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家族のこと。大切なご報告。

最初の一文字目から涙が溢れてきて
何度も文字を書くたびに涙が止まらんくて

どう書いていいのか
そもそも書くかどうか
何度も何度も悩みながらではあるけれど

わたしのありのままを知ってもらうことが
周りの支えてくれる人達への
精一杯の素直なわたしの気持ちだから

上手く伝えられるかわからないけど
ちょっと聞いてくれたら嬉しく思ってます。

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このたび母が認知症になりました。

本当に突然のことで現実を受け止め切れなく
わたし自身も気持ちが未だに落ち着かず
不安定な環境下の中です。

先日、外を徘徊しているところを
警察に保護されて状況を知り実家に帰って
現状と向き合う日々を過ごしてます。

池田市の福祉地域支援課に相談し
認知症疾患医療センターや
脳神経外科、精神科などの情報もいただき
順番に連絡して診察をお願いしました。

地域包括支援センター
の担当の方が本当に良くしてくださって
すぐに状況を聞きつけて家まで飛んできてくれて
一緒に病院も付き添ってくださいました。

昨日、病院に連れていき
1日がかりの検査などを行われ
正式に認知症の診断結果をもらいました。

基本的に母は元気で明るく
ずーっと喋って笑っていてうるさいくらいに
THE大阪のおばちゃん!って感じなんですが(笑)

そこは変わらず、病院の中でも
愛想よく冗談なんか言いながら話をしていて
それだけでも少し心が救われる気がしています。

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”MMSE”という認知症スクリーニング検査
を行ったところ30点満点中20点以下が
認知症として判断されるゆうことで、

「今日は何日ですか?」「今日は何曜日ですか?」
「ここは何県ですか?」「ここは何地方ですか?」
などの様々な質問だったり
はさみを見せながら「これは何ですか?」と聞いたり
「手を握ってください」という文字を見せたり
計算をしたり、文を読んだり、文字や図形を書いたり

そんな検査をかかりつけのクリニックで
2月にもしたことがあったらしく17点だったのが
今回は6点に低下していました。

何年か前に、大腿骨の手術をした時の入院先で
投薬や環境の変化による”せん妄”がみられたことがあり
突然発生して変動する精神機能の障害で、通常は回復可能です。
注意力および思考力の低下、見当識障害、覚醒(意識)レベルの変動
などがある病名のひとつなんですが
自宅に帰ってからは幻覚などを見ることもなく
数年間生活をしてきましたが本当に今年急激な進行があありました。

認知症とは日常生活に支障をきたすような
記憶およびその他の知的活動能力の消失を示す総称とのことで
認知症の症例においてその60-80%を占めていている
アルツハイマー病は記憶,思考,行動に問題を起こす脳の病気で
通常の老齢化あるいは精神疾患とは異なります。

現在、CTやMR検査などの結果待ちですが
症状は時の経過と共に進み,多岐にわたるということで
現在のところ圧倒的に患者数の多いアルツハイマー病など大半の認知症は
ある程度進行を遅らせることはできても、治すことはできません。

母の今の状況は、要支援2が決定しており
現状としては要介護にも変更になるかもしれないとのことで
幻覚が見えるというのが一番おおきくしめていました。

幻覚とは「対象なき知覚」のことで
対象は存在しないけどはっきりとした感覚が存在するので
誰もいない場所で誰かと話したり色々な物が見えている状態で
家の中に他人が入ってきたり本当に怖い経験もしていて
徘徊も含めて、事故なども危険性があります。

地域包括の方や看護師さん、
ケアマネージャーさん、介護福祉士さんなど
多くの方が力になってくださり対策を考えています。

やはり状況的にも病院では入院を勧められ
病床の空きがない間は入院予約待ちという中で
基本的にはひとり暮らしということもあり
24時間の監視体制が必要な状況なので
自宅で介護する場合は、デイサービス等の
介護保険サービスを上手に使うようにということで

”小規模多機能型居宅介護”という施設を紹介していただき
昨日、実際に母も一緒に見学に行きお話も伺って
しばらくの間はお世話になることを決めました。

中重度の要介護者となっても在宅での生活が継続できるように支援する
小規模な居住系サービスの施設なので、1つの事業者と契約するだけで
日中は「通い(デイサービス)」を中心として
「訪問介護」や「泊まり(ショートステイ)」を組み合わせることも出来て
在宅での生活の支援や、機能訓練を行うサービスなので
今の母には無理なく利用できるんじゃないかと薦めてもらいました。

