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2020年9月の記事一覧

寿司

寿司 小学校に上がる前か、なぜか昼、寿司屋にいた。母と一緒だった。寿司屋には白黒のテレビがあって、かかっていたのか、それとも私に合わせてくれたのか、ウルトラQが写っていた。気軽に昼、寿司を摘むような贅沢の出来る家には育っていない、が、その日は、何事かが母にあったのだろうか、白木のカウンターを前にしていた。 私は、そのとき寿司を食べた記憶がない。私は、寿司を、にぎり寿司を食べたことが生まれてこの方ほぼ、ない。鮮魚介が嫌いだからだ。 半世紀以上生きて、おそらく、三貫も食べた

有給について

有給について ストレスがたまってくると有給を取った。そういうだけでいい職場だったとうらやまれるかもしれない。実際、休みは取りやすかった。そういう雰囲気の職場ではあった。そして、有給を取ると自転車に乗った。近所に県境を区切る大きな川が流れている。そこを河口へと下っていった。 昭和40年代は本当に汚い川だった。水が濃い灰色に濁り、岸辺には黒い泥がたまってにおった。それでも蟹やハゼなどが生息していた。ワタカという20センチぐらいの細長い魚もいた。大人の釣り人が腰ぐらいまで水面に

岩風呂の夜

岩風呂の夜 温泉にしろ沸かし湯にしろ、大浴場というのは入ってしまえば気持ちのいいものだが、服を脱ぎ、体を洗い、とそのプロセスがあまり好きではない。今、平日の午後、スーパー銭湯に入り浸るなどと言うこともまあ、可能ではあるがしない。上記のプロセスが面倒というのと、おそらく、世代的に目立つと思われ、煩わしく感じるからだ。 家族でよく旅行に出かけた。その中でも一番印象に残っている風呂は二月の、ホテル三ヶ月竜宮城の、露天風呂だ。このホテルは舛添氏の関連で一躍有名になった。おそらく、

遊亀通り

遊亀通り 甲州街道から甲府に向かう私のルートは結局、遊亀通りを通り抜け、川沿いまで出て、そこから駅へと逆に向かうという行き方に落ち着いた。この、遊亀通り、というのが、日本画の小倉遊亀の事かと思えば、来歴を読んでみたところ特に関係もなさそうで、しばらくゆかりの通りと思っていた私は何か肩すかしを勝手に食らった気分になっていた。 その小倉遊亀については、やはり、浴場での少女たちの入浴の画で、日本画の奥行きのなさと湯に歪められた浴槽のタイルの様子が、やけに明るい画に定着されて、お

治らない

治らない 酒の癖、借金、浪費癖、浮気癖、ギャンブル癖。治らないと思う。何度でも繰り返す。とくに、浮気などは何度でも繰り返す。おそらく、それをしなくなったときその人は生きる意味を見失っている。ギャンブル、浪費、酒。みんなそうだと思う。いわば癖はその人の属性なのだ。それを承知で、それを補ってなお余りある魅力を持つ人がいる。そういう人にはそれを承知で人が寄る。そして、結局、耐えられなくなって去ってゆく。その人をどうにかできると思うのか、それができずに我慢しきれなくなるのか、受け入

相場という芸術

相場という芸術 相場というのはご丁寧に毎回毎回アートだ。日本株だからと言って日本だけで完結するものでなく、世界情勢が密接に組まれて、そこから人間の集合の思惑が値を動かして、セオリー通りに行くと思いきや、裏から思いがけないファントムが現れ、ほとんど支離滅裂な、現代アートのような値動きを描く。また、相場というのは詩だ。人の想い、それも沢山の人の、ある人はこれ以上逆に行くと心中、というような土俵際で、またある人は資産が勝手に増え続けて、しかし勤勉を善とし、理不尽な境遇に身をおいて

工業に寄り添って

工業に寄り添って 命の危険と隣り合わせの職場を沢山見てきた。 堆く積み上げられた採石の山、巨大クレーン、信じられないような大きさの鉄板ロール、船の部品、新品の重機の整列、あちこちに注意とかかれた計器類とあらゆる金属、主にそういうところに出入りしていたが、私自身は本当に危険な現場に入ることはない。車に乗りながら、または建屋から建屋に移動しながら、傍目に見ていただけだ。 そのような職場ではほんの些細な思い違いや、見落としなどで実にあっさり人が死ぬので、家族も家を送り出してか

