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【短編小説風】まだ恋は始まらない

仕事で疲れた体を、引きずるようにしてアパートの3階までたどり着いた。

僕は、好きでもない仕事を毎日続けている。

もう26歳。
変わりたいと思いながらも、何も変えられない。

今日も、昨日と同じ日だった。

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今の給料じゃ一人暮らしは厳しいので、26歳になる今年も私はまだ実家暮らしだ。

明日は怒られずに済むだろうか。

同じような日々の繰り返し。

私の毎日は、何も変わらない。

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仕事が終わったら、スーパーで値引きされたお弁当を買う。
僕の決まりきった毎日の一部だ。
そろそろ時間は20時。
 
レジで前に並んでいる女性が、大根やにんじんをカゴにいれている。
煮物でも作るのかな。
僕は、いつから自炊をしていないだろう。

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一人暮らしを始めて8年。
自炊だけはそれなりにできる。

とはいえ、時間はもう20時。
今から作るのは中々大変だ。

後ろに並んでいる人のカゴに、値引きされたお弁当が入っている。

体に良くなさそう。
そう思ったけど、私の毎日も健康とは言えない。
主に、精神的に。

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「一緒に映画を撮りませんか」

大学時代の部活の後輩に突然そう言われた。
どうやら、映像のコンテストがあるらしい。
後輩は、今はフリーランスで映像の編集をやっている。

「俺にはもう無理だよ」

「先輩じゃなきゃダメなんです」

僕の返事を、後輩は思いの外強い言葉で否定した。

「良い答えを待ってます」

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雨はそこまで嫌いじゃない。
心の雑音をかき消してくれる気がするから。

しかし、予報外れの急な雨は困る。
傘を持っていない私は、駅の改札で立ち尽くしていた。

「あの」

声をかけられ、振り向く。
近くに同い年ぐらいの男の人が立っていた。

「窓口に貸出用の傘があるので、困ってるなら使って良いと思いますよ」

少し恥ずかしそうだけど、丁寧な口調で教えてくれた。

3年間この駅を利用しているけど、知らなかった。

「ありがとうございます」

お礼を言うと、男性はクシャッと笑った。

「いえいえ」

会釈すると、彼は傘をさして歩いて行った。

久しぶりに、人の優しさを感じた気がした。
…そういえばあの人、どこかで見たことあるような。

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久しぶりに良いことをした気がする。

最寄駅に貸出用の傘があることは、あまり知られていない。

一人っきりの女性に声をかけるのは躊躇したけど、どう見ても困っていたし。
あと、気のせいか彼女に見覚えがあるような気がしたのだ。

困っていた彼女には申し訳ないが、戸惑った顔で空を見上げる彼女を見て、僕の中にインスピレーションが沸いた。

うまくいかない人生を送る人たちを、元気付けるような作品が作りたいな。

思い立った時が、自分を変えるチャンスなのかもしれない。

僕はLINEを開き、後輩の名前をタップした。

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「もう一度、芝居をしてみませんか」

そう声をかけてくれたのは、舞台に出た時に照明をやってくれた男の子。
大学時代は、映画研究部でたくさん作品を作っていたらしい。

「もうやめたから。芝居じゃ食べていけないし」

「あなたの演技がもう一回見たいんです」

断る私を、彼は思いの外強く引き留めた。

「それに、今回は僕が一番信頼しているディレクターを起用します。
 僕の知っている限り、一番才能がある人です」

彼が手放しで人を褒めることはそうない。
どんな人なんだろう。すごく気になった。

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「あれ」

ある日、完成した脚本のお披露目とスタッフの顔合わせを兼ねた食事会に行くと。

そこに、傘を持たないヒロインがいた。

今日は、昨日と少し違う日になる。
そんな気がした。

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『最も才能がある人』は、私に傘をくれた人だった。

こんな運命のイタズラがあるなんて。

話してみると、どうやら住んでいるところも近いらしい。

彼の脚本は、どこまでも優しさに満ちていて。
久しぶりに役を生きてみたいと思えた。

私の退屈な毎日が、少し変わるかもしれない。
そんな予感がする。

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