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依代、人生の伏線

 昔テレビで流れていたオリエンタルマースカレーのCMで、最後に「ハヤシもあるでよぉ」と言うのが何だか面白く、「〜でよぉ」が幼稚園で流行った。広島の幼稚園で、みんな、名古屋弁と知らないまま真似をしていた。
 最初に使い出したのは為末君だったと思う。ゴレンジャーごっこか何かをしていて、「まだ(悪者が)おったでよぉ!」と言ったのである。
 それの何が面白いのだか、今はまるでわからないけれど、その時には随分可笑しくて、全員転げ回ってゲラゲラ笑った。涎を垂らして笑う者までいたように思う。
 以来、みんな何かにつけて「〜でよぉ」を使い始めた。しばらくそうして使ったはずだが、いつの間に止めてしまったかはわからない。存外、流行ったと思っているのは自分だけで、本当はその日限りで終わっていたのかも知れない。

 為末君とはその後、小一と小三でも同じクラスになったが、「〜でよぉ」の話は一度もしていない。事によると、彼自身も忘れてしまったのではなかろうか。
 そうだとすると愈々自分の記憶も意義があるものに思えてくる。

 為末君は、大人になってトヨタ自動車に就職したと聞いた。あの「〜でよぉ」ブームの立役者が愛知の企業に入ったとは、甚だ感慨深い。
 人生の伏線みたいだと思っていたら、自分も愛知に住むことになって、そのまま今に至っている。


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