障害保険などもほとんど知識がなかったため
こういう市の皆様のサポートがあることが本当に有難いし
素敵な担当の方々と出逢えて感謝してます。

認知症介護をする家族が抱える辛さのひとつ
「先が見えないこと」による不安や環境を
一緒により良くしていく福祉の仕事の価値を強く感じました。

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2015年の冬、6年前
わたしが鐘の音を経営しだしてから1年後
初めての親孝行、親子水入らず旅行と題して
母へ長崎旅行をプレゼントしました。

まだこの頃は歩くことも出来たので
長崎の沢山の観光地を回って
沢山の景色をみて楽しみました。

わたしが十代の頃から、
ピアノや英語、塾などの習い事や
芸能プロダクションへ通ったり
音楽の専門学校への入学も
沢山のわたしのやりたいことをさせてくれて

高校をやめて専門に転入したいと行った時も
音楽を続けることも、夢を追うことも
いつだってわたしのことを応援してくれていた母。

フリーターで生きていく20代のわたしを
好きなことをさせてくれて見守ってくれて
29歳で始めた自営業、自分の力で稼いだお給料で
初めて育ててくれた親に何か少しでも恩返しが出来た日。

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そして、娘は晴れて社長になりました(笑)

おかぁさんに慣れないラインをしたら
帰ってきた「おめでとうございます」の言葉
この時どんな気持ちでいてくれたんだろう

1ヶ月前に実家に帰った時は普通に生活も
会話もできていて一緒にご飯食べに行ったりしてて
いつから進行してしまったのか。

なんでもっとはやく
気づいてあげれなかったんだろう

どうしようもないことだとは分かっているのに
自分ばかり責めてしまう。

警察に保護された後、兄が会いに行った時
名前も呼ばず静かに座っているだけだったと聞き
家族のことも覚えているのか分からなくって

話を聞いて、最初に家に向かう時
わたしのことを忘れていたらどうしよう
そんな不安がいっぱいで、怖くてたまらなくって
涙を流しながら家に辿り着いた。

母はわたしを覚えていて、それだけで嬉しい。
その後は病院の中でもたまにわたしのこと分からないのか
敬語つかったりしてたけど、基本的には認識してた

いつか忘れてしまうんだろうなぁと思うと
やっぱりどうしても受け入れられないや(´•ω•`)

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人が何度も生死を繰り返し、新しい生命に生まれ変わる。

あかちゃんの頃からおばぁちゃんになるまで
人は成長して老化していくもので
寿命や環境によっても違う中で、誰しもが経験していく。

多くの人が家族の中で
おじいちゃんおばぁちゃんや
おとうさんおかあさんに
何かしらの介護は必要になってくるもので

いつかはと思ってはいたけど
まだ68歳、早すぎるや・・・

幼い頃に父とは離婚しているので
わたしは会ったことがなく女手ひとつで育てられた
唯一の家族である三重で家族と暮らす兄とも
沢山連絡をとりあって共有しながら
今後のことを話し合っている毎日です。

実家、池田市に帰ることも多くなり
蒲生四丁目との往復の日々になるので
仕事やプライベートの中で
沢山の人に迷惑かけたりサポートしてもらうことが
増えると思いますが、宜しくお願いします。

ひとりで抱え込むには大きな問題すぎて
ここ数日間、本当に辛かったんだけど
側にいてくれる人達のお陰で私は前を向けています
ほんとにいつもいつもありがとう。

こんなことならもっとこうしたら良かったとか
実家にもっと帰っておけば良かったとか
今になって思うことがいっぱいいっぱいあります。

いつかとおもっても、永遠はなくって
だからこそ今を後悔しないように大切に生きる。

今できること
おかぁさんのためにできること
精一杯、やっていこう!

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この世界の中で
母から産み落とされたこの命
大切に育ててくれた感謝を。

沢山の過ごした時間
沢山の思い出

懐かしい場所
懐かしい景色

巡りめぐる季節の中で
いつまでも、いつまでも。

記憶がなくなっていくということは
とても悲しいことだけれど

いつかはやってくる最後の日まで
楽しい毎日をつくれるように。

大切な母へ、娘より愛を込めて。
どうか長生きしてください。

是非とも、あなたのお気持ちでサポートお願いします!言葉を紡ぐこと、人と人を繋ぐこと、わたしの人生を支えてくれる皆様に心からの感謝を☺︎