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継続はスーパーパワーなり。

毎日投稿を続けられている。今まで「◯日連続投稿! この調子で頑張りましょう」と激励してくれていたnoteくんが七回目あたりで急にスンッ…と当たり障りのないコメントになり、「24時を越えてから投稿しているのに、もしかしてこれは毎日投稿判定になってない……?」とドキドキしていたが、ちゃんと達成できていたようである。あとちょっとで10日連続投稿バッジを獲得できる。
もう、noteくんのいけず。
あと連続投稿初回で設備破損について触れたが、どうやら老朽化が原因であって僕のせいではないらしい。心配して損したワ。

『ミズ・マーベル』第1話を観る。制作陣は天才なのか? アートワーク、キャスト、演出、劇伴……どれをとってもちょっと考えられないくらい一級品だ。それぞれの要素が破綻することなく同一のレイヤーで調和し、独特な世界観を見事に成立させている。
『ミズ・マーベル』の世界では現実の物体と妄想の産物が入り交じっている。しばしば、主人公の空想がシームレスに画面を充溢するのである。普段から空想に入り浸ることを止められない彼女は趣味であるコミックをベースとして思考する瞬間がある。形容するならコミカルシンキングともいうべき思考方法で、それがそのまま演出として採り入れられている。彼女の思考がコミックとなって、現実世界に描画されるのだ。もちろんそれは演出に過ぎないのだが、一見過剰な演出であるこうした表現は丁寧な進行と構成で無理なく説明されており、作品全体のトーンを決定づけたばかりでなく、「コミックを原作としている」というドラマそれ自体への言及にも成功している。
ややラストあたりのクリフハンガーが弱いような気がしないでもないが、これほどまでに高い完成度で一話を終えたいま、この物語を中座することなどできはしない。
図らずも人種的背景を持つカマラ・カーンだが、正直このドラマではそこにかかずらう必要はないのかもしれない。前回のnoteに引き続いてこのトピックを扱うことも考えたのだが、このドラマは彼女の出自そのものには観客の視線を誘導していないように思える。つまり、いかなる人種を主人公に据えようと「普遍的な物語」を創造することは可能なのだ。ことさらに宗教やことばの違い、特定の人種や境遇を標榜してセンセーショナルな耳目を集める必要はなくて、ただ「ひとりの人間」がスーパーヒーローになるまでのオリジンストーリーを描く。その人間が仮に「普通」でなくとも……アメリカ人でなくとも。大人である必要もないし、いわんや男性である必要もない。彼女はたまたまムスリムで、パキスタン系だった。ただそれだけのことなのだろう。
社会の表現は、個性を「特別に扱わない」方向へシフトしつつあるのかもしれない。

あ、あとオビワン4話も観た。

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