十五夜

十五夜 中秋の名月。十五夜。また、月の写真を撮ってみた。60倍の倍率だと、望遠鏡のような使い方になっているのか、デジカメで。光学60倍だとデジタルズームでさらに倍か。遠いところを見るのは素直に楽しい。アマゾンのレビューでこんなに遠くが見えてしまうなら盗撮が心配だ、と書いてあったがレンズの方向を下に向ければ確かに部屋の中が覗けてしまう。それはやってはいけない。自制している。ばれなくてもしない。重要なことだ。 ところで、月並み、と言うくらいで月はいろいろなところに顔を出す。月

旧友

旧友 ローリングストーンズのライブで旧友に再会した。あちこちでそんなグループができていて三十年ぶり、などとやっている。こちらも三十年ぶりだ。何人かの旧友に再会したが、ひとり、子供と一緒に別にきていた奴がいて、行動は別になったが、挨拶して子供にも「お父さんの昔の友達です」と笑いかけた。彼はその二年後に亡くなった。あれが最後の邂逅だった。いわゆるイケメンで子供も美男子だった。ひとに香典を託した。 その、ストーンズのライブの後、何人かで飲みに行った。その道すがら、かつてバンドを

ガラス窓など

ガラス窓など 窓ガラス越しに夕焼けを見ていた。少し紫がかってきれいだった。日が短くなった。母は「日がつまった」という。それを友人と話しているときに思わず出したら、ニュアンスはわかるけど、それ、普通は言わないよ、と言われた。方言なのか。そのほかに「したっけ」を指摘された。そうしたら、という意味だ。 そんなことを思い出しながら夕焼けを見ていて気がついた。このマンションが建って三十年ほど経つが、窓ガラスは一度も取り替えていないよな、と。 窓ガラスは丈夫だ。歩道に面した出窓など

小売業界

小売業界 遙か昔、小売業に就職した。新卒時のこと。 雑貨と食品(お菓子などの軽食)を担当した。夏のこの時期になると思い出す。クッキーが売れなかったこと。夏にクッキー。暑い中、食べたい人、あまりいない。夏にクッキー、無理。売らないと檄が飛ぶ。しかし売れない。 今のように百均なんてない時代。お菓子もそれなりに高い。コーヒーの工場に研修に行ってコーヒーの花が白いことも知った。恥ずかしながらそのとき、コーヒー豆は種だということも知った。赤い実の中に入っている種。 ただ、一度だ

今までにない

今までにない 今までにない。こんなの初めて。なんだこれは。と、たとえばカンディンスキーの絵、ダダ、北園克衛の詩、ヌーボーロマン。何か、たとえが古いが、それまでになかったものは両極端の反応を生み出す。表現の世界で。 私は今までになかったものは基本的に好きだが、それが自分の肌に合うものかどうかはまた別で、新しいけど、どことなく気に入らないという場合も多い。そして、そこにフォロワーがついて、そのフォロワーの中からまた新しいものが生み出されることも有れば、いつまで経っても真似のま

水栽培

水栽培 仕事を辞める前の早春、実家の沈丁花が満開になり、車を出しにいくたびに清冽な香りに包まれた。 今思えば、山梨には沈丁花は無かった。人に聞いても知らないといっていた。富士山麓の春は遅いので、もし沈丁花があったとしても一月遅れて花を咲かせるだろう。 その、盛りの沈丁花をひと枝もぎって来て、水に挿しておいた。花はまもなく散り、葉ばかりとなったが葉の並びの奥から小さな新芽が出始めた。 それから夏を迎え、沈丁花は根を水の中に伸ばしている。白く、白髪のように細かくはなく、枝

雨の屋上

雨の屋上 大学時代、バンドを組んでいたベーシストが仲間をつれてきた。もう、名前を忘れてしまったが佐藤君としておこう。佐藤君は痩せて、まじめな人だった。ジャズミュージシャンの駆け出しで、実際、実力はその筋では認められつつあったらしい。黒いレスポールカスタムをハードケースで持ち歩いていた。噂では三百万円するといわれていた。ギタースタイルは当時流行していたジョンスコフィールド張りのアウトスケールを織り交ぜたものだったが当人に言わせると「それは違う」とのことだった。弦の押さえ方、音