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子どもの頃は遊びを作る天才だった

「影の上を歩かへんかったら、死ぬこと~」

小学生の頃、そんな極端なルールを決めて友達と影のあるところを必死に探して踏みながら帰った。途切れる木と木の影の間を飛んだり、狭く短い軒下の影をつま先立ちの横歩きで小走りしたり、影のない一面田んぼの小道では、誰か一人の子の影に群がったり。

今思い出してもしょーもなくて楽しい遊びだなと思う。帰り道という環境はただそこにあるものだけど、特別なアトラクションがなくても、自分たちで作ったルールに想像力を付け加えていくらでも遊べた。遊びを楽しくするために、時には自分たちの動きを自らで制限するような、「影の上を歩かなかったら、死」という(笑)極端なルールを課してみたり。もちろんそんなことでは死なないとも分かっている。制限のある器の中で何ができるのか、目の前の環境をどのくらい活かせるのかを、楽しむ。

それが遊ぶということなんだよな、ということをふと思い出していた。なんでそんなことを思い出したんやろう。でもそれが他愛もないことであっても、過去に自分がやったことや考えていたことの中に真の自由さのヒントがあるというのは、小野美由紀さんのワークショップで得た感覚かもしれない。

全く分かり合えなさそうな気もするけど、それでもいいから誰かと子どもの頃にした分かり合えないしょーもない遊びのことを話してみたい。

ちなみにこれらに引き出されるように思い出したのだけど、両親共働きの一人っ子だった私は、彼らとでも友達とでもなく一人で遊ぶ、という機会も多かったゆえに、一人遊びの天才でもあった。寂しくはあったけど、子どもの頃の方が工夫して遊んでいたような気がするな。人形なんかなくても草木が会話して物語が生まれたし、鏡を床に置いて、写った天井の世界を覗き込んで冒険したり、名前のない遊びをいっぱいしていて。それって家族でハワイに行った思い出も兄弟姉妹とキャッチボールやおままごとをした思い出もないけれど、かなり自分の想像力を形成してくれているなと思う。

まあ。ひとり遊びが得意過ぎて人と遊ぶのが未だ不得手っていうのも長所であり短所なので、たまには人と遊ぼう。これは今年のテーマにもして、自分の趣味じゃない人の趣味を、人と一緒にやってみる、みたいなことは機会がある限りたくさんしたいなと思う。しゃりしゃり心を刷り合わせたい🍋