見出し画像

書籍解説No.22「新・日本の階級社会」

こちらのnoteでは、毎週土曜日に「書籍解説」を更新しています。

前回の投稿はこちらからお願いします。

今回取り上げるのは「新・日本の階級社会」です。

画像1


本著では日本国内で生じている格差社会の実態をデータベースで綴っており、著者によれば新たな階級社会化が進行しているとしています。


【社会の分断】

格差の問題は、現代の日本社会で最も重要な政治的争点の一つといえるでしょう。

1970年代の日本は「一億総中流」が謳われ、当時の国民約一億人が豊かな生活を送る社会といわれていた時代です。それは、ヨーロッパにおける不平等な階級社会、アメリカでの人種・民族問題、ソ連をはじめとした共産主義国が掲げる完全平等の理想と現実のズレなど、世界各国の社会情勢と比較しても格差の少ない社会であるとされていました。

ところが1980年頃から状況は一転し、社会の所得格差を示す指数であるジニ係数産業別賃金の格差は徐々に拡大し始めます。
その拡大は今なお是正されておらず、近年は非正規雇用者(アルバイト、契約社員)の増加、貧困率の上昇、未婚率の上昇、人々の生活及び政治意識の変化、アンダークラスに属する人々の出現など、多くの社会の変容をもたらしています。そして、格差には富裕層と貧困層の分断という意味合いだけではなく、両者の間には搾取のような構造化された支配関係が存在しています。
こうしたことから、著者によると今の日本社会は「格差社会」という生ぬるい言葉で形容するものではなく「階級社会」であるとしています。

以下では、格差・階層化に関する2つの代表的な説明モデルをまとめます。


【マルクス「階級論」】

格差・階級化に関する有名な説明モデルの一つにK.マルクスの「階級論」があります。
マルクスによると、産業社会の進展は資本家階級(ブルジョワジー)と労働者階級(プロレタリアート)の階級に二分し、両者の対立をもたらすとしています。そして、両者の階級の違いをもたらす要因は生産手段(道具、機械、建物)の有無であり、資本主義社会では資本家をはじめとした一部の人々が生産手段の大部分を占有していることから、搾取の構造が出来上がります。

しかし、現実にはマルクスの予想に反する事象が起きました。

●新中間層の出現
企業の成長に伴い、単一のものと想定されていた労働者階級(被雇用者)のなかから専門・管理・事務職に従事するような「新中間層」が出現した。
・旧中間層 ― いわゆる自営業で、人を雇ったり雇われたりせず、自分と家族が働いて生産活動を行う。
・新中間層 ― 企業拡大に伴い、元々資本家階級が行っていた業務の一部(管理・監督)が労働者の一部に任されるようになった。業務内容が高度であり、労働者階級に位置する人たちを管理・監督する立場にある。

●所有と経営の分離
組織が拡大化、複雑化していくなかで企業経営には高度な知識や経験が必要になったことから、専門経営者が所有者から独立、すなわち資本家と経営者に分離するという現象が起きた。

●階級闘争の制度化

産業社会の発展の先には、資本家階級と労働者階級の闘争状態に陥ると予想されていたが、実際には交渉の場を共有するようになった。

文献:町村敬志,2019,「格差と階層化」長谷川公一・浜日出夫・藤村正之・町村敬志『社会学(新版)』有斐社,445頁

こうしたことから、マルクスの階級闘争モデルは次第にリアリティを失っていきます。


【ソローキン「成層論」】

P.A.ソローキンは、マルクスの階級概念から「成層」という概念を提起しました。
成層とは、社会的資源の配分と人々の社会移動に応じて複数の階級が形成されていく過程をさします(町村,2019)。そこでは、人々の努力に応じて社会的地位や資源の配分がなされ、社会移動が可能になるとされています。社会移動とは、階級に属する社会成員が社会的地位を移動させる現象をいいます。

つまり、生まれながらの身分や属性による地位決定ではなく、個人の成し遂げた業績に基づいて職業や地位が獲得される過程が優越されるとしています。そして、マルクスの階級論のように階級同士が闘争状態に陥るのではなく、それらは相対的な差異であり地位の移動も可能になるといいます。


【複雑化する階級】

前述したように、著者は今の日本社会を事実上の「階級社会」であるとしています。その階級は、かつてマルクスが定義したものよりも複雑化しています。

以下は、本著で描かれている階級について簡略化し、まとめたものです。

資本家階級 ― (経営者・役員)
新中間階級 ― (被雇用の管理職・専門職・上級事務職)
旧中間階級 ― (自営業者・家族従業者)
労働者階級 ― (被雇用の単純事務職・販売職・サービス職・その他マニュアル労働者)
非正規労働者 ― (パート・アルバイト・派遣社員)

「平成24年就業構造基本調査」より算出されたデータによると、資本家階級は254万人で、就業人口の4.1%を占める。うち女性比率はわずか23.6%。

かつて労働者階級は資本主義社会の底辺に位置する階級でしたが、そこから中間層と呼ばれる人たちが出現し、更には非正規労働者が激増しています。
新たな階級として構成された彼らは、雇用が不安定なうえに賃金も正規労働者に比べて圧倒的に少ないことから、日々の生活はもとより結婚して家族を形成することも難しい状況です。著者の言葉を借りれば、労働者階級が資本主義社会の最下層の階級だとすれば、非正規労働者は「階級以下」の存在、つまり「アンダークラス」と呼ぶにふさわしい立ち位置に置かれています。
アンダークラスとはそもそも、英米国の研究から生まれ、大都市部で生活する少数民族の貧困層をさしていましたが、経済格差の広がりによって一般的な存在となりました。また、今日の日本国内で単純労働に従事する外国人の多くも、このアンダークラスに含まれるといえるでしょう。

