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解釈のジレンマ【ニーチェ】


物事を良いと思うか、悪いとも思うかは
自分次第だ。

決めているのは自分である。

このことをしっかり認識しておかなければ
感情的のまま行動することになる。

今回のニーチェはそんなことを語っています。


解釈のジレンマ
物事はいかようにも解釈できる。
良い物事、悪い物事が初めからあるのではない。良いとするのも悪いとするのも、役立つとか役立たないとか、素晴らしいとか醜悪だとか、いかようであろうとも、解釈するのは結局は自分なのだ。

しかし、どう解釈しようとも、そのときからその解釈の中に自分を差し込むことになるのを知っておこう。つまり解釈にとらわれ、その解釈ができるようなうな視点からのみ物事をみてしまうになるのだ。

つまり、解釈や、そこから生まれる価値判断が自分をきつく縛るというわけだ。しかし、解釈せずに物事の始末がつけられない。ここに、人生を読み解いていくことのジレンマがある。
『たわむれ、たばかり、意趣ばらし』 跳訳 ニーチェの言葉

解釈というのはあぶない匂いがする。
立ち位置によっては、ずいぶんと変わってしまう。

その時の感情が影響する事もあるだろう。
建設的な会話ができないのは、
自分の解釈がそうしている場合があるものだ。

自分勝手な解釈とともに、いかに立ち回るか?
そんな場面が多いように思う。

そんな時は、どう判断すればいいんだろう。
これまでの経験からすると、
判断材料としては
自分の信念になろうか?
難しいものだ。

ニーチェは、最後に言っていた。
人生にとってジレンマになると。

そうか、解釈が自分主体となるという前提で
悩みながら行動するしかないんだな。


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