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深海歩行

深く暗い海の中で、ただ1人歩き続けてる。かつては海賊をしていた。別の海賊との戦いにより全滅、船長である私は重りを足枷につけられて海へ放り投げられた。欲をいうなら信頼していた仲間達に最後を看取られたかった、それが海賊である私にとっての最高の死だと考えていたからだ。だが不思議にも、私は生きている。足枷のせいで地上に上がることは出来ないが、何故か呼吸ができる。何日も海に沈んでいるはずなのに服も、肉も海水で腐敗することはなかった。ずっと健康そのものなのが不気味なほどだ。私が魔法使いだとか、人魚の末裔だとかそんなんではない。奇跡なのか呪いなのかも知らないが、ひとつだけ言える事がある。死ぬことも出来なければ、日の目を拝むことも出来ないのだ。


日の光が恋しいと何度も思った。上を見上げれば本当に僅かだが地上の光が差し込み、かつての思い出とともにこれ以上の贅沢は出来ないのだと現実を思い知らされる。今の私に出来ること、それはこの暗く腐った世界をこの重い足で歩くこと。誰にも邪魔されることなく、小魚の群れが時折少し大きめの魚に食われる瞬間を眺め、時に埋まっているガラクタを漁りながら、これ以上の事を常に望んでいるのだ。極上の酒、美しい女、各地から奪ってきた財宝、かつてこの私の右手にに握られていた物の数々。その感触を思い出し、心を繋ぎ止める事が今の楽しみとも言える。もはや小魚達の方が良い生活をしているかもしれない。習性だからか知らんが、奴らの方が友達は多そうだ。今の私の友達は、目に見えぬ思い出という名の幻想ばかり。誰かが知れば一笑されて当然だ。そんなものにうつつをぬかしているのかと小馬鹿にされても良いから、あの魚達と会話できないかと試みた事がある。結果は背を向けられた、それだけだった。


歩き疲れたとか、腹が減ったとか、眠いとか、そういった感情は海に沈んでから感じなくなった。異常なまでの暇と刺激のなさはつきまとうが、それ以外には困らなかった。いや、ないが故に幻想やガラクタにすがるのだろう。幻想ではありとあらゆる、自分にとって都合の良い物ばかり思い浮かべるが、もしそれが一つでも叶って目の前に現れてくれた時、私はどう感じるのだろうか。肌の感触、思考、そして体、全てがそのままなのに、どうして何も与えられなくなったのだろうか。喜びを受け入れる準備は出来ている、それなのに。


深海を歩き続けてもう何年だろうか。前までは助かる、もう一度海賊になれる、元通りになる、そう願いこの暗闇を歩き続けてきた。だが、もうどうでもいい。幻想は何も感じぬ虚無に、視界に写る魚もガラクタも目障りだ。もう嫌だ、終わりにしたい。私は足枷についていた重りを手に取りそれを使い頭を叩き割ろうとした。だが、そんな思いつきの決心なんぞ、人生を終わらせるには役不足だった。私は重りとともにその場に座り込んだ。はじめてだ、歩みを止めたのは。そして自分の贅沢よりも、今までの人生を振り返ってみた。考えれば、私は今まで非道な行いをしてきた。海賊としての名誉と誇りを掲げ、果たして何人の命を傷つけ、殺め、奪ってきたのだろうか。殺されて当然の事をしておいて、自分が不幸になった途端手のひらを返したように助けて欲しいだの、やり直せるだの、自分が恥ずかしい。だが、そんな自分に今ひとつだけ願いが叶うとすれば、どんな罰でも受け入れる覚悟だ。


もう一度、日の光を見たい。


私はふと上を見上げた。そういえば上を見たのはもうかなり前のことだ。相変わらずだ、いや待て、何かおかしい。水面だ、水面が見える。そういえば、周りの海が澄んでいるように見える。魚も綺麗な模様をしたものばかり、今までこんなに綺麗な場所を歩き続けていただろうか。私はある確信を得た。陸が近いのだと。どうやら歩き続けているうちに私は少しずつ水面に上がっていたようだ。私は再び歩いた。疲れを知らなかったはずなのに、興奮で息が上がっている。素晴らしい、何年も前に消えた情熱が、生命力が戻ってきたようだ。幻想なんかじゃない。陸が、日の光が近づいている。こんなに嬉しいことはない。もうそれ以上なんていらない。


暖かい。私がたどり着いたのは島だ。足枷をしているにもかかわらず体がとても軽い。見上げれば太陽、そして振り向けば先程まで歩いていた海が広がっている。久しぶりの水平線と光がなによりも心地よく、私に人生最大と言っても過言ではない喜びを与えてくれた。ああ太陽よ、大海原よ、もう一度顔を見せてくれてありがとう。心からの感謝とはこういう事をいうのだろうか。その時だ、島の方に船が一隻あった。白く奇妙な形をしている、どこの商船だろうか。私は砂浜からその船に走って助けを求めた。


その時だった、私の手が少しずつ砂になっていく。


そうか、たしかに私が願ったのはもう一度日の光を見ること。助けを求め、暖かいパンとスープを与えられる事ではない。海とも、太陽ともこれでお別れなのだろうか。全く奇妙な体験を最後にしたものだ。結局、私が生きていたのか死んでいたのかはわからない。だが、これで最後なのははっきりとわかる。さて、私が砂となり朽ち果てる前に願いを叶えてくれた事、誰に感謝すれば良いのだろうか。とりあえず、太陽に手を振ろうではないか。願いを叶えてくれた神かどうかはわからないが、これが最後にふさわしい、そう思ったから。


とある島で停泊していた商船の乗員が、近くの砂浜であるものを見つけた。古びた服に足枷と剣、コンパスなど。後にこれが300年程前の海賊が身につけていたものと判明。以降貴重な文化財としてとある国立博物館に展示されている。展示されている場所は、その博物館で1番日の光が当たる場所であった。

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