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ハプスブルク家の呪い

ハプスブルク家は欧州において政略結婚の手段で600年間統治し続けてきました。最強時ドイツ、オーストリア、イタリア、スペイン、ポルトガル、ハンガリーなど全て勢力範囲でした。

こんな黄金家族に色んな呪いの伝説が残されており、最も有名なのは「狂女フアナの呪い」です。

フアナ

「フアナ」はスペインを統一したカトリック両王「イサベル」と「フェルナンド」の娘、1496年ハプスブルク家に嫁ぎました。夫は神聖ローマ皇帝の長男美男子「フィリップ」。言うまでもなく、これは典型的な政略結婚でした。「フィリップ」の目的は「フアナ」のスペイン王位継承権。

当時「イサベル」と「フェルナンド」は結婚し、カトリック両王と称していたが、スペイン自体はまだ統一されておらず、二人は依然自分の国の国王であり(イサベルはカスティーリャ女王、フェルナンドはアラゴン国王)、しかし彼らの娘である「フアナ」はスペイン国王となります。

スペインの大河ドラマ フアナ〜狂乱のスペイン女王

二人結婚してからすぐ「フィリップ」が外で愛人を作り、「フアナ」を城に軟禁しました。これから「フアナ」が発狂したと噂され、毎晩城から彼女の叫び声が聞こえると、以後彼女は「狂女フアナ」と呼ばれるようになりました。

「フアナ」の息子「カルロス1世」は自分の母が発狂したことを理由に、継承順位を飛ばして自らスペインの国王となりました。夫と息子に裏切られた「フアナ」はハプスブルク家に呪いをかけ、「一族の結末は発狂するか、非自然に死ぬかどちらになる」と

これはあくまでも彼女の憎しみの表すでしかありません、しかし、それ以降、ハプスブルク家は本当におかしくなっていました。

「フアナ」の息子「カルロス1世」は即位以来すぐ自分の葬式の準備を進んでいました、しかも完璧な準備により自分が見えないのは非常に残念だと思い、よく自らリハーサルを行なっていました。おそらくリハーサルがあまりにも成功していたでしょうか、2ヶ月後カルロス1世が亡くなりました。

カルロス1世

スペイン国王の王位はハプスブルク家の中に継承されて数代後、「カルロス2世」(カルロス1世の子ではない)になると、この国王の精神的問題がかなり重くなり、自分の祖先が非常に崇拝するため、よく棺桶を開いて死者と話していました。彼は子供がいないため、死後スペイン王位継承戦争が勃発し、13年間続いた末、スペインハプスブルク家の統治が終え、フランスブルボン家の統治が開始しました。

カルロス1世の直系子孫のもう一族は神聖ローマ帝国の皇帝となりましたが、結末もあまり良くなかった。孫であるルドルフ2世は政治宗教ともに興味なく、唯一興味あるのはコレクション。骨董品美術品のみならず、特に猛獣を飼うのは好き、しかも全く縛り付けないまま城の中で放牧。最後あまりにも皇帝のやる気がないので、帝位そのものは弟のマティアスに譲りました。

記録にある最後の精神的異常のハプスブルク家の人はオーストリア皇帝フェルディナント1世。天性的知的障害があったため、まともに他人と会話すらできなかった。

1848年甥であるフランツ・ヨーゼフ1世(シシー姫の旦那)が臣下に迎えられ、オーストリア皇帝となり、ハプスブルク家精神異常者の歴史が終わりました。

フランツ・ヨーゼフ1世

現代医学の発展により、ハプスブルク家の精神異常者が多いのはもちろん呪いではなく、血族結婚による遺伝病です。

しかし、狂女フアナのもう一つの呪いである「非自然的死亡」は最後のフランツ・ヨーゼフ1世において再び呪いではないかと囁かされるようになりました。


フランツ・ヨーゼフ1世本人はすごく長寿ですが、親族が例外なく全員悲惨な運命に辿り着きました。

弟はナポレオン3世に騙され3年間メキシコ皇帝となったが、革命軍に捕まれ売国罪(メキシコに対する)で処刑されました。

妻であるシシー姫は暗殺され、唯一の息子ルドルフ皇太子が男爵令嬢と恋に落ち、愛人としてなら問題はなかったでしょうが、正妻として迎えようとしたが無論家族に拒絶され、挙句二人は心中してしまいました。

皇太子が亡くなった以上継承人はフェルディナント大公(甥)に指名したが、大公はサラエボで暗殺され、絶望したフランツ・ヨーゼフ1世はとうとう世界を巻き込む戦争を行いました。

サラエボ事件



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