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先生の死

 高三の時、学校行事の合唱コンクールをさぼったら、担任の戸山先生から家へ電話があった。
 戸山先生は常日頃からあんまりやる気があるようには見えない人だったから、わざわざ電話をかけて来るとはどうも尋常ではない。何事か知らと恐る恐る出てみたら、存外普通の調子で、「合唱コンクールの間、一体どうしていたんだ?」と問うてきた。
 塾の自習室へ行っていたと答えたら、「そうか」と言って、合唱コンクールのステージでの惨状を訥々と語り出した。
 あんまりみんながさぼったものだから、戸山クラスだけが二十人ぐらい――本来は四十人――で歌ったのだそうだ。特に男子は四人しかおらず、恥ずかしそうに終始俯いていたと云う。
 さすがに気の毒なことをしたと思った。
「正しいことをやっとる者がバカを見るんはいけんで。のぉ?」と言われて、はぁと答えたけれど、その後も行事はさぼった。

 全体、高校の行事にはほとんど参加した覚えがない。
 体育祭などは一番面倒だったから、一年生の時に出たきりである。
 その時に、棒奪いという競技をやったのを覚えている。運動場の真ん中に丸木棒が数本置いてあり、それを紅組と白組で奪い合って、自陣に多く持ち帰った方が勝ちというものだった。
 荒っぽい競技だから、ラフプレーが起きやすい。大体毎年ケンカになるそうだと上田から聞いていたので、こちらもそのつもりで知らない相手を蹴飛ばした。
 当然先方は怒って掴み掛かって来たが、谷先生に止められて断念した。
 きっと後で怒られるだろうと思ったけれど、何も言われなかった。
 谷先生は二十年後に自殺したとニュースで見たが、今調べたら二十五年後に病気で亡くなっていた。どうも何だかわからない。

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