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有給について

有給について

ストレスがたまってくると有給を取った。そういうだけでいい職場だったとうらやまれるかもしれない。実際、休みは取りやすかった。そういう雰囲気の職場ではあった。そして、有給を取ると自転車に乗った。近所に県境を区切る大きな川が流れている。そこを河口へと下っていった。

昭和40年代は本当に汚い川だった。水が濃い灰色に濁り、岸辺には黒い泥がたまってにおった。それでも蟹やハゼなどが生息していた。ワタカという20センチぐらいの細長い魚もいた。大人の釣り人が腰ぐらいまで水面に浸かって釣りをしていた。

その後、昭和も末期になると環境基準などが厳しくなって、水質が見る見る改善した。水は青く、岸辺では透き通り、鮎まで確認できるようになった。野鯉の巨大なものや、中国からの魚も定着していた。青魚という魚は二メートルほどまで大きくなる。それをリール竿を何本もたてて、狙っている人がいる。そういった釣り人の釣果をのぞいたりしながらゆっくりと海の方へ転がしていく。

テトラポットに囲まれ、湾のようになって流れが変わる場所で、80センチほどの銀色の魚がヘラブナ釣りの竿にかかっているのを見たことがある。太陽に水面が細かく光ってしぶくなかで横飛びにもがく魚の目の位置は口に並ぶほど下にあった。れん魚だ。見下ろす形に自転車をとめ、格闘している釣り人を見守る。釣り人も観客を確かに意識して、何とか玉網に追い込もうと懸命に竿を立てていた。こうなると魚との根比べであることは私も経験があるので知っている。しばらくしてその場を離れた。

川べり近くまで木立が迫っている細い道を抜け、鉄橋が見えるところまでくると川沿いの道は太く、遊歩道の体になる。海まではまだ遠い。いつだったか、河口まで行ったときには、鉄橋の下の葦ずの茂った川岸を少し行くと、葦が切れて砂地になっている部分があり、そこに降りてみたところ小さな蟹がたくさん出てきた。潮招き、と言うのだろうか片方のはさみだけ大きく、しきりに片方ばかり上下させている。足をどんと踏むとすすっと砂に隠れる。しばらくするとおそるおそる出てくる。そしてまた片方のはさみばかり上下させる。そんな場面を楽しんだことがあった。

そのときは何か、本当にもやもやが胸にわだかまりどうしようもなかった。理由は忘れたが煮詰まっていた。蟹のおかげで、そのときは気分を切り替えることができた。鉄橋の下に桟橋がいくつかあって、たくさんの手漕ぎボートが係留されて波に揺れていた。

そのようなことを何度か繰り返すうちに次第にわだかまりは拭いきれなくなっていった。勤続年数が増えるとともに有給では落としきれないしつこい何かが確実に心窩部のあたりに積もりつもって足抜けばかりを思い浮かべる無駄な有給が増えていった。

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