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ともに成長する「”子育ち”コミュニティ」。4年間の運営で大切にしてきたこと

55歳で1児の父となり、それから6年が経ちました。

子育てをしていく中で私が特にエネルギーを注いできたのは、子どもも大人もともに成長していけるような子育ての地域コミュニティをつくっていくこと。

なぜ複数の家族で子育てをしていきたいと思ったのかは、先日公開した記事にまとめています。

今回は、”子育ち”コミュニティを運営していく中で、私が大切にしてきたことをお伝えしたいと思います。


自走する地域の子育ちコミュニティをつくりたい

「子どもを中心にして、パパやママたちも一緒に楽しめ育っていく場をつくりたい」

地域コミュニティの中で育ってきた私自身の幼少期の体験から、そんな風に考えていました。

当時2歳だった息子が日常的に関わる大人は私と妻。そして、保育園の先生が中心。あまりに少ない。もっと息子と近い距離で関わる人の数を増やしていきたいと思っていたし、同じように感じている家族は他にもいるかもしれないと思っていました。

それで、思い切って複数の家族に声をかけ、子育ちコミュニティをつくることにしたのです。最終的には8家族で月2回、日曜日の午前中に30分間のリトミック教室を続けていくことになりました。

私が目指していたのは、「自走するコミュニティ」にしていくこと。

発起人である私がすべての意思決定をしたり企画を立てたりするのではなく、コミュニティのメンバーそれぞれがこのコミュニティでやりたいことを自由にやってもらえるといいなと思っていました。

大切にしたのは、年長者である私が権威を持ちすぎないこと

基本的には集まるのは、月2回のリトミック教室。それ以外にも、教室が終わった後にパパやママが飛行機工作やリース作りなどをする場「アフターリトミック」や、教室のない日に集まってキャンプや収穫体験などを行う自主企画「スピンアウトイベント」なども行いました。

メンバーが自主的に企画できるような場にしていくと、コミュニティが続いていくんじゃないかなと思っていたんです。これを意識したのは、私が過去に勤めていたソニーでの経験が影響しています。

ソニーには、「言い出しっぺがやる!」という文化がありました。熱意を持った人間が動くなら、そこには上下関係を超えたものがあり、上司や年長者は支援する側に回る。明文化するでなく、暗黙の了解として主体性を大切にする良い風土だったと思います。

また、会社から正式に割り当てられているチームや役割の他にも、非公式で運営されている場が多く自然発生していました。勉強会や読書会、キャンプなどを誰に言われるでもなく社員が自主的に企画する。そんな集まりが至るところにあったんです。

ここで学んだのが、権威を持った人がいない中でのリーダーシップのあり方でした。そこでは特定の人がみんなを引っ張っていくようなリーダーシップではなく、それぞれが全体を支えるようなリーダーシップを発揮していました。それによって、みんなでお互いを助け合ったり、自分の得意なことを伸ばしていけたりするんです。

まさにこれが、自走するコミュニティ。

私が”子育ち”コミュニティをつくろうと思ったときにも、私が権威を持ちすぎないことは強く意識していました。それは、最年長だっただけに特にそうかもしれません(笑)。

自走するコミュニティをつくるためにやったこと

とは言え、そう思っているだけで、自走するコミュニティになるわけではありません。

車輪が1回転するまでは自身がエンジンとなる必要がありました。回り始めたらメンバーの主体性を重視し、追い越さないイメージです。コミュニティの中心となっていたのはリトミック教室ですが、教室が終わった後に行う「アフターリトミック」や休日に行う「スピンアウトイベント」での交流も大切にしていました。

アフターリトミックでは、教室が終わった後の30分程度の時間を使って、パパたちに工作教室などを開いてもらっていました。どうしても子どもが2、3歳のうちはどの家庭でもママに負担がいきがちなので、最初はあえてパパたちに声をかけてお願いするようにしていました。

それは、保育園の送り迎え時に、笑顔が消え表情がこわばっているママが多いのを見ていたからかもしれません。パパたちが頑張るにつれ、ママたちもほぐれていってくれたように見えました。

「コミュニティが自走し始めたかな」と感じたのは、あるパパがご実家の農家にみんなを招いて収穫体験イベントを企画してくれたときです。仕事はお忙しそうでしたし、まして30人ほどの大人や子どもが自分の実家に訪れるとなると準備は大変だったと思います。それでも、最終的には企画してくれました。

