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*29 クレッシェンド

 着々と春は進む。みるみる内に草葉をあおらせ、花を芽吹かせる。動物の活力を蘇らせ、人間の希望をみなぎらせる。四月最初の土曜日からカフェ営業を開始し、そうして日曜日は日曜日で忙しくしていた私は、月曜日を休日と定めると、春眠暁を覚えずの句の如く、無理矢理にでもゆっくりまで眠った。日頃は日の昇るより先に起きるから何れにしても暁を覚えぬわけであるが、矢張り一週間の内に一日だけでも朝を朝と感じて目覚める日があると心地が良い、という事に気が付いた。ドイツで八年、深夜に目を覚ます生活にすっかり慣れていた私は、目を閉じた時点を夜、目の開いた時点を朝と呼んで不規則な生活調律リズムの中に身を置くのが常であったが、どうも朝には朝と呼ばれるだけの朝らしい何か目に見えぬ力が漂っているとみえて、ここまで生きてようやく朝を朝として迎える必要性を見出すに至った。
 
 
 そうかと言って、すぐに慣れるものでも無い。朝深くまで眠るのは何となく罪悪感があった。それも昼前迄眠るわけでもない、朝の八時頃に目を覚ますのですら背徳感が重たかった。これは予定計画スケジュールの管理が他責か自責かという問題である。ドイツのパン屋に務めていた頃は管理が他責である。だから平日に朝を深める程眠っても何でもなかった。それが今は自責である。自責であると思った途端、突如として休日が甘え心の様に思われる。その上日本社会は平日と休日の識別の点において皆大変足並みが揃っている。そんな中で自責の休日を平日に設けては朝八時に罪悪感に圧し掛かられて却って体を起こせないのも当然である。
 
 それで気晴らしに、四月の一日いっぴから活力を蘇らせた生物の様に始めたジョギングへ出ようと靴を履くと、両の靴の中にカメムシが居た。幸い踏み潰さずに済んだが強烈な悪臭が、所謂いわゆる足の臭さとは異なる悪臭が、靴から立ち昇ったのは言わずもがなである。これで彼は罪悪感を感じずに平気で生きていかれるんだから良い。私も彼を見習って神経を図太く生きていかねばならない。
 
 
 
 月曜日の朝に感じた罪悪感は結局一過性であった。その日を休日と定めた以上、仕事に換算されそうな事柄には徹底的に手を付けないと決めると、それ以外の物事に自然目が向いた。例えば部屋の掃除、例えば洗濯、例えば帳簿付け、日頃手を付けられずすっかり後回しにしてしまっていた生活的な用事を全て片付けた。すると気持ちがすっきり晴れた。
 
 私は生活がすこぶる苦手である。生活を整えるくらいなら、と無邪気に後回しにする癖がある。その長年の悪癖すらも無理矢理にでも休日を設けた御陰で些細でも解消されようとしかけている。これは大凡良い兆候である。
 
 
 すっきりとした心持で予定帳と向き合う。心なしか見通しも整然としている。今週末はカフェ営業とイベント出店が続いて忙しそうである。文字通り“カフェ営業”と“イベント出店”のみであれば何も忙しがる事も無い。そこに加えてパンを焼かねばならぬうえ、パンを焼くが本業である。こうなると一つの体を大変忙しがらせる必要があった。然しこの日、予定帳を見詰める心は至って平穏である。気だけはやらせず、その為の計画である。
 
 
 火曜日からパン作りを再開すると、週末に向けて日に日にやる事が増えて行くのが私の一週間であった。特別な催しは無くとも道の駅には連日並べたいから火曜日からはまた三時頃に起きる。次第に予約注文分のパンの準備に入って行く。そうしてパンを焼き、カフェの準備をし、イベントの準備をする。まさにクレッシェンドである。

 カイザーシュマーレンの練習もした。先週一度やってみたからこそ見付かった課題を確認する為に少なくとも六人前は焼く必要があった。さすがに全てのカイザーシュマーレンを一人の腹で処理するのは難しかったが、それでも優に半分以上は食った。日頃の節制とジョギングもこれで帳消しである。然し腹を肥やしたばかりではない、繰り返す度に芸もどんどん肥えた。こうしようああしてみようとなるべく多角的に課題の改善に取り組むと正解で無いにしても最適解には到達する。まさに今私が焼いているプレッツェルも良い例である。
 
