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前世から続くファラオとの大恋愛 (番外編)

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エジプトでは不思議な出来事といおうか、不思議な人々は大勢いた。観光ガイドを始め、様々な遺跡に訪れるようになってから、非常にそれは感じた。

ちょいちょい出くわしたのが、例えばルクソールの王家の谷にある、ラムセス6世、ラムセス9世等の墓の前でオイオイ泣いている外国人(みんな白人)観光客たち!

(墓イコール洞窟部屋のイメージでお願いします。ちなみにラムセスの名前がつくファラオは全員で11人いたと思う。最も有名なのがラムセス2世ですな)

最初、見た時はびっくりして「どうかされたのですか?」と声をかけた。確かドイツ人の年配女性だった。ラムセス6世の墓の入り口のところで、わあわあ派手に泣き崩れていたのだ。

その女性は声を詰まらせながら答えた。

「ラムセス6世様にお仕えした時を思い出して、感傷に浸っているの」。

「!!!??」

ふとバワーブに目をやった。(それぞれのファラオの墓の入り口にはバワーブ(門番)がいる) バワーブは「またかって感じさ」とやれやれとため息をついた。

どういうこと!?

面食らったがだんだん分かってきた。

彼らは前世の記憶を持っていて、前世でエジプトのファラオに仕えていたというのだ!

(ぶっちゃけ、墓の入り口のところで泣き続けられていると、こっちは観光グループを連れているので非常に邪魔でした)


こういう人々のうち何割が本当で、何割が単に頭がおかしいだけなのかなんとも分からなかったものの、

かの有名なオンム・セティは間違いなく、本物の前世の記憶を持った人物だったにちがいない。



オンム・セティの本名はドロシー・イーディー。イギリス人だ。エジプト人との間に作った息子の名前がセティ、オンムというのは「お母さん」の意味である。

日本でもよく子供を持つ女性に対し、「良彦君のお母さん」「ななちゃんのお母さん」という呼び方をするが、エジプトでも「セティのお母さん(= オンム・セティ)」と呼ぶのは普通である。

(ただ全部息子の場合で、娘の名前のお母さん、という呼び方はあったけな?私はあまり記憶にないです)

オンム・セティ(ドロシー・イーディー)の人生については、やはり私と同時期、エジプトで観光ガイドもちょっとされていた田中真知氏翻訳『転生 古代エジプトから甦った女考古学者』(ジョナサン・コット新潮社、2007)に実に詳しく書かれている。(田中真知氏の翻訳はどれも読みやすい!)

エジプトの考古学の世界においても、観光業界においてもオンム・セティを知らない者は皆無だった。

オンム・セティは1981年(享年77歳)でお亡くなりになっているので、90年代にエジプトに暮らした私は当然面識がない。

だけどもエジプトで私が出会ったナイル川クルーズ船の船長や、考古学者、古株エジプト人観光ガイドはみんな、みんなオンム・セティを覚えていた。

「どういう人でしたか?」と尋ねると、全員の返しはほとんど一緒だった。

「ああ、オンム・セティ!

いつも古代神官の格好をして裸足でね、非常にユニークな女性だったよ。

同時に茶目っ気があって、どこか性格も可愛いくて、だれもかもが彼女に魅力されたものだ。

(前世の記憶)話!? ああ間違いなく、本物だったよ。会えば分かる、オンム・セティが語っていた前世の記憶は間違いなく本当だね!」。



ちなみに私が知る限り、イスラム教徒も学者という人種も、生まれ変わり(輪廻転生)や幽霊を信じない。これらに否定的だ。

ただ、エジプトに住んでいると、みんなどうしても不可解な怪奇現象を経験することがある。長くなっちゃいそうなので、ここでは書かないでおくが、

とにかくイスラム教の教えしか信じない敬虔なイスラム教徒も、スピリチュアルな話は一切信じない堅物な考古学者たちも、オンム・セティの前世話だけは、頭ごなしに否定しなかった。それだけの真実性を当の彼女からは感じざるを得なかったからだ。

