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書籍解説No.19 「団地と移民 課題最先端「空間」の闘い」

こちらのnoteでは、毎週土曜日に「書籍解説」を更新しています。
※感想文ではありません。

本の要点だと思われる部分を軸に、私がこれまで読んだ文献や論文から得られた知識や、大学時代に専攻していた社会学、趣味でかじっている心理学の知識なども織り交ぜながら要約しています。

それでは、前回の投稿はこちらからお願いします。

19弾の今回は「団地と移民 課題最先端「空間」の闘い」です。

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本著では、人種的・民族的マイノリティに属する人たちが、日本で生活を送るなかで抱える困難や苦労、そしてその壁を乗り越えようとする日本人と外国人の試みが描かれています。


【在留外国人の増加】

訪日する外国人の数は年々増加しており、在留外国人数は282万人(2019年6月末時点)を超え、外国人技能実習制度や特定技能をはじめとした単純労働者の受け入れも積極的に行っています。外国人技能実習生に関していえば、来日者数が年々増加しており、既に来日している人は約28万人といわれています(OTIT外国人技能実習機構)。

外国人技能実習制度に関しては【ふたつの日本 「移民国家」の建前と現実】の記事でまとめていますので、参照ください。

外国人の増加は自明ではあるものの、政府は「移民政策はとらない」「移民は認めない」という姿勢を崩しません。これはおそらく、排外的な極右勢力と、安価な労働力を求める経済界への折り合いをつけるための建前だと予想されます。
しかし、こうした建前と現実の間では既に乖離が生じています。このズレにより、移民に関する政策が未だに形成されておらず、格差・貧困・差別が放置されるといった弊害をもたらしています。

そこで、ハード面の受け皿として機能するのが「団地」であると著者はいいます。

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【芝園団地】

埼玉県川口市は全国的にも在留外国人の多い自治体であることから、私自身も昨年夏にフィールドワークの一環として訪れました。
当団地は全2500世帯の大型団地ですが、半数の世帯が外国人住民であり、そのほとんどがニューカマー型の中国人です。

ニューカマー型 ― 主に1980年代以降に来日した外国人が集住するようになった類型。大都市中心部から郊外や地方へ分散している。
オールドタイマー型 ― 戦前から日本に暮らしていたコリアンや中国人など、定住外国人が集住する類型。主に既成市街地や旧来型の鉱工業土地にまとまって住む。

実際に街を歩いてみると、蕨駅東口からまっすぐに伸びているメインストリートはどこにでもあるような駅前通りといった様子でした。そして、行き交う人たちは決して外国人ばかりということはありませんでしたが、中国人をはじめとした東アジア系だけではなく、南アジア系や中東系の顔立ちをした人ともすれ違いました。

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芝園団地は蕨駅から10分ほど歩いたところにありました。広い敷地内には中国語表記の商店があり、飲食店のメニューには日本語と中国語が併記されていました。また、保育施設や学校もあることから、外国人居住率の高さがうかがえます。

芝園団地は都心に近く、家賃に比して間取りも悪くはない。何よりもURは収入基準さえ満たしていれば、国籍に関係なく入居できます。民間の賃貸住宅は外国人に対しては審査が厳しいし、なかには露骨なまでに差別的な対応をされてしまうこともある。そうした点、公共性のあるURならばそうした心配はありません。
(本文より引用)

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この芝園団地がある川口市はかつて、大規模な差別デモの舞台となりました。
「在日特権を許さない市民の会(在特会)」など、外国人排斥を主張する差別集団は日本各地で排外運動を展開し、外国人、なかでも在日コリアンや中国人を標的に「日本から出ていけ」「死ね」「殺せ」と叫びながら差別デモを繰り返し、なかには日章旗や旭日旗だけではなく、ナチスのシンボルであるハーケンクロイツを掲げる者まで現れたといいます。
そのほか、団地内で発生したいたずらやゴミ出しのルール違反を中国人の噂だと喧伝されるなど、日常的にも肩身の狭い立場に置かれているようです。

クルド人をはじめとした外国人の子どもを対象に、ボランティアで日本語や英語を教えている川口市在住の女性は、地域共生という課題について以下のように述べていました。

「在留外国人が増加する一方で、外国人の子どもへの教育・心身面のケアが行き届いていない」

「なかには日本語が分からないことで授業についていけず、疎外感やいじめといった理由から不登校になる子どももいる」

「地域の外国人に対する許容心も不十分で、状況が変わるには時間を要するだろう」


【地域共生の試み】

「共生」はしばしば「同化」や「統合」を企図・正当化する根拠とされてしまいます。

移住者にとっての教育とは、単純に知識や技能一般を獲得する手段となるだけではなく、それは移住先社会の言語や文化を学び、新しい環境への適応を円滑にする機会となります。しかし、このプロセスが協調されすぎるとき、教育はマジョリティによるマイノリティの「同化」の単なる手段となってしまうのです。