 
 最適解を導き出すには完成予想図が要る。そうするとこの完成形に到達するにはどこをどう弄ればいいんだかを考える。先週の営業ではばたばたと品無く忙しなく調理場に籠っていた私が、今週はそうなっていない理想像を描いては繰り返しシミュレーションをした。何をどう準備しておいて、どういった心構えで、何処をどう動いて、とイメージを整頓させた。そうしてそのイメージと、例え僅かでも上達したカイザーシュマーレンを引っ提げて土曜日、営業の戦場カフェに出向いた。
 

 壁伝いに立ち並ぶ本棚は、一週間前よりも本で埋まっていた。屋内に入って管理人に挨拶をするなり「本が増えましたね」と言ったのが今週この日の最初の台詞であった。時刻は十一時。開店まで一時間とある。先週果たせなかった準備を隈なく施した。メニュー表、看板、材料の下準備、そして現場でのシミュレーション。この日の営業を振り返った時、果たして私は思い描いていたのと殆ど同じ様に動けていた事に幾分かの満足感があった。同程度の達成感もあった。客の来店の時間、人数、注文する品物、当然それぞれ先週と今週で全く同じでは無かったが、それでも落ち着いて動けている自負があった。この時が二度目の営業であったからそれで十分であった。
 
 
 幼馴染夫婦をはじめとする顔見知りが顔を出してくれた事もまた一つ大きな安心であった。パンもクグロフも御陰でまた売り切れた。カイザーシュマーレンも、こう言ってしまっては先週の客に申し訳ないが、先週よりも上手く作られた。ホールでも動いた。レジも打った。先々を考えれば経験を積み重ねるペーストしては十二分であった。そうして夕方五時頃に店を後にすると、六時に帰宅し七時には布団に倒れ、その十時にはまた起き上がって工房を目指した。今週末の忙しさの肝はここであった。
 
 
 カフェ営業の土曜日も深夜の〇時から動き出していた。すなわち土曜日の深夜〇時から夕方五時迄動き、夜七時に眠ったかと思えば十時に起きてそれでまた日曜日の夜七時になってもまだ休めないんだからほとんどランナーズハイのその類である。これは然し予定計画スケジュールの管理が他責か自責かという問題である。人の指示でこれをさせられていたら私はうに発狂していたに違いなかった。意思に関係なく指示役に辛苦の責任を押し付けられるからである。ところが己で勝手に望んでやっている内は案外何でもない。それで「つらいつらい」と弱音を吐く者がいれば不思議である。

 イベントは天気に恵まれ、かっこうの行楽日和であった。パンを並べるにはかえって暑過ぎるくらいであったから、いざ店仕舞いをして余りのパンを引き上げる時、一つのバタープレッツェルからバターがしたたっているのを見て、嗚呼夏場にこれは難しそうだと思った。
 
 二月のイベントで一緒になったパン屋の老夫婦と再会してまた大変勉強になる話を聞いた。七十を超えると言う白髪の男は常に背筋が垂直で紳士の紳の字の様な人であった。喋っていても飾らない知性が随所に零れ落ちて好感が持てた。婆さんの顔立ちも深い皺の奥で凄まじく凛々しかった。試食で厚く切ってくれたパンが余りに美味しくて二種類のパンを一斤ずつ買ったら少しお負けしてくれた。爺さんの口から風土だの伝統だの田舎パンだのと言った単語が出る度に私は大きく頷いた。それで春にもなった事だし、今度こそパン屋を訪問させてくれと約束を付けた。石窯を見たい、とは言ったが石窯ばかりか、この凛とした老夫婦がどんな空間に生きているんだかに俄然興味が湧いた。
 
 
 それからとある購入客からプレッツェルについての大変有難い言葉を戴いたりもした。これまで食べたプレッツェルの中で一番美味しいと言ったから、これがドイツの味ですと逃げも隠れもせず、冗談めかしこそしたが、伝えた。去年の十月、帰国したばかりの頃の私はドイツで慣れ親しんだプレッツェルの味を完成形として定め、そこ目掛けて幾度も試作をした。そうして到頭限りなくドイツの味に近いプレッツェルが生まれるまでに芸も腹も冷凍庫も散々肥やした。それを褒められると喜びも一入ひとしおであった。今私が作っているカイザーシュマーレンもこの例に続きたいところである



 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
 


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