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横浜、記憶の美化

 横浜開港記念日(6月2日)に託けて、むかし書いたものをリライトする。

 1994年から99年まで横浜に住んでいた。当時は『わくわくパスタ』(仮名)というブラック職場で過酷な労働をしていたものだからこの街にはそれ相応の怨念めいた記憶もあるが、基本的には好きだ。第二の故郷だと思っている。

 先日仕事の都合で、昔住んでいた辺りに行った。14年ぶりである。あんまり懐かしかったから少し散歩をしてみた。
 かつて『わくわくパスタ』があった場所には巨大マンションが建ち、当時の面影はまるでない。それでも裏の小橋は変わらず残っていた。ここで上司の胸倉をつかんだことを思い出した。

 バンドホテルもなくなっていた。利用したことはないが、毎日仕事の行き帰りに前を通っていたものだからなくなるとやはり淋しい。

 散歩コースにしていた港の見える丘公園へ行ったら、展望スペースで黙々と港を眺める老女がいた。
 なんだか親近感が湧いてきて「バンドホテルなくなったんですね」とか言いたい気分になったが、不審人物だと思われても面白くないから我慢した。

 28歳の時、港の見える丘公園でデート中に駐禁を切られた。途方に暮れていたら、目の前の交番から警官が出てきた。
「この車の持ち主の方?」
「そうです。すみません」
「…駐車禁止ですけどねぇ、あなた、それより他にも言うことがあるよね?」
「…飲んでます。すみません…」
 警官は、自分で車を動かしたら即そっちの切符も切ると云う。仕方がないから近くに住んでいた先輩店長に電話をかけて、助けに来てもらった。先輩は終始ニヤニヤしながら車を動かしてくれた。
 まだ飲酒運転の罰則が甘かった時代のことである。

 公園の奥、大佛次郎記念館の隣に『霧笛』というカフェがある。この店はアイスティー(アールグレイ)が甚だ美味い。
 以前、一度だけこの店に入った折、その美味さに大いに感動して「あぁ」と言った。感動した癖にただ一度しか行っていないのもおかしな話だが、なんとなく行きそびれたのだから仕方がない。
 今回14年ぶりに入ってみたら果たして美味かった。またしても「あぁ」と言い、心おきなく帰宅した。

 大学時代には大阪に住んでいた。
 大阪もかなり好きだと思っていたが、再び住んでみたらそれほどでもなかった。記憶が随分美化されていたらしい——これについてもそのうち書くと思う——。きれいな記憶はきれいなままで留めておくのがいい。

初出: 2009年05月03日『論貪日記』

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