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雨の屋上

雨の屋上

大学時代、バンドを組んでいたベーシストが仲間をつれてきた。もう、名前を忘れてしまったが佐藤君としておこう。佐藤君は痩せて、まじめな人だった。ジャズミュージシャンの駆け出しで、実際、実力はその筋では認められつつあったらしい。黒いレスポールカスタムをハードケースで持ち歩いていた。噂では三百万円するといわれていた。ギタースタイルは当時流行していたジョンスコフィールド張りのアウトスケールを織り交ぜたものだったが当人に言わせると「それは違う」とのことだった。弦の押さえ方、音の出し方、ひとつひとつプロというのは違うのだと言っていた。そういう情報で彼の音を聞いていたので、ひと味違うように感じたのだった。

で、誰かがデパートの屋上での仕事をとってきた。佐藤君との初めてのステージは、どしゃ降りだった。ステージには青いビニールシートがかかっていたが、たるんで、そこに水がたまっていった。私はといえば、バスドラムのペダルが演奏中に壊れた。私は到底佐藤君に付いていけるレベルではなかったが、雨とペダルに救われた。誰もいない青いベンチの前で、一曲やっただけで仕事は終わった。マイルスデイヴィスの「マイルストーンズ」という曲だった。

その後、佐藤君から誘われることは二度となかったが、ピットインの昼の部に出た佐藤君を見に行った。そのバンドは佐藤君がうますぎて浮いていた。黒いレスポールカスタムを短く構えた佐藤君はミュージシャンぽくなかった。演奏はいいが、華がなかった。どこか、へなへなした印象の人だった。しかし、彼は大きな夢と野心を抱いて音楽活動に真摯に取り組んでいた。

それから、時が過ぎ、みんなそれぞれ社会人になって(つまりミュージシャンにはなれず)集まって呑む機会があった。その中で、私は、そういえば佐藤君どうしてるのかな、と話を向けると、「死んだよ」と佐藤君を連れてきた奴が言った。メジャーデビューを目前に控えて、病死したとのこと。

どしゃ降りの屋上、佐藤君が振り返って気にするな、といったジェスチャーをしたこと、長い指、すこしシニカルなもの言いなどいくつか思い出されるものがあったが、一番はあのレスポール。あの黒い、三百万円というふれこみのレスポールカスタムがどうしたのかが真っ先に気になったのは私、人としていかがなものか。

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