GENCOS|ドイツパン修行録

5分で読めるリアルタイムサクセスストーリー純文学。【毎週日曜夜8時更新】※約3000〜…

GENCOS|ドイツパン修行録

5分で読めるリアルタイムサクセスストーリー純文学。【毎週日曜夜8時更新】※約3000〜4000文字 [8年半のドイツでの修行を経て晴れて製パンマイスターとなった男が、日本へ帰国しドイツパン職人として新たなスタートを踏み出した物語。]YouTube、Instagramもやってます!

マガジン

  • ドイツパン修行録~アイム(・ノット)・ア・ストレンジャー編~

    8年半のドイツでの修行を経て製パンマイスターとなった男が、日本へ帰国しドイツパン職人として新たなスタートを踏み出した物語。

  • ドイツパン修行録~E.W.J編~

    ヨーロッパ・ドイツに移り住み製パン修行、そして製パンマイスター取得を果たした8年に渡るドイツ生活をいよいよ終わりにしようと決めた男の在独9年目、最後の日々の物語。

  • 【創作大賞2023】短篇集「クリスマス・プレゼント」

    ―クリスマスの日に交錯する、小さな町の4つの物語。― 「パンの町」と呼ばれる小さな町に3年ぶりに雪が降る。 コンプレックスを抱き引き籠るようになった少女・ナツメと、突如現れた隣町の少年・ジェネシスとの幼く純粋な愛。 生まれ故郷のこの町に後ろ足で砂を掛けるように外国へ飛び出しパンの修行に挑むも、志半ばで帰郷する事を決断したティミッドの煩悶と葛藤。 妻を亡くした絶望から共に営んだカフェを畳む事を決心したオースと彼を支える友人との深い絆。 そしてクリスマスの夜、町に夢を見せようと企む2人の若者・ケインとエーレの希望。 小さな町で起こる小さな物語がそれぞれに絡まり合い「パンの町」に感動を生む、全5話構成の短篇集。

  • ドイツパン修行録~ベル・エポック編~

    続・習うより慣れろ編/遂に念願の製パンマイスターとなりマイスターブリーフを手に入れた男が、ドイツの小さな町のパン屋で働きながら更なる次のステップを見据え腕を磨いていく物語。

