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業績=価値なんて嘘「仕事だけがあなたの価値を決めるのではない」『いやな気分よ、さようなら』第十三章

 もう十三章ですか。残り四章、ついに終わりが見えてきました。

 今回は、自分の価値を仕事に置く人にはぜひ見てほしいです。ふとしたことで、仕事がうまくいかなくなったり、仕事ができなくなったりして落ち込んでる人は見てみると心が楽になるかも。どうやら僕のうつの原因もここら辺にあることが読んでいてよくわかりました。

さて、本題に入りましょう。

仕事=価値ではない。仕事と価値は全くの別物

今日のポイントはこれです。

 不安やうつの原因となる第三の思い込みは

「人間の価値は人生で何を成し遂げたかによって決まる」

 というものです。もっともな考えかと思いきや、その実有害で不正確な考え方です。

 振り返ってみると、僕自身がうつになった原因もこの考え方の割合が大きいようなきがしています。実はいまだにこの考え方を脱せていません。このような考え方は特に男性によく起こるようです。このような態度を変えるための第一歩は、

それがあなたの得になるか、損になるかを考えることです。

 実際的なやり方を見てみましょう。

 あなたが何かを成し遂げると、満足感が起こります。それは自分の価値を高め、幸福感の源になります。またこのような価値観はやる気を高めます。これによってさらに業績は上がり、その結果さらに自分が価値ある人間と思えるのです。これでますます仕事にのめりこみます。つまりは、

頑張って成果を出してる自分大好き!

ってことです。

 このことを裏返してみましょう。朝から晩まで仕事に心を奪われているので、それ以外のことから得られる満足や喜びが見えなくなります。だから仕事をやめるなどとんでもないことです。もちろん業績が上がらなければ、自分に無価値感が生まれます。

し  か  し

病気、失業、定年退職などの自分ではどうしようもないことで、仕事ができなくなったどうしますか?

 そんなことに自分はなりませんか?

 そうなんですよね、ならないって思ってるんですよね。僕がそうでした。でも冷静に考えたら可能性あるでしょう。今なんかコロナ禍ですからなおさらです。

 「市場価値」のみで自分の価値を計っていた”つけ”は、無価値なら死んだほうが良いという自殺願望の形でやってくることすらあるのです。(僕がそれです。)

これは、成功がなければいられない「成功中毒」です。これは幸せといえますか?それに対して大半の人間は大成功者とは行けなくても多くの人が幸せで、人からの尊敬も集めている現実もあります。

つまり、幸せと自己の業績の間には関係性がないということです。

仕事=価値なのか?

 仕事と人間の価値がイコールでないことを仮に認めたとしましょう。

 それでも、たくさんの業績をあげた人はそうでない人より優れているのでは?と思いませんか?僕はまだこの考え方から抜け出せていない気がします。このことをもう一度見直してみましょう。

 まず第一に業績を上げた人は、その業績ゆえに価値があるのでしょうか。大した業績も上げてはいないけど、尊敬に値すると思える人物はあなたの周りにもいるのではないですか?それなのになぜあなた自身の価値を認めないのですか?……なんででしょうね…

 第二の方法です。人間の価値が業績によって決まるなら、

価値=業績

という方程式が成り立つはず。しかし、価値はどうやって測定するのでしょうか。価値の単位ってなんですか?こう考えることがおかしいのです。

 価値は価値。業績は業績。両者は本来別物なのです。業績=価値が行き着くのは、不愉快な「優等―劣等論」です。

 本ではここでロールプレイが出てきます。業績=価値を押し付けてマウントを取ってくる友人とあなたというものが一つ。そしてもう一つはあなたは偉大な業績を上げた人物で、相手は特に業績も上げていない一般人に対して、マウントを取って、自分の方が優れていると相手を侮辱するというものです。自分の方が優れているという主張に対抗する方法はとても単純です。自分の方が価値があるといわれた場合、

 教養、財産、影響力など、そのような面では確かに相手が勝っていることを認めた上で、

「そうだとしても、どうしてあなたの方が価値があるといえるのですか?」

というのです。これに反論するのは難しいでしょう。この方法は「操作化」と呼ばれます。

 ただ、このようにマウントを取られて価値がどうこう直接言われることというのは稀でしょう。本当は、この侮辱を自分自身に対して行っているのです。

教養がない、財産がない、影響力がない、愛されていない、と自分を責めるのです。(ちなみに全部僕に当てはまっています。)

