「最高の離婚」が好きすぎて中目黒に引っ越した。
坂元祐二さん脚本「最高の離婚」というドラマはご存じでしょうか。
私このドラマ大好きなんです。それが高じて約10年前に瀬戸内海から中目黒に引っ越し、現在に至ります(笑)
その経緯を綴らせて下さい。
軽くドラマのあらすじを紹介します。
舞台は中目黒。
夫の光生(永山瑛太)と妻の結夏(尾野真千子)は、目黒川沿いの築50年ほどのアパートにて生活感たっぷりの部屋で暮らしている。
ゆかの性格は、明るくておおざっぱな性格。
ポテトチップスのコンソメ味を食べた手でそのままDVDを触る強者だ。
対してみつおは対人関係が苦手で神経質な性格である。
名字である濱崎(ハマザキ)をハマサキといつも読み間違えられ、濁点をつけて貰えない事に頭を抱えている。人が楽しそうに賑わっている場所も苦手であり、空いてる場所が彼のお気に入り。好きな言葉は「ガラガラ」だ。
そんな正反対な性格をしている夫婦、いや元夫婦の物語。
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あの頃の私は26歳。
当時7年交際していた同棲中の彼と入籍と結婚を控えていたが、彼側の親族によるトラブルにタイミング悪く彼が巻き込まれてしまった。
もちろん彼は何も悪くない。
ただ結婚となると2人だけの問題ではなく双方の親戚の付き合いはずっと続く訳で、私もひっかかった。
何度も2人で話し合い苦渋の決断のもと結婚式はキャンセルする事にする。
同棲して3年。仕事終わりのスーパーの買い物ではいつも安い食材を選んでいたし、100円のものでさえ必要かどうか30秒ほど悩んで決めていた。
ほぼ毎日自炊して、朝は自分と彼のお弁当作りが日課だったが、2人の未来を想像しながらの家事と節約と貯蓄は決して苦でなかった。
こんなに頑張って貯めたのに結婚式のキャンセル代に70万払うとは…。なんとも、皮肉な話である。
だけど、何故か結婚が流れてホッとした自分がいた。
彼の事は好きだし、本当の自分をさらけ出せて居心地が良い。ただ、家事、仕事、お金など生活に関する価値観が自分と合わなくて、少し不安を抱いていたのだ。
わたし、この人と結婚して本当にいいの?
二歳年上の彼は仕事も独立していて忙しく、「本当は専業主婦になってほしい。家事と僕のお給料の管理はよろしくね」というタイプ。
反対に私は仕事が好きだから共働きがいい。家事は苦ではないけど、分担が理想だったし、お金の管理も個人でやりたかった。
そして、結婚式のキャンセル後は別れ話もしたが、話し合いは平行線でずるずる一緒に暮らす事になる。
とはいえ、私も来年27歳。次の人が見つかるか不安だったし、何より新しい人と出会って1から信頼関係を構築するのが面倒くさい。
出会って、3回目のデートで付き合って、キスをして、勇気を振り絞り自分の貧相な体を晒し、エロゲーが好きな事を告白し、あらゆる価値観を探り合って、もー、そのプロセスが面倒!無理無理と。
あの時は、彼だって私の事が好きだから一緒に居るというより、「7年も一緒にいたから」そんな惰性な空気感を放っていた。
それくらい7年の数字は重かった。
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そんな状況の中、私の事を支え続けてくれたのが「最高の離婚」である。
光生と結夏の会話が「家もあるある、分かる~!」と全力で共感できて、ユーモアとシュールが盛りだくさんのドラマである。人生に絶望していても2人の会話を聞いてるとつい笑ってしまうのだ。放送終了後も家にいる時は常にbgmのように録画を流していた。
ただ、その時の私は毎日思っていた。
「自分の人生やり直したい」と。
年齢を重ねる度に、大切な人や居場所が増えていく。それは幸せな筈なのになぜか私は窮屈さを感じていた。何処で、誰と、どんな人生を送りたいのか分からなくなっていた。
いっその事、7年目になる働きやすい職場も、ずるずる続いている居心地の良い彼も、愛車も、お気に入りの家具で囲まれた家(賃貸)も全て手放して、リセットしたいと。
だけどそんな勇気はない。
私は来年もう27歳、諦めて現状維持をしよう。それが無難じゃないかと、いつも自分自身を納得させていた。
だけど、その日は違った。
ふと見たテレビの画面の中に、目黒川で話してる光生と結夏がいる。
直感的に「私、ここに引っ越そう」と思った。
それからは早かった。15分後、中目黒の不動産に電話をしてアポをとり、歯科衛生士の求人もネットで探し、その時点で1番月収が高い所に1件のみ応募した。
翌週、彼に内緒で朝早くから日帰りで東京に行った。
午前中は不動産巡り、ドンキの近くで目黒川沿いの1K9万円の築浅物件を押さえてもらい、歯科衛生士の面接も即日採用になった。
(歯科衛生士は人手不足なので即日採用が多い)
家賃は高いけど、しっかり貯金もしたいし、たまには外食もしたい。
がむしゃらに仕事を頑張ろうと決意した日だった。
私は夜逃げするつもりでいた。決行日は3ヶ月後、彼が出張でいない日だ。
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帰宅後、私の家族に事情を話した。彼と話し合いでは別れるのは難しい事、仮に別れても互いの弱さできっと復縁してしまう事、不在の日に最低限の荷物で引っ越しをする事。
家族は全力で協力してくれた。義兄はマンションの保証人になってくれて、父は愛車の売却手続きを進めてくれた。私は職場の退職、引っ越し手続きを進めたのと、彼が1人でも生活できるように工夫したり、指南書の作成や彼に纏わる様々な作業を行った。
そして彼が出張の日、私の家族が一致団結して段ボールに荷物をまとめてくれ、すぐに引っ越し業者がきた。家電やお気に入りの家具は置いていった。
父が空港まで送ってくれた途中、車内で聴いたラジオの哀愁漂う曲が今も忘れられない。あの曲名なんだろうか?もう一度聴きたい。
このような経緯で私は東京に飛びだった。なんてことのない凡人の、私の、上京物語である。
(上京後、もちろん彼とは揉めに揉めた。卑怯な事をして申し訳なかったが、別れてから2年後、彼は結婚をして子に恵まれ幸せに暮らしているとの事で結果オーライとする。)
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あれから10年、この土地に縁があったのか、目黒川沿いの決して広いとは言えない家で子育てをしている。
余談だが、時たま私は濱崎光生さんごっこを1人でする。
ドラマを見みると分かるが、光生は歩き方にかなり特徴がある。その歩き方で光生に為りきって目黒川を歩くのだ。
中目黒で変な歩き方をしている女がいたら、もしかしたら私かもしれない(笑)
私の人生を変えてくれたこのドラマには本当に感謝である。
住む場所、仕事、人間関係、子供…自分で選択する人生は責任を伴うけど、思いっきり自分の人生を後悔なく生きていけてる。
他力本願に生きていた10年前の自分には想像できなかった未来だ。
人生って、生きるって面白おかしい。
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彼との、その他のエピソードはこちらです。