  • ドイツパン修行録~習うより慣れろ編~

    6ヶ月に渡る製パンマイスター資格への挑戦を終えた男が、ドイツの小さな街角にたつパン屋で働きながら実践の中で知識を深めていく物語。

記事一覧

*37 ギャンブラー

 織田信長は新しい物好きであったという逸話を耳にした事があった。鉄砲もカステラも、南蛮から伝わった文化を進んで受け入れたのが信長公である、と。私が今生業としてい…

*36 グリス

 パンの起源を追い掛け、古代エジプトの世界を一頻り駆け巡った後、現代と古代とを繋ぐ扉である本をぱたんと閉じた途端に、何とも言い得られぬ猛烈な虚無感に襲われた。本…

*35 アーティザンシップ

 故郷の味と郷土料理とでは同じ地点を指していたとしても思い当たる物に違いが出る。私の生まれた信州の郷土料理と言えば例として蕎麦などがあるが、これがそのまま私にと…

*34 キャロットケーキ

 水の張られた田圃に陽の光が弾み煌々と輝く様がなかなか見応えのある美しさだと思った時、この感性は身体的成長にともない育まれたのか、それとも精神的成長にともない培…

*33 裏方

 日本に帰って来たら、一先ず日本の四季を味わわねば話にならない、と念頭に置き、秋を見て、冬を越え、そうして春である。最も春らしい雪解けと、気温が如実に春めく様は…

*32 実を粉にして

 仕事を仕事と思えぬ悪癖は初めて社会へ出た時からあった。いつでも労働という意識の代わりに体験という感覚が強かった。私は今、まさにその悪癖が仇となって一般の前に膝…

*31 ミスフィット

 エドガー・ドガの「カフェにて(アブサン)」という作品を知ったのは大凡七年前である。その絵でアブサンという酒を知った。そうするとエドゥアール・マネの「アブサンを…

*30 今なんて所詮未来の過去回想

 ルーヴル美術館でカメラを持った大勢の人間に包囲されたモナ・リザを見た時、セピアの肖像でしか見た事の無いレオナルド・ダ・ヴィンチが実際に描いた絵である、という歴…

*29 クレッシェンド

 着々と春は進む。みるみる内に草葉を碧らせ、花を芽吹かせる。動物の活力を蘇らせ、人間の希望を漲らせる。四月最初の土曜日からカフェ営業を開始し、そうして日曜日は日…

*28 カフェ

 カフェと聞けば私はすぐにゴッホの絵を思い出す。「夜のカフェ」と題されたその絵はビリヤード台を中心に何人かの異端者と思しき人物が描かれている。全部で六人いる内の…

*27 エチュード

 すっかり春の気候である。冬の間に春以降の作戦を練ろう、準備をしておこうと言っていたのも束の間、その冬もあっさり抜けた。振り返ってみると矢ッ張り今季の雪は大した…

*26 ハーミット

 ドイツでのみパンを学んできた私は、何時しかパンという物を農作物の類として数えるようになった。これは何もドイツの畑では土からパンが掘り起こされるという事を言いた…

*25 もあ

 ドイツを飛び発って、日本に降り立って半年が経った。これで漸く半年か、と思った。毎度の節目毎に一々振り返ってなぞっていては限無いが、半年は立派な、振り返るにも相…

*24 獣道

 マイスター学校に通っていた時分、経営学の科目には一際苦戦した。経営学の授業など日本語で受けてもある程度難しい筈だのに、基礎の無い私がそれをドイツ語で受けるんだ…

*23 キノユルミ

 スマートフォンに届けられるニュースの中に「フリーランスあるある」という世俗的な題名を見付けたのが奇しくもその時であった。不断であれば見て見ぬふりをしてさっさと…

*22 猫の手

 一月末の時点で、二月は忙しくなりそうだという予感が起こったのは、占星術の思し召しでもタロット占術の絵札の配置でも無く、私の直感によるものであった。直感と呼ぶに…

*37 ギャンブラー

 織田信長は新しい物好きであったという逸話を耳にした事があった。鉄砲もカステラも、南蛮から伝わった文化を進んで受け入れたのが信長公である、と。私が今生業としているパンが伝わったのも全くそれと同時である。一五四三年にポルトガル人が種子島に漂着し鉄砲もパンも伝えられた御陰で、私が今パンを売る時に態々「パンというのは小麦と水を練り合わせてですね、」などと説明せずに済んでいるわけである。  信長亡き後、時は流れその内世界をすっかり断絶した鎖国の時代は二〇〇年と続いた。パンもカステ

*36 グリス

 パンの起源を追い掛け、古代エジプトの世界を一頻り駆け巡った後、現代と古代とを繋ぐ扉である本をぱたんと閉じた途端に、何とも言い得られぬ猛烈な虚無感に襲われた。本を閉じるという一つの行為で数千年という歳月が瞬く間に経過するわけであるから、暫し思考がついて行かれぬ事によるものかとも思ったが、直ちにどうもそれだけでは無さそうだと思ったのは週末に咀嚼し尽くしたかに思われていた“現実”がまだ歯間に舌裏に挟まり残っていたからである。  超未来志向社会の日本において古代へ思いを馳せ

*35 アーティザンシップ

 故郷の味と郷土料理とでは同じ地点を指していたとしても思い当たる物に違いが出る。私の生まれた信州の郷土料理と言えば例として蕎麦などがあるが、これがそのまま私にとっての故郷の味かと問われれば稍否定したい様な気持ちになる。無論、昔から蕎麦は身近である。小学生の頃には教室から畑へ場所を移し皆で蕎麦を栽培した事もあるし、父に蕎麦の打ち方を教わった事もある。今年に入って遠方から尋ねて来てくれた友人を連れて、折角長野に来たからと信州蕎麦の美味い店にも行った。紛れもない郷土料理である。然し

