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マリーはなぜ泣く⑫~Caravan~

前回のあらすじ:はじめて組んだバンドはトリオ編成だった主人公のもとへ、当時ドラムを担当していた「ジンジャー」が死んだとの連絡が入る。追悼ライブをやろうとの誘いと共に、ベース担当だった伊東さんが作曲家として一旗あげている事実を知る。【これまでのお話https://note.com/zariganisyobou/m/m1008d63186fe

 クソ田舎の実家へは、たまに顔を出しに帰っていたが、松山市内には大阪へ出た翌年に一度、なんとなく戻ったきりだった。松山に行く用事というのが、それだけ無かった。
 俺は二年ぶりにギターの弦を張り替え、九年ぶりに松山に戻った。伊東さんの顔を見るのは彼が七年前に大阪へ遊びに来て一緒に飲んだ時以来だった。

 高速バスの停留所まで伊東さんは向かえに来てくれた。相変わらず痩せっぽっちな俺の後ろに着いて、大籠包と満里が降りてくる姿に相応に歳食った伊東さんの口元は緩んだ。

 ビジネスホテルのチェックイン時間が来るまで、伊東さんが、「事務所」と呼ぶ、近くに借りている物件へ行った。普段はそこで、作曲と、簡単なレコーディング。そして、ギターとベースと作曲を教える少人数制の教室をやっているらしい。大して広くはないが、上等な空間だった。

 伊東さんが俺たちにコーヒーを入れてくれている間に、俺は壁に飾られた写真や、雑誌の切り抜き、棚に並べられたCDやDVDを眺めた。どれも伊東さんが関係しているアーティストの物だった。知らない間に、彼は地元音楽界の名士になっていた。
 夜に音合わせをする約束をして、ギターだけ預け伊東さんの事務所をあとにした。ホテルへ向う途中、満里に、

「伊東さんの事務所で、今まで見たことのない表情をしてた」と言われた。どんな表情だったか聞くと、
「無表情とも違うけど、感情が読みとれない顔」と言われた。それを聞いて、大籠包が、

「それは他のヤツが売れたときの芸人の顔やな」と言った。

 チェックインしたあと、俺の実家へ来たことはあるが、松山は初めての満里を連れて、城に登り、道後温泉に行った。観光すべきような場所はその二つしか無かった。その間に伊東さんは、明日の追悼イベントに向けて他の出演者と打ち合わせに忙しく動き回っていた。

 夜の七時に大籠包の部屋を辛抱強くノックして、寝ていた彼を起こし一緒に晩飯を食いに行った。そこで先代の小籠包とその家族と落ち合った。七歳の娘と、五歳の息子を連れた先代は、日焼けした農家の親父になっていた。誇張された関西弁はもう使わなくなっていて、代わりに、「ほやけんよぉ」という万能な伊予弁のフレーズを乱発するようになっていた。彼の子ども達は大籠包レベルの巨漢を目にするのは初めてらしく、怯えて大人しかった。

 トイレで大籠包と一緒になったときに、
「幸せそうな家族やな」と言うと、
「なんか、浦島太郎になった気分やな。俺ら。――十年一昔とはよういうたもんやで」と返して来た。洗面台の鏡越しに見える大籠包の顔は、「他のヤツが売れたとき」の表情だった。

 先代の嫁が車を運転し、子ども達を連れて帰ったあと、大籠包と先代は二人で飲みに出た。俺は土地勘の無い満里をホテルまで連れて帰った後、伊東さんの事務所へ向った。



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