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坐禅

徹するのではなく、すでに徹している事実。

修行するのではなく、修行しようがない事実。
理解するのではなく、理解は置き去りの事実。

"自己をはこびて" ではなく "万法すゝみて"。
"する"のではなく、身心という"万法の事実"。

修証とは 縁に触れると"その通りになる"六根の作用。
だから道元禅師は "最上無為の妙術"と述べたのです。

禅 ~現代における見性悟道の実際~(PDF)