意外と知らない瞑想の歴史──今からはじめるマインドフルネス入門①
今回から少しの間、マインドフルネスの全体像についてご紹介していきたいと思います。
マインドフルネス瞑想の効果や、その方法について説明されている記事は他にも多くありますが、この連載では具体的な瞑想テクニックの解説や、マインドフルネス瞑想の歴史、仏教との関わりまでを含めた「総体としてのマインドフルネス」についてご紹介していく予定です。マインドフルネス全体を見渡せるような地図としての文章群となるように、すこしずつ書いていければと思います。
また実践としてのマインドフルネス瞑想については、初心者用にYouTubeで簡単な解説とレッスンを用意してあるので、そちらをご参考にして頂ければと思います(この記事群と並行して、トレーニングして頂くとより効果を実感しやすくなると思います)
さて初回である今回は、あまり知られていないマインドフルネス、及び瞑想の歴史について、ざっと説明したいと思います。
……とその前に、僕の経歴を簡単にご紹介させていただきます。慶應義塾大学を卒業、元東京三菱銀行の銀行員で、小説家・脚本家でもあり、禅僧にもなりました。坐禅と出会ってからは15年ほどが経ち、今も毎日一時間以上は坐っている四十代です(自己紹介的なものはコチラの記事にあります)。
現在はマインドフルネス瞑想のサポートサービス「Mety」を立ち上げてオンラインクラスを開き、YouTubeやInstagramやnoteなどで情報を発信しています。
人間はいつから瞑想しているか?
では本題です。
マインドフルネス瞑想はここ数年で一気にメンタルトレーニングとして世界中で広まりましたが、そもそも「瞑想」自体はいつごろからあるのでしょう?
いったい、人間はどれほど古くから「瞑想」しているんでしょうか?
正確なことは分かっていませんが、少なくとも釈迦の登場(紀元前5世紀頃)以前、バラモン教全盛の時代から涅槃に到る修行の一形態としてすでに存在していました。
バラモン教では、人は死んだ後にまた別の命へと転生すると考えていました。この生まれ変わりが輪廻転生と呼ばれるもので、これが永遠に続いていくとされています。
そしてこの輪廻の中にいる限り、命は苦しみから逃れられないため、輪廻から解脱することが宗教の目的とされていました。
解脱して涅槃に到るための修行のひとつが、瞑想だったわけです。
しかしバラモン教では、バラモン階級の人間のみが涅槃への挑戦権を持っています。バラモン階級以外の人々は修行をすることを許されず、当然、瞑想も禁じられていました。
現代で考えると、瞑想が禁じられた世界というのはなんとも不思議な感覚ですが、それほどまで瞑想は特別な行為だったわけです。
そんなバラモン教が数百年続きインドで支配的な宗教となっていたある日、後の瞑想界のスーパースターとなる人物が誕生します。生まれた瞬間にてくてくと歩き出し、その七歩目で右手と左手で空と大地を指して「天上天下唯我独尊(宇宙の中で私より尊い者はいない)」と発語した、自己肯定感爆上げの誕生伝説が残っているゴータマ・シッダールタ、またの名を釈迦、そして仏陀です。
彼は一国の王子として誕生しましたが、思うところあって妻や子供や王位を捨てて、修行に旅立ちます。とはいえバラモン階級ではなかったために、本来彼は修行が許される身分ではありませんでした。いわば彼は掟破りだったのです。
釈迦は、実は相当パンクな青年でした。
マインドフルネスの源流:ゴータマ印の瞑想法
彼は「苦しみ」から逃れるために、様々な修行を行いました。
そしてあらゆる苦行を実践して最終的に辿り着いたのが「解脱に必要なのは瞑想だけ」という結論です。苦行には意味がなく、ただ瞑想によってのみ涅槃へと到ることができる。それがゴータマの答えでした。
