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*27 エチュード

 すっかり春の気候である。冬の間に春以降の作戦を練ろう、準備をしておこうと言っていたのも束の間、その冬もあっさり抜けた。振り返ってみると矢ッ張り今季の雪は大したことが無かったんだと気が付く。ここで言う大したことが無いとは私がまだ子供であった時分との比較である。あの頃の冬の田圃たんぼは雪で深く高く埋め立てられていた。
 
 ウィンターシーズンに集中する外国人スキー客に照準を合わせて駅のカフェに置いていたプレッツェルも今週になって容赦無く売れ残る様になった。まあはなから三月末で販売終了の予定でいたから、目論見通り丁度いいといった所である。朝の八時半過ぎに配達へ行った時、先月であればまだ観光客がバス乗り場にぞろぞろと連なっていたが、こうも雨が降り、日が照り、冬の匂いがしなくなっては客の行列が出来ないどころか、走るシャトルバスの中を窓越しに透かして見てもほとんからで動いている。すっかり春である。プロ野球も始まった。矢ッ張り春である。
 
 
 月曜日に私が生産者として身を置く道の駅の総会なるものが行われて折角だから出席した。農家であろう人々に混じってパン職人も席に着く。役員と見える者達がスーツに身を包んでいるのみで、それ以外の人は特にかしこまった服装はしていなかった。私と言えば、念の為に其れなり綺麗な格好をしておいた。
 
 総会は丁寧に開会の挨拶から始まった。開会の挨拶をするだけの人が登壇して御辞儀をする。初めてでありながら見覚えのある日本らしい懐かしい光景である。それから来賓挨拶があったり議長とされる進行役が出て来たり、人が一人喋り終わるとその都度拍手が起こったりと、すっかり忘れていた通例を一つ一つ確認しながら議長の進行に耳を向けていた。
 
 そうして一通りの挨拶が済むと、第一号議案から第六号議案迄、説明と承認が繰り返された。私は一番の新参者であるから、今年の所は総会とはどういうものなんだか様子を見るのに徹して、説明される議案とそれに対応する資料を見ながら成程ゝゝなるほどなるほどと大人しく座っていた。驚いたのは、案外周りの人が一つ一つの議案に対して意見や質問を積極的に申していた点であった。
 
 決算から予算案、事業計画から、資料には載っていないが日頃思っている事迄、私の想定以上に次々手が上がる。時に語気に力の入った意見もあれば、時に重箱の隅を突くような意見もあれば、時に素晴らしい着眼点だと舌を巻かざるを得ない意見迄、大変勉強になる意見交換を目の当たりにした。そうして其々の異議申立者もうしたてしゃは皆農家であると見えて、その農家としての信念や拘りを強く感じる議論でもあった。それに少なからず刺戟しげきを受けた私は、背筋の伸びる様な思いで結局最後迄真剣になって人の話に聞き入った。
 
 
 さて、背筋の伸びた私は翌日、友人から頼まれていたパンを受け渡し御代と応援の言葉を受け取ると、ざんざんと降りしきる雨の中、かねてから「カフェでもやってみないか」と相談を持ち掛けられていたレンタルスペースの管理人の元を訪ねた。先週の内に思い付いたカイザーシュ※1マーレンのみを提供するカフェ形態の案を満を持して携えて、である。

 前日にメールで約束を付けてあった時間より十分ほど早く着いてしまったが、大きな硝子ガラス窓越しに建物内に管理人の姿が見えたから車を停めて中へ入った。「早く着いちゃってすみません」と断りながら入ると、管理人はいつものどろんとゆったりした口調で「はい、大丈夫、どうぞいらっしゃい」と迎え入れて、自分の作業を一旦中断すると珈琲の準備にキッチンの方へ入って行った。

 薪ストーブがぱちぱち鳴る。見様によっては殺風景と評されそうな広い空間は、無駄な物がなく洗練されていると私の目には映った。そこへ近々、壁に沿ってぐるりと本棚が設置され一万冊の本で囲まれた空間になるという。プルンクザ※2ールやウィーンの骨董本屋を思い浮かべてしまっては酷であるが、大量の本に囲まれた空間に憧れのある私にとっても大変好都合な計画であった。私が利用させて貰うのは本が入ってからの事である。
 
