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菓子を配る

 経理の婆さんが、最終出社日の夕方に、みんなに菓子を配り出した。
 元来一癖ある人で、例えばこちらが電話中でもお構い無しに、書類を持って来て横から話しかける。相手にしていられないから他所を向いて電話を続けていると、その書類を置いて去って行く。電話を終えても再びやって来る様子はないから、仕方なくこちらが先方の席へ赴いて「これは何かね?」と訊ねると、「ここにハンコをください」と言う。
 相手の様子を見て出直すなり、置いて行くなら付箋にでもそう書いて貼っておけば良さそうなものだが、決してそうはしない。こちらは自分の用事でもないことで動かされて、どうもジリジリする。
 また、普通に話を聞いていても、説明が無闇に長くて、何を求められているのか甚だ判然しない。仕事を中断して先方の千夜一夜物語を解読させられるのは、やっぱりジリジリする。

 そういう調子だからどうにも折り合いが悪く、きつく云ったりしたこともあったけれど、辞めるとなると何だか悪かったような気がしてきた。
 自分もこれまで幾度か職を替えて来たが、最終日に菓子を配ったことなど一度もない。中には退職日が決まっても云わずにおいて、普段通りに退社してそれぎりにしたところもある。菓子も挨拶も必須ではないけれど、真っ当な大人としてはあって然るべきだったろう。
 自分の都合だけで他人をおかしな婆さんだと決め付けていたけれど、自分だってそんなに偉いものではない。

 貰った菓子を食べたら随分美味くて、ますます悪いような心持ちになった。

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