実際に実行すると、子どもも大人も学びながら楽しめる素敵なイベントになりました。子どもたちの笑顔を見ると、他のパパやママたちもいろんな体験をすることの良さを感じてくれたのか、それを機にキャンプ(本栖湖)・雪体験ツアー(越後湯沢)など自主的な企画が立ち上がるようになっていきました。

とにかくギブしまくる。テイクは息子の成長だった

子育ちコミュニティを運営していく中で意識したのは、自分が「ギブ(give)」しまくることでした。具体的にやったのは、活動する場所の確保やメンバーの気分が上がるリトミックやイベントの動画作りなど。「ギブアンドテイク(give & take)」という言葉がありますが、テイクをあざとく期待して何かをギブしようという考えは持ちたくありませんでした。

とにかく自分が汗をかいてギブしまくる。私から始めたギブが他のパパやママたちにも広がり、循環していくようなイメージを持っていました。循環の輪の中で息子が何かを得てくれれば良いな、との期待感はありましたが。

私から始めたリトミック教室でしたが、息子はずっと教室の片隅の壁に向かっていじいじしていて参加しませんでした。自分が住んでいたマンションにあったキッズルームを使っていたので、「俺の庭に土足で上がりやがって…!」という感覚だったのかもしれません(笑)慣れ親しんだ場所にたくさんの人がきたので、それが嫌だったのか。モヤつきがあったんでしょうね。

けれど、そんな中でも自分の居場所を見つけてくれました。あるとき、リトミック教室の愛子先生の側に立って、助手のような感じで動きながらリトミックをするようになったんです。私自身がコミュニティの世話役のような立ち回りをしていたので、それを真似してみるような感覚だったのかもしれません。

それができたのは、みんなと同じようにできなくてもずっと待ってくれている愛子先生のおかげでもありますし、何よりこのコミュニティに関わる家族みんながあたたかく見守ってくれていたからだと思います。

参加してくれた家族からの言葉

コミュニティができたばかりの頃はうまくいかないこともありましたし、解散したあともショッキングな事件がありました。とはいえ、振り返ってみると良い思い出ばかりが思い出されます。

嬉しかったのは、参加してくれていたパパやママたちから温かい言葉を多くもらったこと。ここで、いただいたメッセージの一部をご紹介します。(メッセージは主旨が変わらない程度に編集、省略しています)

保育園の保護者たちでこんなに仲良くなれるとは正直思っておらず。親が繋がり「みんなで子育て」ができると、親も気が楽になりhappyになれるのだと学びました☺️本当に大切な関係性です。

みなさんのお陰で続けることができたのだと再認識しています。リトミックのみならず、どこの保育園、幼稚園よりたくさんのイベント、経験をこんなにも仲間達と共有でき、偉大なご縁ができたことを嬉しく思っています。この先も繋がっていけると信じ、子供たちの成長を引き続き見守り続けていけたらと思っています。

お兄ちゃんのサッカー中心の週末をいつも過ごしていて、ついついA(下のお子さんのお名前)にはなにもない土日を過ごさせてしまっていた中、リトミック、皆様のおかげでAのための時間を設けることが出来ました。保育園では体験できないお友達との関わり合い等、かげがえのない時間となりました。

改めて読み返してみると、私自身が大切にしてきたこと、「親ができることは体験機会つくりとそれを支える仲間作りに尽きる」という考え方に反応してもらえていたんだなぁと感じ、嬉しさが込み上げてきます。

特にきょうだいも一緒に参加してくださっている家族の場合、お兄ちゃんやお姉ちゃん、妹や弟が手持ち無沙汰になってしまうことが気がかりでした。なので、一緒に来てくれているお子さんが暇にならないように声をかけることも意識していました。それによって、ママが安心することにも繋がると思っていたんです。

先日、近所を歩いていたら、あるご家庭の子どもが「〇〇(息子の名前)パパ!」と手を振って駆け寄ってきてくれました。私にとって大切な姪っ子・甥っ子を見ているような感覚になりました。

これから子どもたちがどう育っていくのかは本当に楽しみです。今後もこの繋がりが続いていくといいなと思いつつ、私としては、それぞれがまた新しい場所で新しいコミュニティを作ってほしいという気持ちもあります。

とはいえ、20代30代のパパやママにとっては、子どもの幼少期と自身のキャリアステージが変わっていくタイミングが重なる方も多いのではないかと思います。そう考えると、ある程度仕事が落ち着いた50代だからできることだったのかもしれません。

けれど、何歳であってもコミュニティづくりを通して得られることは大きいと思っています。もしあなたが何らかのコミュニティをつくろうとしているのではれば、ぜひ参考にしてみてください。

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