が脳裏に浮かんだ。それに倣って受け止めるべく、自分は

先生の死

 高三の時、学校行事の合唱コンクールをさぼったら、担任の戸山先生から家へ電話があった。  戸山先生は常日頃からあんまりやる気があるようには見えない人だったから、わざわざ電話をかけて来るとはどうも尋常ではない。何事か知らと恐る恐る出てみたら、存外普通の調子で、「合唱コンクールの間、一体どうしていたんだ?」と問うてきた。  塾の自習室へ行っていたと答えたら、「そうか」と言って、合唱コンクールのステージでの惨状を訥々と語り出した。  あんまりみんながさぼったものだから、戸山クラスだ

依代、人生の伏線

 昔テレビで流れていたオリエンタルマースカレーのCMで、最後に「ハヤシもあるでよぉ」と言うのが何だか面白く、「〜でよぉ」が幼稚園で流行った。広島の幼稚園で、みんな、名古屋弁と知らないまま真似をしていた。  最初に使い出したのは為末君だったと思う。ゴレンジャーごっこか何かをしていて、「まだ(悪者が)おったでよぉ!」と言ったのである。  それの何が面白いのだか、今はまるでわからないけれど、その時には随分可笑しくて、全員転げ回ってゲラゲラ笑った。涎を垂らして笑う者までいたように思う

深緑、ガラス

 幼い頃に何度か、隣町の喜多田さんの家へ母と行った。  喜多田さんは母の学生時代からの友人で、何だか声の大きなおばさんだったと記憶している。  喜多田さんのところにはコウタ君という、自分より一つ上の男の子がいたから、母親同士が喋っている間はコウタ君と一緒に遊んだ。  何をして遊んだかは、もうあんまり判然しないけれど、彼が一休さんの絵を随分上手に描いていたのは覚えている。アニメキャラを描くにしても、一休さんを描く子はこれまで他に見たことがない。それで覚えているのだと思う。  後

てりやき、憤怒

 てりやきマックバーガーを初めて食べたのは高校生だった時で、あんまりピンと来なかった。  美味いには美味いが、ハンバーガーを食べている気がしない。おまけにパンの間でハンバーグがズルズル滑って食べにくい。仕舞いに、口の周りと両手がベタベタになった。  多少美味くたって、こんなに食べにくくては割が合わない。もう二度とオーダーしないことに決めた。  けれどもどうやら世間では評判が良かったようで、最初は期間限定メニューだったのが、じきに定番メニューとして復活してきた。  その時分に