また、この構造の内部には性別による格差も生じています。
日本では女性役員が男性と比較して少なく、転勤や出張のある総合職に就く比率が低いことから、性別によって給与面でも格差が生じています。
詳しくは、以前の「ワークライフバランス入門」と「新しい家族社会学」の記事を参照ください。


【所属階級の世襲】

人々は、過去の経験から反復を通じて身体へと刻み込まれていきます。この社会化(学習)のプロセスを通じて、状況に応じた話し方や行動の仕方を認知し、修得していき、自覚の有無に関わらず一定の傾向性や規則性を備えた知覚・思考・評価・感覚・行為を生み出していきます。
このような性向のシステムをP. ブルデューは「ハビトゥス」と定義づけ、人々はこれによって将来の有利さの度合いが決められていきます。

とりわけ子どもは、重要な他者たる母親(あるいは父親)との愛着関係をベースに感じ方・考え方・行動の仕方などを身に付けていきますが、例えばその子どもと密接に関わる大人が不適切なしつけや言動を日常的に行うことで、子どもはそれを内面化していくことになります。学校生活において必要な性向を家庭で習得した子どもは、学校文化に適合し、学業成績の競争も可能でしょう。しかし、それを家庭で学習できなかった子どもは、学校生活にうまく馴染むことができずに問題児として扱われ、やがて孤立し、いじめの対象にもなりかねません。
つまり、父親の所属階級は子どもの学業の成績や学校での体験(いじめ、不登校)に密接に関わっており、言い換えれば、所属階級には親から子へと継承されるような世襲的性質があるというわけです。

具体的な例として、幼少期に本が家にあって読書の習慣が身についていたか、家庭で日頃からニュースや新聞に触れる機会があったか、習い事・クラブ活動を通じて文化やスポーツを体験してきたかなど、人的・物的環境の有無、そして想像力や好奇心を養う機会は、子どもの学業の成績やその後の人生に多大な影響を及ぼします。
本著で明らかにされているデータによると、15歳の頃に「家に本(マンガ、雑誌、教科書を除く)が25冊以下しかなかった人の比率」は資本家階級が44.5%、新中間階級が33.1%に対し、アンダークラスでは53.7%だったといいます。

まとめると、経済的裕福度は教育の機会(塾や習い事)に直接的に影響を及ぼし、そして学校で一定程度の成功を収めるには、状況に応じた話し方、適切なコミュニケーション方法、想像力や好奇心の豊かさ、目標及び時間管理といった多様な条件を備えなければなりません。
それらの条件を備えるために基礎的で重要な場となるのが「家庭」なのです。


【まとめ】

日本の階級構造は今なお変化し続けており、資本主義社会のもとでは必然的に資本家階級に富が集中し、反対に労働者階級は窮乏化していきます。かつて、産業化は世代間移動を活発化させるという産業化仮説が謳われていたものの、実際には産業化がある程度まで進むと階級構造が安定し、移動が減ってくることを示しました。

それでは、格差の拡大は社会にどのような影響をもたらすのでしょうか。
本書では、以下の三点が挙げられています。

●アンダークラスを中心とした膨大な数の貧困層を生み出す。
一部の人たちは昇進の見通しがなく、福利厚生の恩恵を受けることができない。将来的な不安が付きまとい、とりわけ精神的な病気を抱える人が多い。
●社会的コストが増大する。
貧困層の増大に伴って税金を納められないケースが増え、それと同時に社会保障支出も増大する。
●格差の固定化により、更なる社会的損失が生じる。
階級の継承によって格差が固定化し、貧困層など一部の子どもが教育を受ける権利を奪われる。多くの才能が貧困によって埋もれ、莫大な人的資源の損失となる。

個人化が進む現代社会では、あらゆる場面で「自己決定」を求められ、そこから生じる結果には「自己責任」がついて回るようになりました。そのため、貧困に陥ることも「自己責任」であるとして片付ける論調が事実として現代社会にはあり、それはかなりの浸透率をもっています。
しかし、格差は個人の努力云々で克服できるものなのでしょうか。離死別によってアンダークラスへと陥ってしまう女性や、リストラによって正規雇用から外れてしまうような男性も、それは自己責任と呼べるでしょうか。離別にはもしかしたら自分の選択という側面があるかもしれませんが、やむを得ず陥ってしまうケースも少なくないでしょう。

「貧困に喘ぐ人、必要な教育を受けられない人は努力不足である」とみなされるような「自己責任論」が浸透した社会下では、すべての事象を自己責任に帰することによって格差が生じる仕組みを免罪してきました。そのなかでも象徴的な事象の一つが、非正規労働者の増加です。
正規雇用が縮小している昨今では、正規雇用を望みながらもそれを果たせず、非正規労働者として従事している人もいます。そして、外食産業やコンビニ、流通産業、清掃業などといった現代社会の利便性や快適さの多くは、低賃金の単純労働に従事するアンダークラスの存在によって可能となっています。

しかし、彼らは他の階級との間の決定的な格差のもとに置かれ、将来の見通しもないなかで苦しみ続けているのです。

この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

よろしければサポートお願い致します。今後記事を書くにあたっての活動費(書籍)とさせていただきます。