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百卑呂シ随筆

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#創作大賞2023

消しゴム、集団暴力

 仕事の際、A5サイズの薄いルーズリーフバインダーをノートとして使っている。プラスチックの安いやつだ。使い勝手が良くて気に入っていたが、2カ月ほどで表紙が反った。先日外出したついでに、イオンで新しいのを買った。  2カ月はさすがに早いように思うが、どうやら印刷インクの影響らしい。そう云われると心当たりがなくもない。向後はその辺りを気にしながら使うことにした。  文具愛好癖を表明するのに、いつもちょっと抵抗がある。学生時代は、勉強ができない者ほど文具にこだわっていたように思う。

深みとリアリティと黒歴史(2023/07/12)

 昼休憩中に、昔の日記の転記作業をした。 ※  3年前からGoogleドキュメントで日記を書いている。月日をタイトルにしたドキュメントを366個作って同じ日付に毎年記入するスタイルだから、去年の今日はどうしていたかが自然にわかる。成長するため云々みたいな説教くさいことでなく、単に面白いからやっている。  面白いの延長で、随分昔に手書きしていた日記も随時こちらへ転記し始めた。  社会に出たばかりの頃のは読み返して面白かった。なるほど、これがああなってこうなるのかと、人の変

記憶と万年筆 〜縁と消息〜

 十数年前、万年筆の面白さに目覚めた。それからハマっていく過程で、今度のボーナスで値段が5桁のペンを買ってみようかどうしようかと迷っている、と誰にともなくツイートしたら、「買えばいいじゃない」と背中を押してくれる人があった。  それでその気になって、名古屋の丸善で買った。その頃の丸善は広小路通沿いにあって、昭和の匂いが残る古い店舗だった。ここで万年筆を買うということが、何だか古めかしい儀式のように感ぜられたのを覚えている。 ※  国内大手メーカー――パイロット、プラチナ、

死後の自転車

 先日、来宅した妻の友人ケイトさんからこんな話を聞いた。 ※  どういうきっかけだか知らないが、先年亡くなった旦那さんのことで霊能者に見てもらったら、「旦那さん、面白いこと云うわねぇ。いい人がいたら再婚してもいいよ、まぁ俺よりいい人なんかいないと思うけどね。ですってw」と云われたんだそうだ。  自分は一体、霊能者も占い師も信じないものだから、何だか随分ありきたりなことを云うものだと白けたのだけれど、妻とケイトさんは「旦那さん、絶対それ言うわ!」「でしょ?」「霊能者にそう

古靴、犬の踊り

 まだ独りでアパートに住んでいた頃のこと。 ※  ある日車で帰宅すると駐車場の入口に軽トラが停まっていた。その位置が絶妙に邪魔で、こちらは入るに入れない。  そこへ大家夫人が現れた。夫人は何だか顔の前で手をひらひらさせ、故障してこの位置で動かなくなった、JAFを呼んであるが到着後に作業の邪魔になってはいけないからここに駐めるなと云う。  云いたいことはわかったが、代わりにどこへ駐めろと云うでもない。きちんと賃借料を払って借りているのを、駐めるなの一言で済まされては面白くな

喫煙者(2023/06/26)

 出勤途中、信号待ちで前に停まっている車から、火がついたままの煙草が転がってきた。大きく会社名が書かれた車なのによくやるものだと感心した。  ちょっと気になって後から調べてみたら、「この会社の運転手は運転マナーが最悪だ」というようなコメントがいくつか散見された。大きな会社ではないようだから同一人物か、あるいは一人親方なのかもしれない。  ついでに当該企業のウェブサイトから連絡しておいたが、これはきっと余計なお世話だったろう。 ※  喫煙をやめて久しいが、最初に煙草とライタ

記憶と万年筆

 好きな物について書いてみる。 ※  元々筆記具好きの気があって、仕事中に自席でメモを取ったり、書きながら考え事をするのに万年筆を使っている。  万年筆の効能は「使うと気分が上がる」ということだ。これは単に好きなものを使うからそうなっているので、何も万年筆限定の特別な力ではないけれど、何をするにも気分の上昇は大切だ。気に入った道具を使うことで仕事のモチベーションが上がるのなら、限定の効能でなくても使う意味は十分ある。  見るからに “万年筆!!!” というようなのを使

牛おばさん

 にぎやかだと思ったら近所で祭りをやっていた。この土地に住み始めて10年になるが、こんな近くで祭りをやっているなんて知らなかった。ひょっとしたら今年から祭り会場が変わったのかもしれない。  考えてみれば、地域の祭りなんて中学時代以来行っていない。ちょっと覗いてみようかと思ったけれど、たまたま長く住んでいるだけで自治会にも入っていない “よそ者” がふらりと現れて、「君ぃ、わた菓子を売ってくれたまえ。金ならあるぜ」とやった場合、「おい、あの見慣れない顔は一体どこのどいつだい?

