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工業に寄り添って

工業に寄り添って

命の危険と隣り合わせの職場を沢山見てきた。

堆く積み上げられた採石の山、巨大クレーン、信じられないような大きさの鉄板ロール、船の部品、新品の重機の整列、あちこちに注意とかかれた計器類とあらゆる金属、主にそういうところに出入りしていたが、私自身は本当に危険な現場に入ることはない。車に乗りながら、または建屋から建屋に移動しながら、傍目に見ていただけだ。

そのような職場ではほんの些細な思い違いや、見落としなどで実にあっさり人が死ぬので、家族も家を送り出してから帰宅するまで、気が気ではないだろう。今日も一日、無事に家に帰ろう、といったスローガンがリアルな世界だ。

日本はそういった業種で発展してきたし、技術を世界に誇ってきた。そういう職場のそばにいつもいて、自分も世界を相手に巨大な物を作る仲間の一員のような気分になっていた。と、同時に、自分の仕事が、命がけで、少しのミスで死ぬことがない、比較的安全な仕事、そして、指につくのは潤滑油ではなく、スタンプのインクやボールペンの線といった業務でよかったと思った。

精神的には柔ではつとまらないかもしれないが、手や足が失われるような、または節くれて手指の変形するような仕事ではなかった。それは、単に人生の選択の問題だったのだろうか。そこに何か宿命づけられる要素はなかったのだろうか。

過ぎたことだが、ふと、その選択の不可思議について時折考えることがある。

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