家ガールのべつばら

おまもりの言葉とのろいの言葉 | 他所では書かないようなアレコレ | 読みたい文章を書くための筋トレ

家ガールのべつばら

おまもりの言葉とのろいの言葉 | 他所では書かないようなアレコレ | 読みたい文章を書くための筋トレ

    最近の記事

    ひさしぶり

    2022.07.12 ここに文章を書くのも久しぶりで、実は下書きはたくさん溜まっているのに、変な自意識が増幅してしまって公開ボタンを押せずにいる。 この家ガールという名前で初めてブログを書いたときのことを思えば、拙くて恥ずかしい文章だったから、今はそこまでじゃないけれど、これも3年後ぐらいには「はっず、きっつ」ってなるのかもしれない。そういう、良い言い方では成長らしきことをしていると、段々今までの書き方では文章が書けなくなってしまうのだ。 文章について言えば、書きたいこと

      • メタ認知?

        2022.01.04 最近、身体から半分だけたましいがズルっと抜けて、自分の言ってることややってること、思考や感情をちょっとだけ上から見ているような感覚があるのだけど、これがメタ認知ってやつなのかしら? これが自分の身体にズッポリ収まってるときはとても感情的で抑えきれなくてしんどいし、そのまま人に会って話してしまったりしたら地獄だ。まだそこまでコントロール出来ている気がしないので危険はいっぱいだけど、このズルっとした感じは覚えていたい。 でも幽体離脱感は否めないよな。も

        • 2021年を振り返る、私は一喜一憂しなくなった

          すごくしんどかった一年でした。 そう書いてしまうと身も蓋もないのですが、しんどかったと感じている人は本当に多いだろうし、その理由はコロナ禍に端を発していることが多いと想像します。私自身の場合は直接的にというより、変わらざるを得なかった生活によって露呈した自分の弱さと向き合う日々だった。 10月後半になって物理的にも精神的にも出歩きやすくなり、人と会う機会がぐんと増えてから、物事は動き出し自分の考え方もかなり前向きになりました。これって人に会えるようになって急にそうなったわ

          • きっかけよりも

            2021.11.10 今、この文章は病院のベッドの上で書いています。 いや、 厳密に言うと、病院のベッドサイドテーブル、食事用の簡易な引き出し式ボードの上で書いています。入院に伴って仕事の色々をストップしてもらい、私に負担ないように調整してもらっているみたいで、ありがたい話でしかありません。でもこうなってみて思い出したのは、2011年に大病をしたことを踏まえ「ライターってもしかして病床でも続けられる生業かもしれない」と思ったのがライターになろうと思ったきっかけだったとい

            行動指針、さっそく見直し(途中)

            2021.11.08 たまたま時間ができたので、色々を考え直す時間に充てたり本を読む時間にした。新しい色々も考えないと。ちまちまインプットし、ちまちま考える。そや、アウトプットもしなくてはと思い立って、今ポチポチスマホを操作している次第。 感情や感覚は、インプットするときには絶対欠かしたくないけど、アウトプットするときには要らないなと気付く。吸う時は鼻から、吐く時は口から、みたいやな。そんな器用なこと出来るんかいな……と思いつつ、理解できたら出来そうな気がする。 そして、興味

            家ガール行動指針

            2021.10.29 誕生日の特別感って、生まれてきたことを周りの人に祝福される→生んでくれた親やここまでの道のりでお世話になった人たちに感謝をするを経て、単純に365日ある日付の中で唯一まるで「自分のもの」のように扱える日なんじゃないかって思ったりしていました。厳密には誕生日だからってその日付がその人のものだというわけではないですが、他人から見た「私の日」ではあるなというか。誕生日がくる前から「もうすぐ家ガールの誕生日だね!」って意識してくれてる時間はその人のものでもある

            無題

            自分のできないこと(もしくはやりたくないけどやらなあかんこと)やってくれちゃう人に出会ったら地獄だなと思います。 不完全なままでお互い、必要だからという理由じゃなく一緒にいる。 そんな関係を探していいと、自分に言い聞かせる。 上記、逆にそれをやってあげちゃうことによって自分の居場所はすぐつくれるけど、私はそうじゃない生き方を選びたい。 アートシンキングの本と、ココ・シャネルの名言集が、効き過ぎた薬みたいになって、私をハイにしてるっす。

            ここちよい日々(2021年10月15日)

            わたしが誰かに心を開けるようになる瞬間があるとして、 それは相手に自分を否定されなかった、という安心の積み重ねであるような気がしているけど(心理的安全性の話) そう考えると相手にとってもそうなんだろうなと思ったら、相手を否定しないことが大事やんねと思い始めている。 ド・基本な感じはするけど。 「もう自分のことばっかり考えて!相手の気持ち考えろよ!」(だいたい) とは、今日はミキの漫才の中にあったセリフだけど、最近ずっとあちこちで出会っているフレーズのような気がする。

