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聚敛无厌ーー私達の「需要」はどれぐらいホンモノなのか?

(1032字・この記事を読む所要時間:約2分 ※1分あたり400字で計算)


【聚敛无厌】

ピンイン:jù liǎn wú yàn
意味:どんなに財産をかき集めても満足しない、非常に欲深い様。

『私達の「需要」はどれぐらいホンモノなのか?』

 引越時、荷物をまとめる際にいつも思っていることがある。
 「いつの間にこんなにも物が増えていたのか」と。
 
 これまで何度も引越しを繰り返し、その度に断捨離をしてきたのにも関わらず、次の引越しに荷物を再度まとめてみるとあら不思議
 決まって前回の引越時よりも物が増えているのだ。
 
 都度必要最低限の必需品だけを抱えて新居に入居している。
 なのにその家を出る時には、決まってそれ以上の物が出る。
 
 ということは、入居時以降に追加した物のほとんどが不要だったということになる。
 
 
 私達は普段、様々な買い物をしている。
 生きていくのに不可欠な食料品と飲み水から、暮らしを整える日用品、勉強や仕事に必要な書籍と文具類、趣味関連のグッズまで、その内容は様々だ。
 
 しかしだ。
 普段私達が「需要」だと思っているもの、その中のどれぐらいが自ら本当に必要とされているものだろうか?
 ある対象品は不可欠だと思っているその気持ちは、ほとんど他者から植え付けられたものなのではないか?

 
 「あったら便利!」
 「逃したら人生損する!」
 「これが無いと幸せになれない!」
 
 これらは、果たして本当なのか?
 
 
 街の中を歩けば、新商品の広告があちこち目に付く。
 ひしめき合うかのように並ぶお店の窓にも、期間限定の製品、キャンペーン宣伝ポスターがぎっしり貼り出されている。
 
 通り過ぎてふと目にしただけでも、購入欲を刺激されてしまう。
 まるであたかもそれが無くてはならないものかのように。
 
 物質が豊かになった今の時代は、「無くてはならないもの」と「無くても困らないもの」の境目がどんどんぼやけつつあるようだ。
 そのせいか、自身の本当の需要が段々と見えなくなっていく。

 
 
 私達が暮らしていくのに、本当に必要なものは何か?
 それが曖昧なままだと、どんどん世間の「需要の押し付け」に流されてしまう。
 
 一度生きていく上でなくてはならないものを洗い出し、明確に知らなければ、
 次から次へと生まれる新商品に欲を刺激され、衝動性に振り回されて生きるようになってしまうだろう。
 
 そうなってしまうと、私達はもはや「人間の為にある、物の所有者」ではなく、「物の為にある、物に所有される人間」だ。
 
 
 「今回の引越しを機に、そして今度こそ物をこれ以上増やさないようにせねば」
 
 小さくため息をつき、山積みの段ボールを呆然と眺めながら、儚い願いを胸に抱く私なのであった。

📚物に使われてしまう人間にならないように!

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