実際、その後YouTubeで昔に製作されたオンム・セティの特番を私も見て、納得した。フィルムに残る生前の彼女のインタビューなどを拝見すると、頷るしかない。

オンム・セティの語りはあまりにも古代エジプトの記憶が具体的で生々しく詳しすぎる。

また彼女の顔つきや口調など見ていても、おかしなものは一切感じられない。

そして小柄で笑顔も可愛いらしく、流暢なエジプト方言アラビア語でローカルのエジプト人とも笑いながら雑談し、ああ愛されるべき女性だったんだなあ、とほっこりすらした。



オンム・セティことドロシー・イーディーは1904年、ロンドンの中流家庭に生まれた。

3,4歳の時、家の階段から派手に落下し頭を強く打つ。心臓の動きも止まり、医者は死亡宣告をし死亡診断書も作成。

ところがドロシーは息を吹き返した。奇跡が起きたとしか言いようがなかった。

そして頭を強打して一度死んだことがきっかけで、前世のエジプト人だった時の記憶が蘇る。

その後「"Home"に帰りたいの」とたびたび口にするようになり、親を困らせた。


学校に上がると、今度は「カトリックの教えには従わない、だって私は古代エジプト教の信者だから」と反抗的態度を取り、両親が学校に呼びだしを喰らうなどたびたび問題を起こした。

ある日、父親に手を取られて大英博物館に足を運ぶ。そこでエジプトの新王国時代の神殿の絵を見て、

「私が住んでいたところだ!」。

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その後、ドロシーは大英博物館に通い、古代エジプトのことを勉強し始める。

第一大戦勃発後、ドロシーはロンドンを離れサセックスの祖母の家に疎開。その間もずっと独学でヒエログリフ(古代エジプトの言語)の読み書きなど独学を続けた。


大人になったドロシーは、ロンドンにあるエジプト関連の出版社に就職。そこであるエジプト人男性と出会う。そして彼を説き伏せて共にエジプトへ。ドロシーは27歳だった。

生まれて初めてエジプトに降り立ったドロシーは、いきなり平伏せをし地面にキスをした。横にいたエジプト人のボーイフレンドはびっくり仰天したそうだ。そりゃあそうだろう...

ドロシーは真っ先にギザやサッカラのピラミッドに訪れた。まずピラミッドにご挨拶をしなければ、と思ったからだ。そしてどのピラミッドの中に入る時にも必ず靴を脱いで裸足になった。


ある夜だった。

ベッドで寝ているオンム・セティの頭上にファラオのセティ一世(紀元前1323年生まれ!)の幽霊が現れた。彼女は全く恐怖は感じなかった。むしろ懐かしさや愛おしさの感情が湧いた。

ところで、セティというのは新王国時代に存在した、有名なファラオの一人だ。ちなみに一番有名なラムセス二世の父親にも当たる。

その後もセティ一世の幽霊はたびたび彼女の夢の中に出てきたり、実際に目の前に現れるようになった。

そうして彼女は『ファラオ』の霊と不思議な逢い引きをし始めたのだが、当人いわく「完全なプラトニック」(!) だったそう。(←そもそも年齢差が2,3千年離れている、とかも含め「ぬ?ぬぬ?」だけど、スルーすべきなんだろう...)

彼女の夫の両親も、寝ているオンム・セティの頭の上にセティ一世の幽霊がいたのを目撃したが、あわてふためき逃げたそうだ。


結婚して息子が生まれると、ドロシーはその子にセティと名付ける。

が、夫は嫌がった。異教(古代エジプト教)のファラオから子供に名前を付ける親などいないからだ。(普通はコーランに出てくるイスラムの名前を付ける)

しかしドロシーは頑固で譲らず、そこから、ドロシーはオンム・セティ(セティのお母さん)と呼ばれるようになった。


セティ一世(の幽霊)と交信(逢い引き)は続いた。そのうちに、オンム・セティは前世で自分が何をしでかしたのか、徐々にようやくはっきりと思い出してきた。

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オンム・セティはアビドスの神殿で女神官をしていた。

あるとき、そこに当時のファラオのセティ一世が訪れた。二人は瞬く間に恋に落ち、彼女は身篭る。

しかし神官が妊娠してしまうなど言語道断。またこれが発覚したらセティ一世に迷惑をかけることにもなる。そこで女神官だったオンム・セティは自害を図る。

これら全てを思い出したオンム・セティはようやく、今の自分の成すすべきことが分かった。

前世では自害により神官の役割を途中で放棄してしまった。今世ではそれをやり遂げねばならない!