オサダ君とカウンタック

 オサダ君は幼稚園に入る前からの友達なので、恐らく幼馴染と云って差し支えないのだろう。  祖父母と同居することになって、引っ越す前から「近所にオサダ君ていう同い年の子がいるから友達になれる」と聞かされていた。  引っ越したその日からオサダ君は早速遊びに来た。先方でも裏の百さんのところに同い年の子が来ると聞いていたのだろう。  オサダ君は黄色いカウンタックがプリントされたTシャツを着ていた。  その日からほとんど毎日一緒に遊んだと思う。  彼の家で緑ジャケットの『ルパン三世』

きれいな記憶はきれいなままで

 この記事の続き。 ※  生まれも育ちも広島だが、大阪で過ごした大学時代が楽しすぎて、卒業後も大阪の人として生きるつもりでいた。  ところが実際卒業すると広島勤務となって、しぶしぶ帰郷した。さらに新入社員研修で居眠りしたのが仇となり、わずか3ヵ月で今度は横浜へ飛ばされた。いよいよ大阪から遠く離れて最初は大いにどんよりしたが、横浜は行ってみると思っていたより随分良い街で大変気に入った。  半年で広島へ戻る約束だったのを、あんまり気に入ったものだからこのまま横浜に居させてほし

赤い光

 透き通った赤が好きで、車のテールレンズなどつい見惚れてしまうことがある。  昔、テールレンズが大きいのが気に入って日産レパードという車を買おうとしたことがあった。あの時は結局、諸々あって他の車になった。あれはいささか残念だった。  最近の車はテールレンズが透明なのが多くて、あんまり面白くない。 ※  車で信号待ちをしていると、前の車のテールランプが何だかおかしい。赤いテールレンズの内側で何だかもぞもぞ動いているように見える。仕掛けでもあるのかと思ってよくよく見ると、どう

横浜、記憶の美化

 横浜開港記念日(6月2日)に託けて、むかし書いたものをリライトする。 ※  1994年から99年まで横浜に住んでいた。当時は『わくわくパスタ』(仮名)というブラック職場で過酷な労働をしていたものだからこの街にはそれ相応の怨念めいた記憶もあるが、基本的には好きだ。第二の故郷だと思っている。  先日仕事の都合で、昔住んでいた辺りに行った。14年ぶりである。あんまり懐かしかったから少し散歩をしてみた。  かつて『わくわくパスタ』があった場所には巨大マンションが建ち、当時の面

傘泥棒

 先日、仕事を終えて帰ろうとすると傘がなくなっていた。  間違えて持って行かれないようにいつも傘立ての外に置くから、そこにないということは誰かが意図的に持って行ったということだ。  ビニール傘なら使い捨てアイテム的な面もあるからまだ諦めもつくが、なくなったのは布の傘である。悪意を感じずにはおられない。  これだから三流零細企業は困るのだよと呆れながら、総務のフグ田さんに言って「傘の取り違えが発生している。心当たりのある者は速やかに返したまえよ」というメールを全社配信してもらっ

車窓から(その6) 〜フクロウ翁・故郷

 相生駅からの乗客は予想外に多かった。まさかそんなこととは思いもせずに油断していたものだからあれよあれよという間に席を取られ、岡山駅まで1時間ばかり立ち乗りすることになった。  昼飯にするつもりだったテリヤキバーガーもランチパック(ピーナッツ)もこれでは手をつけられたものではない。結局、岡山で乗換電車を待ちながら食った。昼飯というよりおやつに近い刻限だった。滋賀県で買ったパンを岡山で食う男、と思った。 ※  在来線で大阪~広島間は大学時代に何度か行き来している。当時の乗