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浮くぐらいなら、飛んじゃえばいい

中学生の頃の僕は、周囲から浮くのが嫌いだった。
どんなことにおいても、なるべく周囲と同じであろうとしていたと思う。

小学校の時に書かされた将来の夢も、修学旅行の行先やアンケートも、合唱コンクールの自由曲も、みんなが選んだものに票を投じた。
自分が右だと思っていても、みんなが左だと言ったら僕もそう言う。
そんな風な生き方を、自ら選んできた。

そんな僕にとって、初めて人と違う道を選んだのが大学の部活選びだった。

高校の時仲の良かった友人たちは学園祭の実行委員会へ、学籍番号が近い人たちはみんなテニスサークルに入った。

僕は、どっちにも入りたくなかった。
球技は苦手だし、学園祭のようなイベントには興味がなかった。
それに、”友達が入ったから自分も入る”という選択肢をとり続けていた自分を、どこかで変えてみたいとも思っていた。

結局、僕は大学の放送部に入った。
映画やドラマを自分で作ってみたい。そんな想いが実現できそうな部活だったからだ。

結果として、僕にはかけがえのない友達と思い出ができた。
今、僕という人間がこの記事を書いているものあの日放送部を選んだおかげだ。
あの時、人と違う選択肢を選んで本当に良かったと思う。

その辺りから、僕は変わり始めた。
好んで人と違う選択肢を取るようになった。

大学の部活でエントリーしていた大会に、引退しているのに出場した。
就職活動の結果に納得がいかなくて、就職留年した。
社会人になって、2回も転職をした。
20代後半になってから、がっつりスポーツを始めた。

結果、僕はどちらかというと社会から浮いている側の人間になった。
32歳だというのに子供はおろか結婚もしていないし、休みになるとトレーニングや映画を観ることに時間を注いでいる。
あんなに他の人と同じ選択肢を取ることが好きだったのに、おかしなものである。

でも、今の僕はそれでいいと思っている。
30代になった今、僕が多少浮いていることなんて他の人は誰も気にしちゃいない。みんな、目の前にある自分のことで必死だから。

よくよく考えたら、多少浮いているだけなんて意味がない。
どうせなら浮いて浮いて浮きまくって、空を飛んでるぐらい目立たないと。
周りの人は、きっと見向きもしてくれない。
だから、どうせ浮くなら飛んじゃうぐらいまでいきたい。
そうすることで、僕は”その他大勢”でいるよりももっと大事なものを手に入れることができるはず。

今の僕は、そう考えて毎日を生きている。

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