1935年、オンム・セティは夫と別居を経て離婚する。

彼はイラクで教職に就いたので、単身でエジプトを離れることになったのだ。いずれにせよ、夫婦の関係はとっくにもう破綻していた。息子のセティはオンム・セティの元に残った。

シングルマザーになった彼女はピラミッドを研究していた、あるエジプト人考古学者にスカウトされ、彼の考古学研究所に採用された。

ちなみにそれまで、そこの研究所で雇われた女性はいない。オンム・セティが初めての女性スタッフになった。

言葉を返せば、女性を雇う方針が全くなかったともいえるのだが、オンム・セティが希有なる人材と気がついたからには、女だろうとなんだろうと雇いたい。

もっとも、当初はエジプト人考古学者である研究所の所長も、オンム・セティには大した期待はなかった。

学歴職歴はお世辞にも立派なものではなく、考古学の分野の実績も皆無だったからだ。

ただ英語のネイティブスピーカーなので、翻訳だけやってもらえればいいと思っていた。

もしかして、彼女が女手ひとりで幼い息子を抱えている、ということで助けようという気持ちもあり、雇ってあげたのもあったかもしれない。

ところが驚いた。

オンム・セティの設計技師としてのあまりにも高いレベルのスキルや、編集スキル、絵かきとしてのレベル、そして翻訳は素人とは思えない能力であり、また文章力も非常に素晴らしかった。(後にオンム・セティは自身執筆による本を何冊も出版している)

それだけでない。オンム・セティのエジプト考古学の知識 - 

ヒエログリフ解読、古代エジプトの信仰のこと、そして古代の寺院(神殿)についての知識は詳しすぎるほどだったのだ。

実際、その後古代エジプトの神官だった記憶を持つオンム・セティは多くのエジプト考古学者に大きな助けをしていくことになる。

彼女はここでめきめき活躍するが、しかし1956年、何年も続いたピラミッド研究プロジェクトは予定通り終了。研究所は解散してオンム・セティは無職になった。

仕事を失えば、(当時のエジプトにあったかどうか知らないけど)普通は職業安定所に足を運ぶものだ。

ところがオンム・セティの場合は違った。

彼女は真っ先にクフ王のピラミッドのてっぺんに上り、西の方向に向かい「オシリス神よ、どうか私に仕事を与えてください」とお願いをした。

オシリス神は問うた。「カイロで給料のいい仕事と、アビドスでの設計技師としての薄給の仕事、どちらがいいか」。

「アビドスに行きます!」オンム・セティは答えた。セティ一世(の幽霊)もそれを薦めた。

過去世の自分が神官をしていたオシレイオン、そしてセティ一世葬祭殿がアビドスにはある。ようやくそこに戻る『時』が来たのだ! オンム・セティは52歳になっていた。

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アビドスの村にはイスラム教徒だけでなく、コプト教徒(クリスチャン)たちも住んでおり、両宗教の間でたびたび衝突があった。確か外国人襲撃テロもあったかな...

そのためだったと思うが、私がエジプトにいた時は、外国人がアビドスに観光するのは禁止で、アビドスの村を観光バスで通過するときは、必ずかなり厳重な警護がついたものだった。


それはさておき、オンム・セティはアビドスの神殿、オシレイオンに住みつく。ここで門番のような仕事をしながら(←かなりごり押ししたらしい)、オシレイオンの研究に来る考古学者たちの手助けも始める。

実際に当時のオンム・セティに出会ったことがある人々の証言によれば、彼女は古代の神官の衣装を身につけ、裸足で神殿の中を歩き回っていたそうだ。

初めは各国の考古学者たちは、彼女を眉唾物と見なし疑心暗鬼で距離を取っていた。

ところが、どこどこに当時の庭が埋もれている、とオンム・セティが指差したとこを発掘すると、本当にその庭が出てきたり、他にも驚くことがたくさん起きた。


オンム・セティの噂はヨーロッパでもアメリカでも広まった。

その頃は、ナイル川クルーズ船の旅にアビドスの観光も必ず含まれていた。(アビドス観光禁止ではなかった時代だった)