同団地では「地域共生」の実現に向けて、多様な試みがなされていました。
岡崎広樹氏は、団地の住民や自治会役員、役所の職員、大学生といった関係者らに掛け合い、2014年に同団地商店会主催の秋祭りイベント「にぎわいフェスタ」を開催し、そこでは中国人の住民が「水餃子店」を出店しました。これまでイベントを主導し参加するのは日本人で、中国人はそれを見ているという構図だったものでしたが、このときに初めて外国人住民による出店がなされたといいます。

また、2015年には大学生を中心とした「芝園かけはしプロジェクト」という、団地内の住民の交流を促進し、高齢化に伴う問題解決や多文化共生に取り組みことを目的としたボランティア団体が結成されました。
彼らは、団地の共用スペースにある中国人へのヘイトスピーチの落書きで染まった木製テーブルを一新して「アート」に発展させたり、夏祭りにボランティアとして参加し、イベントを開催したりするなど、多様な取り組みを続けています。

芝園団地に住む住民の一人(中国人)は、著者の取材に対して以下のように答えています。

「日本人の知人が増えたことで、ごみの出し方も知った。同時に、我々中国人を怖がっている人に対し、けっして中国人は怖い存在ではない、当たり前の人間であることも知ってもらえた」
(本文より引用)

本著のなかでは、芝園団地の例に限らず、地域共生の実現を試みる日本人と外国人の姿が描かれています。


【まとめ】

日本の団地ではいま、主に高齢者住民と外国人の間に深刻な軋轢が生まれています。異なった生活習慣と文化をもった人々への嫌悪(ゼノフォビア)は、まだまだ日本では根強いと著者はいいます。
そして、メディアはそうした外国人が集住する地域や団地を「ディープな場所」「危険な場所」として取り上げる傾向があり、いたずらに視聴者の危機を煽るものばかりです。しかし、実際に足を踏み入れてみると、そこはディープな場所でも何でもなく、彼らの日常の場があるだけなのです。

日本と他の国との間では文化や習慣などに違いがあることは言うまでもありません。そうした外国人が来日し、最初はルールの存在を知らずにごみの出し方を間違えたり、日本語が分からないためにルールを理解することもできなかったりすることは仕方がないことではないでしょうか。
たしかに、住民のなかには日本の習慣を知ろうとせずにマナー悪く振る舞う人もいるでしょう。しかし、そうした一部分から「○○人はモラルがない」「外国人はダメだ」と十把一絡げに判断してしまうことは道理にかなった考え方ではありません。

日本人が外国を訪れたときに、その国のルールが分からず間違いをしてしまうことと同じです。私自身もヨルダンに2年間に滞在した際には、同様の壁にぶつかることもありました。
一度の間違いを大袈裟に取り上げられ「ルールを守らない住民」「治安を乱す住民」として非難のまなざしを浴び続けることに、私たちは耐えられるでしょうか。人種的・民族的マイノリティに属する一部の住民はこのような葛藤を抱えて生活しているのです。

最後になりますが、移民の増加というのは民意に沿うものとは言い切れず、とかく批判的に扱われ、排他と偏見の対象となりがちです。ヨーロッパでは、移民の増加に伴って排外主義が高まり、各地で極右政党が躍進しています。移民によってもたらされる危機を煽り、排外主義を高めることで、「反移民」を旗印に掲げる政党が票を集めています。

日本は未だ、ヨーロッパをはじめとした海外各国と比較して在留外国人の比率が小さいことから、選挙戦略として移民問題を掲げる政党及び候補者が現れてはいません。ゆえに、排外主義的な団体はあっても、大衆的な影響を現段階ではもたらさないと考えられます。
しかし、少子化と高齢化が進行する以上、好むと好まざるとにかかわらず移民は今後も間違いなく増え続け、外国人の存在感は増していくことになるでしょう。もしかしたら何かの事件が起きた時に、移民問題を掲げる政党や個人が台頭する可能性は十分にあり得るわけです。
そうしたポピュリズム的な手法によって大きく変動した国々が今どうなっているか、今一度考え直さなければならないと思います。

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