色々あっても思い通りに進路が進む秘訣①

タイトル通りなのですが、上記について私はよく周りから聞かれるんです。
そして秘訣①は「諦めないこと」と「手放すこと」なのかな?と最近思います。

なにか達成・獲得したいことに向かって、努力すれば必ず到達できるとは限らず。

自分自身ではどうにもできない外部的要因によって、どんなに努力しても、
到達したいところに真っ直ぐ到達できないことはよくありますよね。

そういう時って、どんなに逆流に抗ったとしても、体力と精神が削られるだけで、
焼石に水の状態となります。

こういう時におすすめなのが、ご自身が今持っている、
その「到達地に向かうためのルート」をさらに進むことを「手放す」ことです。

ただし、到達地に向かうこと自体を諦める必要は全くありませんのでご安心ください^^

「到達地に向かう異なるルート」を見つける意識を持ち続ければ、
遅かれ早かれ、達成したいこと・獲得したかったゴールに思いもよらぬ形で到達できるケースが多い、と個人的経験則から感じています。

例1)
オーストラリアの大学卒業後、アクセンチュア(ブリスベン支部)に新卒エントリーしたかった。でも、当時の豪州政府が変えた大規模なビザルール変更などにより、断念せざるを得なかった。
→日本に帰国して就活してたらアクセンチュア(都内支部)に就職となった。


私は現地の大学で映像制作と演劇をダブルメジャー専攻して卒業しました。
卒業間近から、「クリエイティブ業界をビジネス面からも学びサポート(コンサル)できるようになりたい。」と思いはじめていたんです。

理由としては、クイーンズランド州の劇団を立ち上げた4人の女性(同性)の元で働かせていただいたことがあり、
クリエイティブ業界を生きる女性たちの事業をビジネス面からサポートできるようになりたかったからでした。
同時に、クリエイティブ産業とITをコラボさせたい興味も私の中で湧きはじめていたため、IT系もかなりすごいアクセンチュアが良いな。。。と思っていたんです。

そのためには、まず、「現場」で働きながら学ぶのが良いと思ったんです。
かつ、アクセンチュアについては以前から知っていましたし、拠点だったブリスベンにあったため、新卒エントリーに申し込もうとしました。

ビザは、学生ビザから卒業ビザを申請すれば2年間は労働・学習など、
制限なくできるため問題ないと思ったんです。

しかし…何故か私が卒業ビザを申請しようとすると、オンライン上でエラーが出るんですよねw

当時、確認したところ、理由は私が過去に学生ビザを取得した年にありました。
実は当時の卒業ビザの申請が可能な該当者は、2011年前に豪州の学生ビザを初めて取得したことが、一度も無い人、という決まりがあったのです。。

私は2002~2005年あたりに豪州の学生ビザを取得していました。
そのため大学用の学生ビザは、2つ目だったんです。。

あまりにも理不尽すぎて泣きました(笑
もはや、私の努力や力ではどうにもできないことですので(笑

ご縁があり、ブリスベンのFragomenという大きな会社の、
イミグレの専門家にも、どうにか対処法はないかご相談したんです。
なんせ、2002~2005の学生ビザを持っていた当時の私は未成年というか、
小学生で働いてもいなかったのでw

ですが、専門家によると私のケースはあまりにもレアで、
滅多にないケースだから逆に、今回の卒業ビザのその「決まりの」穴にハマってしまったのだ、と。。

しかも、もしかすると就労ビザの申請なら、私もイケるかも!とアドバイスをいただいたのですが、
なんとタイミングが悪すぎる・・・
卒業間近になって豪政府が大規模な就労ビザのルールを変更し、
就労ビザ対象の職種が職種リストから、確か200種類くらい(うろ覚え)外されてしまったんです。
私が専攻していた映像制作・演劇系も該当リストから外れてしまい申請できかねる結果に・・・
(日系企業や海外からの企業でオーストラリアに支部があった会社も、
当時は急なこの大規模就労ビザルール変更にかなり驚いて焦っていたんですよ〜)

当時の豪政府は、国民の就職口を海外の方から守るための意図もあり、
これは正当な判断だと思います。
理由は分かるんだけれども、めっちゃ泣きましたww

こうなると、私も専門家もみんなお手上げですよね^^;
今では笑い話ですが、当時はめちゃくちゃ泣きましたw

というわけで、卒業後、その後も1年くらいブリスベンにいたのですが、
最終的には日本に帰国しました^^

帰国してからは貯金を崩しながらの就活をしていたのですが、
確かマイナビさんかビズリーチさん経由で日本のアクセンチュアからお話を頂いたんです。
しかも、まさかのクリエイティブ産業xコンサルx IT系のお話で^^

こうして、オーストラリアのアクセンチュアには到達できなかったのですが、
一旦、オーストラリアでの活動は手放し日本に帰国したら、
その決断が実は目標への異なるルートだったのだと後から分かったんです。
何故なら、日本のアクセンチュアにその後就職したからでした笑
(3年後に退職し、今は日系IT企業で働いています〜)

一度、手放しはしても、諦めずに別ルートから前へ少しでも進もうと日々意識すれば、
まさかの展開で進路が実はそのまま思い通りに進んでいた、というお話でした。

本当は、もっと沢山の例があるので、それらもご紹介したかったのですが、
今日はここまで。。。

最後に、昔から、私がしたいことは以下です。
「人と人をつなぐ」
「人と自然・生き物をつなぐ」
「人と機械をつなぐ」
「同性(女性)のプロジェクトに参加したい」
「空間/世界を時間を歪めたり整えたりして作り出したい」
「いつも学びたい」
「追究・探求を繰り返して、ものごとの本質を捉えたい」
「分かりやすく共有したい」
「安心・安全・愛を共有したい」

上記は、映像制作・演劇、コンサル(前職)、ITマーケ&IT経営企画(現職)、ヨガ、副業(ヨガ系)の全てで叶っていることです。

なので、時に、思うように事が運んでいないような時期もあるかもしれませんが、
「やりたい」こと自体は諦めず、ルートだけ「手放す」ことで、
異なる「ルート」が開けて次第にご自身を導いていくかもしれません。
一緒に、諦めずに前へ進んでいきましょうね^^♡

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