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*28 カフェ

 カフェと聞けば私はすぐにゴッホの絵を思い出す。「夜のカフェ」と題されたその絵はビリヤード台を中心に何人かの異端者アウトサイダーおぼしき人物が描かれている。全部で六人いる内の半分が机に突っ伏し、一組の夫婦は奥の席で俯き、そうして一人、白い服に身を包んだ男がビリヤード台の向こうにたたずみ、こちらをじっと見ている。何とも怪しげである。
 
 然しカフェの内装に目を向けると、板床に壁は気品ある深紅、金の額縁に入れられた絵画が掛かっており花瓶に花まで生けてある。至って優雅な内装である。昼間には屹度きっと例によって“一般人”や知識人なんかで賑わうのだろうと推察すると、この絵に華々しきカフェの裏の一面を見てしまった様な気がして妙な高揚感を覚える。それと同時にこの時代のヨーロッパにおけるカフェの真の存在意義が伺える様で、私はこの絵が好きであった。
 
 
 カフェと言えばウィーンである。伝統的クラシカルなカフェから新進気鋭なカフェまで大変幅広い“コーヒーハKaffeehausウス”がウィーンには文化として在る。歴史ある老舗のカフェは軒並み美麗荘厳びれいそうごんな雰囲気を持っている。洗練された石造の外観に始まり、シャンデリアの吊り下がる上品シックな内装も然る事ながら給仕ウエイターも皆、白シャツに黒のチョッキを被せ背筋を伸ばして歩く者ばかりである。一見して大変敷居の高い、我々一般庶民では到底足を踏み入れる事の許されない施設である様に思われるが、店内には半袖半ズボンにサンダルを合わせた中年の地元民が大声で会話を繰り広げていたりもする。背広を着て新聞を読む老人もまた同様に居る。
 
 
 ウィーンのカフェ文化に纏わるドイツ語の文献を読んだ時、大変印象深い一文が目に留まった。
「ウィーンのカフェは仮令たとえあなたの上着がボロボロでも、財布が薄っぺらくても差別する事なく受け容れます」
 あれほどに絢爛華麗けんらんかれい優美高妙ゆうびこうみょうな空間にしてドレスコードも無いどころか、襤褸ぼろ布を纏った者でさえ分け隔てなく受け容れんとする心意気は何処から来るものかと本を読み進めると、かつてカフェは最も活発な情報交換の場であったと書かれてあった。現代ほど娯楽にもコミュニケーションツールにも溢れていない時代、人が人を、情報を、娯楽を求めて行く場所がカフェであったと書かれてあった。カフェには全てがあったわけである。
 
 
 異端者アウトサイダーも人間である。社会不適合者も落ちこぼれも人間である。そうした人間にも居場所が要る。そうした人間を受け容れたのがカフェであり、そうした情景を描いたのがゴッホである。現代に置き換えれば深夜のファーストフード店の様な景色を描かれたゴッホの絵には、カフェの本来の姿がある様な気がしている。春になってそんな事を改めて考えた。
 
 
 復活祭イースターをすっかり忘れていた私は、かつての同僚や友人からのメッセージを見て、嗚呼、復活祭に合わせてイースターブレッドを作るんだったと悔いた。数週間前に一度試作はしたが、それ以来彼是あれこれと用事が重なって気付けば復活祭を迎えていた。
 
 
 復活祭を明けて、到頭とうとう四月である。一日が月曜日とは何を始めるにも気持ちが良い。世間は新年度。私はと言えば社会的な更新も変更も無いが、個人的にジョギングや食事の節制を始めた。暖かくなると矢ッ張り動きたくなるあたり人間も動物である。久しぶりに走ったら足も体も重たかったが、気持ちの良い汗だと感じる事も無かったが、寒く雪の降る冬の間に疼々うずうずとしていたものをようやく発散出来て満足した。

 それからもう一つの試みであるカフェ営業について、水曜日に借りる場所の管理人と最終の打ち合わせをした。工事が終わったばかりだと言う屋内にはまだ脚立や工具が並んでいた。「御世話様です」と入るや否や、「ちょっと手伝って」と管理人は言って二人でテーブルをそれぞれ設置した。壁沿いに本棚が出来ている。後に古書館を冠する予定だというこの場所では、地域住民の不要になった本を引き取って本棚を埋めるらしく「今日各メディアに連絡して宣伝してもらうんだ」と管理人は言った。顔の広い人らしかった。
 
