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よなよな210403

変われるのは自分だけ、という言葉が3億光年ぐらいの時を経て、やっとその本質とともに私の元に届く。いや、3億光年は出鱈目。

その人が選んだ、付き合う人も仕事も遊びに行く場所も、言葉も、あるときした表情も、その人の全てだ。その人の意志。それが例えなにかによってねじれていたとしても、ねじれを生むなにかごと、そのすべてがその人だということ。ただそれだけのこと。

そして、その人が見ているものはその人にしかわからないが、そんなその人を、ただ私はそのまま見ているということ。最近、ただ見ているということができてきて、感じていることはあれども、そこにアクリル板みたいな透明だけど守ってくれるものを挟むことができて、ちょっとだけ生きやすくなった。ただただ、そのことについてよかったなと思っている。

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<また四月が来たよ 同じ日のことを思い出して>

もはや本来の意味を超えてただただ四月に言いたいこのフレーズは、椎名林檎の2000年リリースの「ギブス」の一節。ちなみに2000年当時の私はニルヴァーナのことなどほとんど知らなかった。今聴いたらちゃんと相当の皮肉として響くほど、「渦中の人」が私の歌だと思えるように作ってある。3周ぐらいして名曲。こういう曲をいつも本気で作らないで本気で発表するところが、椎名林檎の魅力やのに。そういうところがaikoとは違う。(aikoも大好きです)

話がそれた。21回あった四月のうち、思い出すことはいくつあるだろう。私にとっての四月と言えば、2011年。ついたちに入社式があって、私は新入社員を迎え入れる先輩社員として祝辞を述べる役。その日はその後慣れない本社勤務を終えて、最終バスに乗り遅れそうになって、白川通りを全速力でダッシュした。今思えば、これがいけなかった。翌日、身体の異変に薄々気付きながら、万が一接客中に意識を失ったらどこにどうやって倒れたらお客さんにも会社にも迷惑がかからないか、よくシュミレーションしながら働いていた自分がいた。今思えば、狂ってた。そして翌々日の朝の救急搬送。

あー、この話何回もしてるんで、死にかけた話はもういいんですよ。しつこいなー。ちゃうんですよ、そこじゃなくて、入社式の祝辞の話。この2011 年4/1から3日の出来事は自分の中でセットなので、つい一緒に思い出してしまうのですが、本当は、あの日入社してくる新入社員にじゃなくて、一緒に働いている仲間の背中を押したかった言葉が、前日一生懸命推敲して覚えて話した言葉が、彼ら彼女らに届いたこと、まあみんなは覚えていないだろうし私も具体的に何を何て言ったかほとんど覚えていないんですけど、だけど、潤んだ目で「良かったっす」って声をかけてくれた何人もの後輩の顔を、思い出すという話なのです。どんな言葉を残したか、どんな仕事をしてきたかの羅列じゃなく、誰かに褒められるためでもなく、その言葉によって誰かが少しだけでも生きやすくなる、そんな瞬間にしがみついて言葉を紡いでいることを思い出す四月。

これはすべて自己満足でただの私の陶酔だけど、あのときよしやることやった、伝えること伝えたから君の現世での仕事終わりね、って一旦空に引き寄せた神様が、いやいやちょっと待て、お前もうちょっとやらなあかんわ、もうちょっと頑張ってからこいや、って蹴り戻して今の私があるんんじゃないかと思ったりしています。そういう設定でやっていく。あれから10年も経ってしまったけど、まだまだ足りないということですよね。そりゃ足らんわ。