 
 世間話もたけなわの頃、満を持して私の計画を発表した。管理人の人柄を知っているから却下される心配などはするはずも無かったが、たった一品二品を提供するカフェという案には他者から見ねば気付け得ぬ幾らかの懸念点がはらまれている可能性があったからそれの確認作業であった。
 
 くして管理人からは、やってみてよという至極単簡な、それでいてこちらの考えを肯定した返事があった。そうしてキッチンの設備や施設の使い方なんかの概要も確認した。週末にはそこを利用して飲食業をしている方が既にいると聞いていたから、私の諸々の都合もかんがみた上で毎週火曜日を第一希望としてお願いした。また先々週から始めた注文販売の受け渡し場所としても使わせてもらえると言うから、土曜日に飲食業をされている方に頼んでその一角に立たせてもらう方向で話を進めてその場所を後にした。

 
 全く予想だにしなかった展開がもう目と鼻の先である。車を走らせながら私は一人二役、彼是あれこれと考えた。「君、パン職人を名乗っておいてパン屋の前にカフェをやるなんて全く無粋だね」と、相手役が私に向かって言う。確かにパン屋では無いからそう思われても仕方が無いが、肝心な私の信念に基づいた展望ヴィジョンに注目してみると一向にぶれていなかったから馬耳東風に相槌だけ打っておいた。
 
 するとまた相手役は言う。「そういう事じゃない、カフェの猿真似なんかせずにパン職人ならパン職人らしくさっさ・・・とパン屋を開くもんだ」。そう言われた私は思い描くこれから着手する“カフェ”の計画を脳内で展開して見せた。カイザーシュマーレンとクグロフの二品を珈琲と合わせて提供するくらいのカフェスペースに、幾つかのパンも置いておくつもりでいる。カフェメニューとは別に、手土産程度に買って行く人がいればと思っての事である。ドイツでパンを学んだ私はパンケーキの様なカイザーシュマーレンどころか、スポンジケーキの作り方まで勉強して製パンマイスターの資格を得た。それから厳密な分類ではクグロフもまたパンの一種であるというドイツ式の認識もマイスター学校で教わった。カフェメニューもそこに陳列するパンも一貫してドイツの味を提供出来るなら、パン職人、もといドイツ仕込みのパン職人として、変に焦って日本人客にり寄せた日独混合式の即席パン屋を開くよりもよっぽど有意義に思われる、とむきになる相手役をさとしにかかった。
 
 相手役は依然めげない。「違う違う、また論点がずれた。さっさ・・・と自分の城を築けと言うんだ、客がパンを買いに行けるパン屋という城を。大体が君、いつまでふらふらと彼是あれこれ手を出しては遊んでいる積なんだ」と血相を変えて詰め寄って来る。「八年半過ごしたドイツから帰国してまだ半年ですよ、それは少し焦り過ぎじゃあないですか」。そう返事をするとそこでようやく相手役は静かになる。葛藤との付き合いはこれでも長い積であるからなだめ方もある程度要領を得ている。時として相手役が強い時もすべからくある。
 
 
 その日の晩、管理人からの連絡が入っていたのを翌早朝に気が付いた。「これまで週末に入っていた飲食の方が四月以降抜ける様だから君、週末の人が多い時にカフェをする事も出来そうだ」という連絡であった。これはなお好都合である。注文を受けたパンの受け渡しとカフェを併せて出来れば、カフェよりパン屋を開けと言う“相手役”を一層説得出来よう。私は、それでは火曜日と土曜日の週二日の予定で調整してみます、と返事をした。後は現状与えられている二十四時間を、一日当たり二時間ほど増やせる方法を見付ける必要がある。


 
 
 ※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。 


(※1)カイザーシュマーレン:南ドイツ、オーストリアで食べられるパンケーキの類。
(※2)プルンクザール:オーストリア・ウィーンにある国立図書館。

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