この侮辱を止めさせるのも、あなた自身なのです。

 それには次のようなことをするとよいでしょう。心の中で↑のロールプレイを自分でやってみるのです。自分を無価値と責める役を「迫害者」と呼ぶことにします。

 迫害者がいう一片の真実に同意しつつそのうえでどうして価値がないことになるのか尋ねるのです。これって、六章で学んだ批判を言い返す技術と似てますね。

 あなたは不完全で成功してなくて、愛されていないかもしれませんが、だからといって価値がないことにはならないのです。

 この考え方、最初からそうだ!って感じじゃなくて時間がかかると思いました。いまだに自分の中にこの考え方が根付いていることを考えても、けっこう時間をかけてやっていかないと、ちょっと無理そうです(個人の感想です)。

自尊心を手に入れる四つの方法

 自分の価値が成功や愛情や業績で決まらないなら、どうやって自尊心をてにいれたらよいのか?個人の価値にすべて不要として捨て去ったら自分には何も残らないのでは?

 そう思いましたか?自尊心を手に入れるには四つの方法があります。あなたに合ったものを選んでください。

 一つ目は、実用的かつ哲学的な方法です。

 本質的に人間の「価値」などというものは抽象的なものであると理解しなくてはなりません。そんなものは存在しないという考え方です。

 価値とは物質ではなく、概念です。だからすぐに「価値」求めるのをやめなさい。「価値」などというものはゴミ箱に捨ててしまいましょう。大切なのはその行為や行動であって、「価値」ではないのです。価値を失ったからといってどんな怖いことがありますか?何か身体に変化がありましたか?そんなものあるわけありません。「価値」は単なる概念ですから。

 価値という概念のない人生における目的や意味はなにか?

 簡単なことです。価値よりも、満足や喜びなどを求めればよいのです。

 二つの目の方法は、一つ目の逆です。

「すべての人間に価値がある」

という考え方です。人は生まれてから死ぬまで一つの「価値体系」を持っていると理解しましょう。子供の時は大したこともしませんがそれでも価値はありますし、年老いても病気になっても怠けていても寝ていても、何もしていなくても、あなたには「価値」があるのです。

 あなたの「価値体系」は計測できませんし、不変のものです。測ることも変えることもできないのだから、それが揺らぐことなどないのです。だからあなたは、どうやったら幸せになるか、どうやったら満足できるか、どうやったら喜べるかを考えさえすればよいのです。

 三つ目の方法は、自動思考と合理的な反応の例の奴です。これに関しては↓を見てください。

 四つ目の方法

 自尊心は自身を親友のように扱うことで得られます。あなたの家に親友が遊びに来るとしましょう。あなたは親友をもてなします。少なくとも悪意をもって自分の方が価値があると侮辱したり、長々と嫌味を言ったりしないでしょう。では、なぜそれを自分にはしないのですか?こう考えてみれば、あなたが自分にしてきた拷問が馬鹿らしくなってくるはずです。

業績至上主義の罠から逃れること

 この項目に書いてあることは、価値と幸せとを感じる権利を手に入れるために人より傑出していなくてはいけないという認知の歪みを正常に戻す方法なのですが、認知の歪みといえば、3章と5章でしょう。

 本では、「自動思考-合理的な反応」と「満足-予想表」を使っていました。

 成功や業績が望ましくないものだとは思いません。しかし、最大の幸せを手に入れるためには、大成功は必要十分条件ではありません。また、満足するのにナンバーワンになる必要もありません。ただ心の中の幸せと自尊心の意味を知ること、それでいいとおもいませんか?

 以上十三章でした。

 仕事に関する劣等感などの問題を僕はずっと抱えてきました。昔はワーカホリックだったのです。だからうつになりました。今でもあの頃のことを思い出します。でもあのまま続けていても僕は幸せになれなかったろうと思います。今が幸せなわけではないですが。

 何かの書類の職業欄にアルバイトと書き込むときのあの気持ちは、全くなれないです。理論的にはわかるのですが、心はまだこれに関して納得できていないようです。ここが僕のうつの根本的な原因なのかもしれません。

さて、次は十四章。なにごとも中ぐらいで満足しようという、そんな回です。

チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')