 値段や営業日やレジの扱い方について話を進める際に、試作したクグロフを切って食べて貰った。切り分けて皿に乗せると俄然“商品”らしい雰囲気が出た。マグカップと並べて宣材写真を撮った。次第、カフェ営業の実感が湧く。

 一頻り打ち合わせを終えると、実際に一度キッチンを使わせて貰ってカイザーシュマーレンを試作した。場所が変わると勝手も変わる。感覚も動きも変わる。そういう点の確認と擦り合わせであると共に、また宣材写真を撮り、管理人に味をみて貰った。バターの焼ける匂いにがする。つい先日にSNSで見掛けた、ドイツ人のシェフがカイザーシュマーレンを作りながら「沢山のバターを使って焼くのがポイントだ」と言っていた姿が脳裏に浮かんだ。更に盛り付けると矢張り一層雰囲気が出る。管理人も「良い香りがするね」と言った。

 実際にその場で動いてみると、少し感覚が分かった。キッチンの使い方は勿論、御客が訪れカイザーシュマーレンを食べるイメージもついた。然しそうは言っても私は素人であるから「これで安心だ」などとはまさかならなかった。それでも二日後には開店である。車を運転する帰り道、不安感と好奇心が妙な高揚感を生んだ。

 くして土曜日、カフェ営業当日を迎えた。その日はカフェで並べるクグロフやパンに加えて注文販売分のパンや道の駅へ納品するパンもあったから夜中の一時から動き始めた。クグロフ、ツォプフ、それからプレッツェル、クロワッサン、パン・オ・ショコラと休む暇無く作っても、それから袋詰めをし配達をし、作業場の片付けを全て済ます前に出発しなければならない時間になった。忙しいと感じる暇も無く時間はどんどん流れた。
 
 
 営業場所に到着すると、建物の中に管理人とあと二人知らぬ人の姿があった。中へ入って挨拶をすると、その内の一人は地元新聞社の記者であった。
 
 持って来た荷物を一ず運び込むと席に着いて取材が始まった。私の経歴なんかを一通り喋った。カフェをするにあたっての意気込みや、来て頂ける御客様へのメッセージを求められた時は、どうやら私の答えが記者の求めた物ではないのだろうという雰囲気が察せられたが、まあ訂正も何もせずそのままにしておいた。
 
 最後になって、カイザーシュマーレンを作ってそれを提供する所を写真に撮るということになり、私は荷物を運び込んだままのキッチンへ入ってエプロンを締めた。この記者に振る舞うカイザーシュマーレンが最初の一つであった。
 
 「どれくらいで作れるか」と聞かれ、本来であれば十五分程貰えれば作れるところであったが、その前に運び込んだ荷物や材料を整理する必要があったから結局もっと時間が掛かった。その間に開店時間を迎えて、私の見えぬ暖簾の向こうに来客があった事が伺えて内心で大変に焦った。
 
 一先ず最初のカイザーシュマーレンは出来上がった。提供する写真も撮った。それで何分かぶりに表へ出た時、既に二組の客が席に着いているのが見えた。開店早々に嬉しい反面、ろくに準備も出来ずに幕の上がった状況に気がいた。あらかじめ何食分かを作れる準備をしておこうと考えていたのも、立看板にメニューを書くことも出来ずに私はキッチンにこもった。調理工程に間違いこそなかったが、暖簾の向こうで何が起こっているんだか、待ち草臥れた客が怒ったりしていないだろうか、全く気が気でなかった。管理人が飲み物の面倒や客の相手をしてくれていなかったら何ともならなかった。

 どうにかこうにかその時間を乗り切ると、午後にはまた別の地元新聞の取材があった。私の注目度と言うより、管理人の顔の広さが成した事である。何はともあれ、気付けば閉店の時間を迎え、気付けばクグロフもパンも空になっていた。裏でてんやわんやしていた間に大変売れていた。全く有難い。
 
 同じ裏方でもパン作りとカフェでの調理ではまるで違った。これも経験である。改善点が見付かったから来週はそれが改善出来たら良しとする。何より来週は日曜日もイベント出店であるから、今朝の様にカフェ営業疲れで寝坊してしまわぬ様に気を付けねばならない。
 


 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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