下船してアビドスを訪れ、彼女に出会い観光ガイドをしてもらった外国人観光客の間から、口コミでオンム・セティの評判が各国に伝わったのだ。

自称エジプトで古代神官の前世を持つイギリス女性が神殿に住み着いている...アメリカやヨーロッパのメディアが目をつけないわけがない。

オンム・セティの取材敢行のため、次々に外国の雑誌やテレビがアビドスの彼女の元にはるばるやって来るようになった。むろん、本音は彼女の化けの皮を剥がしてやろう、という魂胆ばかりだった。

ところが、いざ本人に対面すると、どのレポーターもオンム・セティの人柄に魅入られた。とてもユーモラスでチャーミングでそしてあまりにも聡明な女性だったからだ。

さらに著名な考古学者や研究者と対峙させても、なんと!

ほとんど専門家全員が舌を巻き、オンム・セティを嘘つきと断定することが出来なかった。オンム・セティの知識の正しさや深さは『本物』だった。


数年後、オンム・セティはアビドスの村に家を構え、そこに暮らし始める。

当初はアビドスの村人たちはずいぶん困惑した。しかし彼女は持ち前の"人たらし"の魅力で、そのうち村人たちに愛されるようになっていった。

オンム・セティが村人に受け入れられた最大限の理由は、宗教への尊重をしたからだ。

彼女はラマダーン中は村のイスラム教徒たちと共に断食を行い、そしてクリスマス(コプトは正教なので、12月25日ではなく1月7日)には、村のコプト教会のミサに参列した。

このように自分は古代エジプト教だけども、現代の宗教にもちゃんと敬意を払ったのは見事だった。


その一方、相変わらずオンム・セティは一風変わっており、たびたび村人は彼女の奇行には首を傾げた。

例えばオンム・セティはオシレイオンの(ナイル川に繋がる聖なる)泉は万病に効くと主張し、何かと薬よりもオシレイオンの泉に身体を浸かったりする独自の治療法を行うなどし、人々を呆気に取らせた。(でも本当に泉パワーで病気を治していたらしい!)

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アビドスの村での長いひとり暮らしにおいて、孤独を感じたことはない、と晩年のインタビューでは答えている。

「ペットさえいれば孤独なんて感じないわ」。

オンム・セティはずっと猫を飼っていた。亡くなる前には、自分の死期を察知した彼女は飼い猫二匹を人に託している。

またインタビューでは語らなかったが、セティ一世がずっと彼女の前にだけ姿を現し続けていただろうから、だからなおさら孤独ではなかったのではないだろうか。


オンム・セティは自分で自分の墓を庭に用意していた。それは古代エジプト教に乗っとった形式の墓で、中に入るとあの世とこの世を行き来するための扉も備え付けられていた。

この、自分で用意した古代エジプト式のお墓に火葬ではなく土葬されることを願っていた。

だが、残念ながら村の役所から許可は下りなかった。結局、村のコプト教会の庭にて、普通のキリスト教の埋葬法で埋められた。

しかし、オンム・セティは生前、本当に信頼する人にだけ話してていたらしいが、

「前世では、私は女神官として過ちを犯してしまった。そのため、今世の私のすべきことは、今度こそ神官として命をまっとうすることだった。

なんとかそれはやりこなせたと思う。だから『最後の審判』でオシリス神によって、ちゃんと冥界に旅立たせて貰えると信じている。

そしてこれでやっと、セティ一世の魂と永久に一つになって結ばれる。だから死ぬことは全く怖くもないわ!」。


何度も書くとおり、私自身はオンム・セティに実際に会っていない。でもエジプトで多くの人々から彼女の話を聞き、とても心惹かれ印象に残った。

またオンム・セティの話は単なる不思議ストーリー、というより(『?』はいっぱいあるけれども!) 強烈なラブストーリーと感じるのはきっと、私だけじゃないと思う。




なお、この記事は私が聞いた人々からの話と、自分なりの解釈と、そして↓記事を参考にしました。

:https://alchetron.com/Dorothy-Eady

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