*34 キャロットケーキ

 水の張られた田圃に陽の光が弾み煌々と輝く様がなかなか見応えのある美しさだと思った時、この感性は身体的成長にともない育まれたのか、それとも精神的成長にともない培われたのか気になった。少なくとも少年時代の私はまさかそんな事を感じた事は無かった。況して、黄金色の穂靡く秋の田でもない、この時期の水の張っただけの田に態々注視する理由が無かった。蛙の鳴き声が聞こえて嫌だと思ったくらいのものである。  今年に入り予々、雪の白に始まり、桜、菜の花と自然生態の漸次的移行が目に留まってその

*33 裏方

 日本に帰って来たら、一先ず日本の四季を味わわねば話にならない、と念頭に置き、秋を見て、冬を越え、そうして春である。最も春らしい雪解けと、気温が如実に春めく様は身に覚えがある。満開の桜の下も歩いた。菜の花の黄色の中も巡った。その何れもがすっかり同じ緑色に姿を変えた季節の流れを、不図輪郭を持って見付けた時、春の儚さを改めて知るに至った。その儚さたるや人の夢の如しと喩うより、夢に見る人の如し、会えたと思えばすっと跡形も無く姿を消し、後になってあれは幻だったかと思う。異なるは、花は

*32 実を粉にして

 仕事を仕事と思えぬ悪癖は初めて社会へ出た時からあった。いつでも労働という意識の代わりに体験という感覚が強かった。私は今、まさにその悪癖が仇となって一般の前に膝を竦ませているのかもしれないと思った。  日本で宮大工として働いていた頃、どれだけ長時間働く必要があっても、どれだけ上司から滅茶苦茶な叱り方をされても、どれだけ責任ある作業を任されても矢ッ張り労働をしている意識は最後迄生まれなかった。無論これは手を抜いていい加減に仕事に取り組んでいたというのではない。寧ろ上司や会社

*31 ミスフィット

 エドガー・ドガの「カフェにて(アブサン)」という作品を知ったのは大凡七年前である。その絵でアブサンという酒を知った。そうするとエドゥアール・マネの「アブサンを飲む男」という作品に行き着いた。いずれの作品にも不穏な空気が漂う。  悪魔の酒と呼ばれるほど中毒性のあったアブサンは数々の芸術家を破滅へ追いやったと聞いた時、ドガの絵に描かれた紳士淑女も、マネの絵に描かれたシルクハットの怪しげな男も、或いはその作者であるドガやマネが、まさに悪魔に飲み込まれんとしている様でぞっとした

*30 今なんて所詮未来の過去回想

 ルーヴル美術館でカメラを持った大勢の人間に包囲されたモナ・リザを見た時、セピアの肖像でしか見た事の無いレオナルド・ダ・ヴィンチが実際に描いた絵である、という歴史的事実が瞼の裏側に突如として立体的に浮かび上がった。面識のある筈も無い遥か昔の時代を生きたダ・ヴィンチという男の制作姿が薄っすらモナ・リザの瞳の奥に透けて見える様であった。  かの明治の文豪、夏目漱石の作品は作品毎に登場人物は異なりながら、皆どこか漱石の面影が残っている。明治時代の埃っぽい情景に広がる薄雲った空の

*29 クレッシェンド

 着々と春は進む。みるみる内に草葉を碧らせ、花を芽吹かせる。動物の活力を蘇らせ、人間の希望を漲らせる。四月最初の土曜日からカフェ営業を開始し、そうして日曜日は日曜日で忙しくしていた私は、月曜日を休日と定めると、春眠暁を覚えずの句の如く、無理矢理にでもゆっくりまで眠った。日頃は日の昇るより先に起きるから何れにしても暁を覚えぬわけであるが、矢張り一週間の内に一日だけでも朝を朝と感じて目覚める日があると心地が良い、という事に気が付いた。ドイツで八年、深夜に目を覚ます生活にすっかり慣

