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*24 獣道
マイスター学校に通っていた時分、経営学の科目には一際苦戦した。経営学の授業など日本語で受けてもある程度難しい筈だのに、基礎の無い私がそれをドイツ語で受けるんだからその齷齪とした悪戦苦闘ぶりは想像に難くないだろう。借方と貸方の代わりにSOLLENとHABENで学んだ簿記も、ドイツ式と日本式を一々照らし合わせる確認作業の分、クラスメートの倍の時間が必要になった。それで必死に食らいついて、どうにか経営科目のマイスター試験も合格出来たから御の字であったが、矢ッ張り試験の為の勉強として詰め込んだ知識は短命である。
週の始めの日曜日。なおも病み上がりの呆けっとした頭で、楽しみにしていた確定申告を済ませた。嗚呼、これが確定申告か、と感じた心境はエジプトでピラミッドを見上げた時と、パリで黒人に囲まれ財布の中身を奪われた時と、いずれもよく似ていた。写真では見ていたし、話しには聞いていた様な事も身を持って体験すると記憶が塗り替わって鮮明になる。確定申告の作業を進める内に、短命と思われていた知識の一部がむくむくと蘇り始めた。
ドイツはシュトラウビングという小さな町で借りていた下宿先の自室で、パソコンの画面向こう、映し出される資料越しに聞こえてくるバイエルン弁と、手元に広げた紙の辞書と、一つ屋根の下に共に授業を受けていたトーマスの易しいドイツ語で以て地道に理解を進めた帳簿の付け方であったが、矢張り実際に一度経験してみる迄は本当の動かし方も要領を得ない。車の運転もそうである。ハンドルを握ってアクセルを踏めば走るし、ブレーキを踏めば止まると分かっていても、いざ運転してみると彼方此方忙しく目を配る必要もあるし、ウインカーとワイパーが全く別物である癖に手元ではよく似た姿で備わっていて稚児しい。初心者にはそうでも、ずっと運転していれば車幅は己の体幅の感覚と同期するし、正面の景色から目を切ってミラー越しに後方を確認するのも息をする様に出来る。
確定申告においても、車幅感覚を掴み後方確認を平気で出来るようになるまでは引き続き楽しみに出来そうである。複雑になるほど楽しそうだと思うのは、私がオートマ車よりもマニュアル車の運転の方が元来好きなのと因果があるかも知れない。
体の不調はしゃがれ声を除いてすっかり元に戻った。月曜日、四日ぶりにパンを焼いた時はまだ本調子とは呼べず体のどこかがふわふわとしていたが、それから徐々に調子は上向いた。その月曜日は道の駅に納品したパンが瞬く間に売れた。稼ぎ時の筈の週末を寝通して世界と断絶していた私のパンを、まるで今か今かと人が待ち伏せていたとでもいう様に売れたのは喜びよりも驚きが先であった。
風邪に喘ぎ、世界を遮断し、布団に潜り込んでいたのも高々三日間だけであったが、駅で販売をしていた先週が随分遠い記憶の様に感ぜられた。ちょうど一週間と一週間の間に空白の時間が差し込まれたような、そんな不思議な感覚があった。それだけならまだしも先週迄パンを売っていたと言うのに、それが遠退き過ぎて、一週間も二週間も何もせずただ眠り込んでいただけの怠け者の様に感ぜられてならなかった。
そうした空白を取り戻すべく、今週からまた工房に入って連日パンを焼いた。有難い事に月曜日と木曜日、金曜日に注文が入っていたからそれらも熟した。それで大体、早朝から午前中が費やされるわけであるが、先週はこの後に駅へ行って販売していたのかと思うと、なんだか働き足りていない気が起こった。そうしてまた反対に、矢ッ張り先週は体に鞭を打ってよく動いていたんだなと確認が出来た。それで風邪を引いたのも漸く心から納得した。
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駅で販売する必要が無くなったところで、前々からしたかった試作にも手を付けられた。時間が無い、などと言うとやれ「時間は作るものだ」だのと言われてしまうが、本当に時間が無い場合もある事を世間は頭に入れておかねばならない。大体が時間は有限であるが問題である。
先日のイベントに出店した際に知り合ったヨモギの卸業者の方から戴いたヨモギの粉末も大凡一月と経ってやっと試作にありつけた。ヨモギについて殆ど無知であった私は、ヨモギにもハーブとしての役割があるんだと聞いて、俄然ライ麦パンと組み合わせて見たくなった。単に字面で見ても栄養学的視点で見ても、体に良さそうな組み合わせに思えた。
ヨモギと聞けば、小学校の頃の通学路に生えていたのを覚えているが、或いは大人に成ってから天麩羅や団子になったのを見た覚えもあるが、果たしてそれより他に別段注目した事もなかったから、先日ヨモギを使った御茶だの蕎麦だの珈琲だのを知って、成程こんなに万能で存在感がある物なのかと思わず舌を巻いた。おまけにハーブと呼ばれるだけあってその効能も随分優れている様であった。
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この日私はいつものライ麦一〇〇%の生地に、不断であれば入れるパン用ハーブの代わりにヨモギを入れて作ってみた。私が作るライ麦一〇〇%には風味を強める材料が抑々三つ入る。その内の一つがパン用ハーブでその代わりにヨモギを入れるわけであるが、残りの二つの材料の風味にヨモギが負けないかどうかが見所であった。ヨモギの珈琲を戴いた時、珈琲の味わいの中でヨモギの持つ和の香が負けじとふわっと鼻を触ったのに驚いたが、それがライ麦パンの中でも発揮されるのかどうか、という点である。
生地の段階ではヨモギは影を潜めていた。いつものパン用ハーブであったらこの時点で十分に存在感を出している所である。それから発酵を済ませ、窯に入れて、そうして焼き上がったパンを香った時、そこにはヨモギの珈琲で感じたのと同じ和の香がまた鼻先を擽った。思っていた以上の存在感であった。サワードウの香にも劣っていなかった。
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一晩かけて十分に冷ました後、切り分けた一枚を齧って見ると、サワードウの酸味も感じながら、それでいて和菓子を口に入れた時の様な豊かなヨモギの風味が口の中に広がった。餡子を食べていないのに餡子を感じる、まさにヨモギの珈琲で感じたそれであった。大成功だ、と旗を振れるかと聞かれれば物足りなさもあった。風味もあるが、薄いと言えば薄かった。ヨモギの葉を入れるなり、ヨモギで煮出した御茶で仕込むなり手立てはまだあるが、何より重要な味わいの組み合わせ、調和については十二分な手応えがあった。
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それから種実類をふんだんに使ったパンも試作した。向日葵の種、南瓜の種、燕麦なんかを入れて作る生地を、元来私は好きであった。此方はライ麦粉を軸に小麦粉も使った生地であったが、実際に焼き上がった物を切って食べて見ると、小麦粉を軸にした方が良いような気がしたのが最初の印象であった。僅かではあるがサワードウの酸味の主張が稍目立ち過ぎている様に思われた。それでも種実類の食感と甘みは私の求めていたそれであった。それだから概ね満足出来た。
来週一週間で新しい販売形態を構成し、週末には公表しようと目論んでいる今である。駅での販売に次ぐ新しい作戦をまた試していく。ドイツから帰国してこれで漸く半年が経つ。一歩一歩、手探りで進むこと山奥、獣道をゆくが如くでありながら、また同時に戦車で獣道に生い茂る草葉を撥ね退け走るが如くでもあった。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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