            俺の「かわいい」

            「かわいい」は差別用語、という訴えに対して、かわいいは多様性を認める言葉だと原宿の人たちが訴えてる、という記事をサラッとだけ読んだ。 「かわいい」という言葉が差別的だというのはある文脈においては正しいんだろうけど、文脈によるからそれだけで差別的と言うのはこわいことだなぁと思う。 それでいうと私にとっての「かわいい」は原宿のそれともきっと違ってるけど、肯定的な意味でしか使わないし、なんなら個人的な「大好き」「愛してる」に置き換えられる最大の愛情を感じるときの感情が「かわいい」

            なんだか分からないけど泣きたい気持ちの成分表

            2021.04.14 7:45 情けない 20% 申し訳ない 10% くやしい 25% さみしい 25% 腹立たしい 5% 嫌だ 3% 切ない 3% 痛い 5% 苦しい 2% 安堵 2%

            子どもの頃は遊びを作る天才だった

            「影の上を歩かへんかったら、死ぬこと~」 小学生の頃、そんな極端なルールを決めて友達と影のあるところを必死に探して踏みながら帰った。途切れる木と木の影の間を飛んだり、狭く短い軒下の影をつま先立ちの横歩きで小走りしたり、影のない一面田んぼの小道では、誰か一人の子の影に群がったり。 今思い出してもしょーもなくて楽しい遊びだなと思う。帰り道という環境はただそこにあるものだけど、特別なアトラクションがなくても、自分たちで作ったルールに想像力を付け加えていくらでも遊べた。遊びを楽し

            殻を破る210407

            他人の殻を破る方法なんてないわけです。 それはもう、不法侵入のごとく、裏拳でバリンぐらいしか。そんなことしたら、自分も傷つくし、相手も結局傷つける。でも、それしかやりようがない。だから辛いんだろうな。 私だったら、できるだけ殻の周りに分かりやすいあたたかくてやわらかいお布団みたいなものを敷き詰めて、見えるように両手を広げて待っているポーズをする。←というのが理想と思いつつ、実際にはそんなにたくさん敷き詰められないし、そんなにずっと両手広げて待っていたら、腕がだるい。これは

            走る20210404

            日付が変わりましたね。 占い師でライターの石井ゆかりさんが、かつてTwitterで今日の星模様を呟かれていたときの決まり文句。普段は朝に更新される星模様を、深夜日付が変わると同時に更新されるときのものです。ボイドタイムとの兼ね合いがあったのかもしれませんが、夜更新されたのを見てから寝ると、ちょっとだけ得した気持ちになったのはなんなんだろう。いや、得した、というか、ちょっと幸せ。 ーーーーーーーー 自分の使っている文具を、もう少し最適にするために意識したいと思いつつ、でも

            よなよな210403

            変われるのは自分だけ、という言葉が3億光年ぐらいの時を経て、やっとその本質とともに私の元に届く。いや、3億光年は出鱈目。 その人が選んだ、付き合う人も仕事も遊びに行く場所も、言葉も、あるときした表情も、その人の全てだ。その人の意志。それが例えなにかによってねじれていたとしても、ねじれを生むなにかごと、そのすべてがその人だということ。ただそれだけのこと。 そして、その人が見ているものはその人にしかわからないが、そんなその人を、ただ私はそのまま見ているということ。最近、ただ見

            夜更かしついでのおまけ

            2021.03.27 他人が、どんなことに喜びを感じるのか、何を幸せに思っているのかって、意外と何も分からないもんだなぁ、とふと。 人間がどんなことに喜びとか幸せを感じるかって、そう大差ないように思っていたんだけど、意外とまったく人によって違うのかもしれない、とか。 まあ、自分の喜びも幸せもよく分からないけど。ていうか、喜びってなに?幸せって、なになに?? 最近怒りを感じたら、なぜ何に怒りを感じたのか、立ち止まって客観的に分析することにしています。小さなイラ立ち多すぎ問題

            つくることについて

            2021.03.27 朝起きて、卵を焼く。 ただそれだけの、なんてことない簡単で最小限のことなんだけど、朝ごはんを「つくる」というのは面倒くさくて、気持ちがいい。つくるってやっぱり、生きると繋がっているのだろうか(食べ物だと余計に) とかいって、割と適当なことを書いているけど、感じたことは書き留めておこう。 最近、手書きで日記らしきものを書くようになったので、日記らしきnoteには特に書くことがなくなった。 折角なので日記っぽくないことを書く場所にしていこうと画策中