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【映画所感】 首 ※ネタバレ注意

1980年に突如としてはじまった漫才ブーム。

もちろん、それまでにも寄席番組やお笑い番組は放送されていたし、漫才や落語をテレビで観る機会も多々あった。とくにここ関西では。

マイク一本だけで、思いの外視聴率が稼げることに気づいたテレビ局制作サイドが、『花王 名人劇場』(関西テレビ)や『THE MANZAI』(フジテレビ)を通じて夜のゴールデンタイムに、しかも全国ネットで漫才の放送を開始する。

もちろん、揃いの背広で、ふたりの掛け合いを中心とした、既存の演芸スタイルではなく、勢いのある若手漫才師を起用し、派手な演出、きらびやかな照明とセット、すべてが新しかった。

緊張感が伝わってくるようなライブ感と、早口で世相を斬って笑いに変えていくスピードとグルーヴは、漫才というよりは圧倒的にロック。

“漫才”というものの自由度を再認識し、エンタメの中心に突然躍り出てきたような感覚に、日本中が沸き立っていたように思う。

その漫才ブームを牽引していたのは、紛れもなくツービートであり、ビートたけしその人だった。

筆者は当時中学生。

日本エンタメ界の“カリスマ”の誕生を確かに目撃していた。

この1980年の衝撃以降、お笑いに限らず、この国のあらゆるカルチャーにビートたけしの名前は登場し、独り歩きしていった。

絶頂期へと登り詰めるビートたけしの人気を決定づけたのは、1981年の幕開けから始まった『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)にほかならない。

サブカル好きのマセガキどもだけでなく、いい歳した大人、著名人、文化人たちをも巻き込んで、木曜深夜のラジオ放送は一大ムーブメントを巻き起こす。

下ネタはもちろんのこと、時事ネタから政治、社会情勢までたけしの興味の赴くままに、淀みない早口で毒を吐いていく。

数々の名物コーナーが誕生し、“ハガキ職人”と呼ばれる有名投稿者を多数排出するなど、テレビでは決して聞けないたけしの本音を堪能できる場を、リスナー全員で盛り上げていた。

夜中に腹がよじれるほど笑わされた番組も、1986年12月にたけし自らが起こした「フライデー襲撃事件」により、半年間の休止に追い込まれる。

芸能界復帰・活動再開後も、ドタキャンや番組を休むことが多くなり、徐々にビートたけしのオールナイトニッポンは、失速していくことになる。

そして1990年12月にビートたけしは降板。足掛け10年にわたりつづいた、伝説のラジオ番組は、「フライデー襲撃事件」を挟みながらも生きながらえ、ここに大団円を迎えた。

オールナイトニッポン中期頃から本格的に映画界に進出したビートたけし。

『その男、凶暴につき』(1989)にて初監督。たけし流のノワールは、その徹底した暴力描写と乾いた演出で、邦画界の一大トピックとなった。

それから30年と少し。

2023年の北野武監督最新作は、久しぶりの時代劇となる『首』

冒頭、合戦の最中、首を落とされた武士の死体。頭部を失った首の中から這い出してくる沢蟹の映像が目に突き刺さる。

このシーンのインパクトによって、自然と居住まいを正される。

「グロ耐性がないと、少々キツめの映画か…」と思いきや、話が進むに連れてどんどんコメディの要素が強くなっていく。

タイトル通り、首はポンポン刎ねられていくのだけれど、あまりにも日常的な行為で、画面にすぅ〜っと馴染んでいる。残酷なシーンのはずなのに、ポップですらあるのだ。

加瀬亮演じる、狂気の織田信長。家臣を前に無理難題を突きつけ、傍若無人に振る舞う姿は、エキセントリックなパワハラ魔神そのもの。

これまでの信長像の“負”の部分を先鋭化させたようで、新しいし素晴らしい。

ただ、加瀬亮はじめ俳優業が本業の北野組の面々は、違和感なく観られるのだが、普段、映画やドラマを主戦場としていないキャスト陣が、どうも気になってしまう。

物語の狂言回し的な重要キャラ、曽呂利新左衛門(木村祐一)の部下ふたりが、芸人の「アマレス兄弟」だと気づいてからは、ストーリーそっちのけで、芸人やタレント探しに精を出してしまった。

柴田理恵に劇団ひとり、大竹まこと、弥助役の副島淳など。

副島淳においては、北野武監督を筆頭に有名俳優ばかりが集う撮影現場は、完全に「あっち側の人間」のオンパレード。

日本テレビで放映中の『午前0時の森 おかえり、こっち側の集い』での副島淳の言動に大いに共感していただけに、さぞや恐縮するアウェイな現場だったんだろうなと、勝手な心配と妄想をしてしまった。

同じ「こっち側の人間」としては、想像するだけでいたたまれないし、なんなら恐怖すら覚える。

根っからのテレビっ子は、なまじ“芸能偏差値”が高いがゆえに、余計なノイズを拾ってしまうのだ。

極めつけは、この人いったい誰が演じているんだろうと思っていた特異なキャラ・多羅尾光源坊。

エンドロールでホーキング青山だと判明したときには、思わず膝を打ってしまったほど。

人の命が今よりずっと軽かった時代の、エグくてサバイバルな日々。

加齢臭が漂うようなオヤジ同士の性描写。

おまけに、アドリブを交えた笑えるやり取りも用意され、ストーリーのフックとなる要素はふんだんなはずなのに、どうも一本調子で乗り切れない。

中盤のクライマックス、本能寺での信長の最期も実にあっさりと通過していく。

殺され方は斬新なれど、ワチャワチャしている間に火が放たれて「あれっ?」、終わっちゃった。

そして随所に繰り出される、コントのような展開。

自分には合わなかった。というより、完全にスベってたでしょ!

羽柴秀長(大森南朋)、黒田官兵衛(浅野忠信)とともに足軽たちの肉弾戦を高みの見物する総大将の羽柴秀吉(ビートたけし)。

やってることは『風雲!たけし城』(1986−89)そのもの。

ストーリー全編通しては、戦国時代にタイムスリップした『世界まる見え!テレビ特捜部』

たけしが、羽柴秀吉の着ぐるみで後輩芸人に終始ツッコんでいる風にも見える。

脇差がピコピコハンマーなら完璧だったのに…

『あの夏、いちばん静かな海。』(1991)、『ソナチネ』(1993)、『キッズ・リターン』(1996)に心ときめいたのは、遠い昔になってしまった。

長々と書いた前置きでのビートたけしのキレッキレの芸風は、もう戻ってこない。

『首』公開から10日余り、巷では「面白かった」、「楽しめた」など、概ね好評だとするレビューをよく目にする。

本当にそうか?

芸能界で天下を獲った、天才・北野武。

織田信長、豊臣秀吉同様、周りから忖度されつづけている存在になってはいないだろうか。



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