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圧倒的な才能を見た時、才能のない人はどう思うか

昨日も、いつも通り体を鍛えていたわけですが。

僕がいっつも通っている施設に、跳び箱に初挑戦している人がいました。
かわいい彼女を連れていた彼は、どうやら優れた運動神経の持ち主のようで。
わずか2回の挑戦で、余裕で18段を跳んでしまいました。

僕が18段を跳ぶまでにかかった期間は初挑戦から1年以上。
にも関わらず、僕は彼ほど余裕で18段を跳ぶことができない。

こういう時、圧倒的な才能の違いを感じてしまいます。
時々、自分が努力してたどり着いた領域にあっさりと踏み入れてしまう人が現れる。

彼らは「案外できるんじゃん」という顔をして、もう探求することをやめる。
思ったよりできた、彼らにとってはそれで十分だから。

でも、こっちからしたら色々思うところがあるわけです。

その才能、少しは分けて欲しい。悔しいという感情。
え、もうやめちゃうの?練習したら21、22段ぐらいは簡単に跳べそうなのに。
才能が埋もれてしまう、勿体ないという感情。

そんな気持ちが頭の中でグルグル回るけど、僕は小市民なので彼に笑顔でこう声をかける。

「すごい!運動神経めっちゃ良いんですね!」

本当は思っていること、言いたいことは山ほどあるけど。
その一言で、自分の感情を処理する。

圧倒的な才能は、時に人の気持ちを折りかけることもあります。
それでも、前に進んでいかないと。
こんなことでモチベーションを落としていたら、これまでの1年はなんだったの?って感じですし。

それそのものが好きで、努力を続けられることもある種の才能のはず。
そう自分に言い聞かせて、僕は今日もトレーニングを続ける。


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