*28 カフェ

 カフェと聞けば私はすぐにゴッホの絵を思い出す。「夜のカフェ」と題されたその絵はビリヤード台を中心に何人かの異端者と思しき人物が描かれている。全部で六人いる内の半分が机に突っ伏し、一組の夫婦は奥の席で俯き、そうして一人、白い服に身を包んだ男がビリヤード台の向こうに佇み、こちらをじっと見ている。何とも怪しげである。  然しカフェの内装に目を向けると、板床に壁は気品ある深紅、金の額縁に入れられた絵画が掛かっており花瓶に花まで生けてある。至って優雅な内装である。昼間には屹度例に

*27 エチュード

 すっかり春の気候である。冬の間に春以降の作戦を練ろう、準備をしておこうと言っていたのも束の間、その冬もあっさり抜けた。振り返ってみると矢ッ張り今季の雪は大したことが無かったんだと気が付く。ここで言う大したことが無いとは私がまだ子供であった時分との比較である。あの頃の冬の田圃は雪で深く高く埋め立てられていた。  ウィンターシーズンに集中する外国人スキー客に照準を合わせて駅のカフェに置いていたプレッツェルも今週になって容赦無く売れ残る様になった。まあ端から三月末で販売終了の

*26 ハーミット

 ドイツでのみパンを学んできた私は、何時しかパンという物を農作物の類として数えるようになった。これは何もドイツの畑では土からパンが掘り起こされるという事を言いたいわけではない。然し乍ら収穫したばかりの土の付いた野菜と、窯から出したばかりの粉灰の付いたパンとが肩を並べている情景は全く私の言いたい事を具現化した物と呼べる。仮にそれが高級生食パンやメロンパンであった場合を想像すると場違いに思えよう。然しそれがライ麦パンであった場合、或いはプレッツェルであった場合、例え互いに土や粉を

*25 もあ

 ドイツを飛び発って、日本に降り立って半年が経った。これで漸く半年か、と思った。毎度の節目毎に一々振り返ってなぞっていては限無いが、半年は立派な、振り返るにも相応しい節目に違いない。  三月十一日、未だ日本列島の古傷は痛もう。高校を卒業した直後に大きな揺れに見舞われ、それから数年後に松島や女川を訪れた。想像していた以上の広大な更地と仮設住宅の行列は今なお思い起こされる。海を渡ってからはドイツ語の新聞の中に毎年その記事を見付けては、もう何年と経ったか、もう何年、と高校を卒業

*24 獣道

 マイスター学校に通っていた時分、経営学の科目には一際苦戦した。経営学の授業など日本語で受けてもある程度難しい筈だのに、基礎の無い私がそれをドイツ語で受けるんだからその齷齪とした悪戦苦闘ぶりは想像に難くないだろう。借方と貸方の代わりにSOLLENとHABENで学んだ簿記も、ドイツ式と日本式を一々照らし合わせる確認作業の分、クラスメートの倍の時間が必要になった。それで必死に食らいついて、どうにか経営科目のマイスター試験も合格出来たから御の字であったが、矢ッ張り試験の為の勉強とし

*23 キノユルミ

 スマートフォンに届けられるニュースの中に「フリーランスあるある」という世俗的な題名を見付けたのが奇しくもその時であった。不断であれば見て見ぬふりをしてさっさと退けそうな記事をその時に限って態々開いて見ると、その中の項目の一つに「無理に頑張り過ぎて体調を崩しがち」というのがあった。妙な予兆か、或いは第六感の仕業か、それを読んだ時の私は俄かに体調の違和感を覚えていた。  その日は駅でのパンの販売の最終日であった。実際に駅に立ったのは十一日であったが、期間で言えば凡そ二週

*22 猫の手

 一月末の時点で、二月は忙しくなりそうだという予感が起こったのは、占星術の思し召しでもタロット占術の絵札の配置でも無く、私の直感によるものであった。直感と呼ぶには芽の出そうな種の場所を把握し過ぎていたが、それでもその種が本当に発芽するのかという点においては矢ッ張り不確実な予感に頼らざるを得なかった。漠然と忙しくなるだろうという予感があったわけでもないが、そうかといって一月末の時点で二月の予定が全て決まっていたわけでもなかった。  先週から始まった駅でのパンの販売は引き