ここで大事なポイントは、苦しみから逃れるために行った行動が、何かを占ったり崇拝したりするものでははなく、とことんフィジカルを駆使した修行だったということです。彼は悟りを得るために「信じる」「帰依する」というようなことはしていません。
よく誤解されがちですが、釈迦と彼の直弟子達が伝えていた原始仏教は、どちらかというと宗教団体というより、毎日のトレーニングを柱に据えた共同生活コミュニティというほうが実体のイメージと近いのです。ものすごく乱暴に言ってしまうと、意識高めのメンタルマッチョサークルです。(……いや、書いてみたもののやっぱり乱暴でした)
「瞑想すると魂の波動が〜 精神の周波数が〜」というような、いわゆるスピリチュアル的なことは釈迦は一切論じていません。瞑想はこの時からすでに宗教的行為というより、科学的なメンタルトレーニングとしての一面が強い行為でした。
釈迦は自分が悟りに到った彼のやり方、ゴータマ印の瞑想法を弟子達に教えており、その瞑想法は「アーナーパーナサティ・スートラ」として現代の僕らも読むことができます。全十六段階のその瞑想法こそが、現代のあらゆる仏教系瞑想の源流となっています。このアーナパーナサティ瞑想の一部分を取り出したり、拡大解釈したり、転用したり、というように瞑想のバージョンが増えていったわけです。
仏教を源流とする瞑想で有名なヴィパッサナー瞑想、サマタ瞑想も、この流れの一部となります。その意味でマインドフルネス瞑想は、仏教源流の瞑想の最新版と言えるでしょう。
アーナーパーナサティ・スートラはパーリ語で、これを日本語に訳すと(出息入息の気づきのお経)となり、そのトレーニングの中心には呼吸が据えられています。そしてアーナパーナサティ瞑想の全十六段階の最初の二段階は、吐く息、吸う息に注意力を傾けるトレーニングとなっています。これはまさにマインドフルネスの呼吸瞑想で、いわばマインドフルネス瞑想は仏陀の瞑想のビギナークラス、入門編ともいえるわけです。
ヒンドゥー教はバラモン教2.0
ちなみに、スーパースター仏陀の登場後、それまで隆盛を極めていたバラモン教が弱体化して仏教が台頭してきます。間もなくインド国王が仏教に帰依し、仏教は一世を風靡していくことになります。
しかし紀元五世紀頃に、またインド国内で風向きが変わります。
衰弱したはずのバラモン教の教義をベースとした「バラモン教2.0」とも言える新宗教が生まれて破竹の勢いで勢力を拡大していきます。
これがヒンドゥー教です。
ヒンドゥー教はバラモン教の教義を元に、インド各地に根付いていた細々としたローカル信仰を吸収し、養分として巨大化していきました。そのため最高神シヴァにはいくつもの別名があります。「この土地の最高神は、実はシヴァの仮の姿だったのだ!」というスターシステムで各地の最高神をぐいぐい飲み干し、統合していったわけです。
(ちなみに、大乗仏教の一宗派である密教は、その成立時期がヒンドゥー教成立時期と近く、呪術的な要素を取り込んでいる部分も似ています。これはヒンドゥー教からの影響を強く受けたからではないかという考察もあります。この辺りについては、また別の機会にご紹介できればと思います)
そしてヒンドゥー教でもひきつづき瞑想は涅槃に到る修行でありました。そのため最高神シヴァもよく坐禅を組んでいる姿で描かれます。
ヒンドゥー教系の瞑想にはマントラを唱えることで瞑想状態に入っていくものが多くあります。現在でも実践者の多い超越瞑想(TM瞑想)は、このマントラをベースにした瞑想と言われています。
というわけで、マインドフルネスの源流となる瞑想がどのようにして生まれたのかをザッとふり返りました。この辺りの瞑想の歴史は意外に知られていません。
次の項では、インドで生まれた釈迦の瞑想が、どのようにして禅となり、そしてマインドフルネス瞑想となっていったのかをご紹介したいと思います。
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