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小説家の「集中力」の鍛えかた

みなさん、集中力はありますか?

「まぁ、そうだな、集中力には自信があるね」

と胸を張って、腰に手を当てて満面の笑みで答えられる人は、なかなかいないのではないでしょうか(満面の笑みである必要はないけれど)。

子供のころには、寝るのも忘れて夢中になれたものがある──つまり集中を維持しつづけていられた──けれど、大人になってからは集中力のスタミナが持たなくなった、という人も多いかと思います。

英語の勉強をしていたはずなのに、なぜかLINEの返信をしてる。
LINEの返信をしてたはずなのに、なぜかYouTubeで猫の動画を検索してる。
YouTubeで動画を見ていたはずなのに、なぜかAmazonで商品比較をしてる。

Amazonまで辿り着いてしまった日には、文字通りそのジャングルから生きて戻ることは(あるいは買わずに戻ることは)不可能じゃないかという気さえします。

集中力がないと様々な作業がすべて中途半端となって、生産スピードが落ち、しかも遅くなったぶん完成度が上がるのかと思えば逆に不備が多くなって、上司に怒られそうで、というかもう怒っていそうで、現実逃避のためにまた猫の動画を探し始めるのです深夜二時に。

その気持ちがよくわかります。

なぜなら、僕ももともと集中力のない人間だからです。そんな人間ではありますが、現在は高い集中力の必要な小説家・脚本家という仕事をしています。

単行本一冊分の物語を作るには、原稿用紙換算で数百枚以上の執筆を行います。このような長大な物語を書き終えるには、密度の高い、膨大な集中力が長期間にわたって必要となります。よく、作家は想像力によって物語を描くと思われていますが、その想像力をバックグラウンドで動かしているものは集中力です。高い集中力がなくては、想像力は起動しません。

もともと集中力の維持に自信のなかった僕は、作家となった当初から「集中力を高めて維持するトレーニング」が自分には必要だと考えていました。というのもデビューした直後に一度〆切を破ったことがあり、編集者を激怒させて震え上がった記憶があるからです。

「作家として長く仕事を続けていく気はないんだな」

新人作家がプロの編集者に冷たく言われるわけです。血が凍っていくような寒気を憶えました。せっかく新人賞を獲ってデビューしたのに、もう作品を書いても掲載してもらえないと僕は思いました。いわばクビを言い渡されたようなものです。周囲には他の編集者もいました。彼らが聞き耳を立てているのも知っていました。腋の下にはじっとりと嫌な汗が滲みました。

もちろん、いま思えばこれはデビュー直後の新人作家のことを思っての厳しい言葉でした。そしてそれ以降、期日管理を含めた自分の仕事スタイルを考えるようになったのです。集中力トレーニングをはじめたのもその一環です。いまでも日々様々なトレーニングを実践しつづけているし、おそらく、そのお陰で15年近くも作家でありつづけています。

たとえば、ヨガ、ホットヨガ、ストレッチ、水泳、ランニング、サーフィン、筋肉トレーニング、キックボクシング、HIIT、あるいはサウナ、瞑想、楽器、などなどなど。

この記事では、上記のなかでもっとも効果を体感していて、いまもなお毎日続けている「瞑想」、あるいは「マインドフルネス瞑想」について、その出会いから僕のトレーニング方法までをご紹介します。

僕と同じように「集中力を高めたい」と思っていたり、瞑想や禅や小説家の日常にご興味のある方は最後までお付き合い頂ければ幸いです。

もしトレーニングの中身だけをご覧になりたい方は、「集中力の鍛えかた」の部分から読み始めて頂ければと思います。

※ 現在は禅僧にもなりました(金髪のまま)。詳しくは後述。


集中力の3つの要素

小説家である僕の「集中力」トレーニングを語る前に、まず僕自身がどれくらい集中力が無かったか、という説明をさせて頂きます、恥を忍んで。

集中力は概ね、3つの要素に分けられます。
「① 立ち上がり」「② 最高到達点」「③ 維持」の3つです。

僕の場合は①と③に問題がありました。(あなたの場合はどうでしょう?)

僕のように①と③に問題があると、なかなか集中できないし、集中できたとしてもちょっとしたことで、ぜっかくの集中が崩れてしまいます。そうなると集中を再起動するのにまた時間がかかる。F-ZEROでいえばファイア・スティングレイのような加速に問題のある重量機体というわけです(喩えが古い)。

その結果、どのようなことが起こるかというと。

パソコンにむかって小説を書いていたつもりでも、気づけば立ち上がって頭を振っており、ディスプレイのYouTubeでは「フー・ファイターズ」や「リンキン・パーク」のMVが再生されている、という状況が頻発するわけです。頻発です。

しかも困ったことに、小説を書いていた自分から、いま「Bleed It Out」を熱唱している自分までの経路をまったく思い出せないのです。それくらい、ごくごく自然な流れで気が逸れて、他のことを始めて、また気が逸れて、いつの間にか拳を振り上げて仕事場で熱唱しているわけです。

「酔っ払って、目が覚めたら見知らぬ場所の、見知らぬ車のボンネットの上で寝ていた」ということが誰にでもありますよね(僕はありました)。まさにそのような状態です。なぜいまこんなことをしているのか、思い出せない。

これが日常だったのが2007年頃です。
初代iPhoneがジョブスによって発表され、チェスター・ベニントンも健在だった輝かしい時代。

2007年に、僕はDreams Come Trueさんの楽曲『未来予想図』の映像化に携わりました。その原作小説と映画脚本を担当して、商業作家デビューしたのです。(純文学作家としては、その数年前に三田文学新人賞を受賞してデビューしていましたが、出版はしていませんでした)

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執筆した作品で原稿料や印税を受け取る商業作家は、多くの場合〆切を与えられてその期限内に作品を仕上げます。でも、小説を書くかわりに YouTubeでリンキン・パークのMVを検索しているようでは、依頼原稿は〆切に間に合いません。

「集中力を維持することを憶えなければ、いつかまた〆切を破ってしまうだろう。しかもそれが一度や二度で収まるとも思えない。そうなれば信用を失って、この仕事を続けていくことは難しくなるに違いない」

この頃から、僕は集中力トレーニングにますます時間を割くようになりました。

基本的には凝り性なので、やるとなったら真剣に向かい合います。特にランニングをしていたときは何年も毎日10㎞以上走っていたし、水泳も毎日一時間以上、筋トレは体格がガラッと変わるまで追い込みました。

すべてやったからこそ言えるけれど、どれも明かな効果がありました。

問題だった集中力の立ち上がりが早くなり、長く維持もできるようになった。なかでも特に効果を実感できたトレーニングが、マインドフルネス瞑想です。冒頭に述べたように、瞑想は今も毎日おこなっています。

集中力トレーニングとしての「瞑想」が、他のトレーニングより優れている点は大きく3つあります。

1.回復日が必要ないこと(そのため毎日行える)
2.怪我の心配が無いこと(僕は運動のしすぎで関節や筋肉を痛めてしまうことがよくあります)
3.トレーニングをはじめるハードルが低いこと(道具も準備運動も必要ない)

そしてもちろん、実感できる効果も高い。だからこそ十五年近くも続けているのだと思います。


武将のメンタルトレーニングだった「禅」と、現代のマインドフルネス。

僕はマインドフルネス瞑想を始める前に、禅と出会っていました。
未来予想図公開の翌年、2008年のことです。

僕は親しい友人の一人に誘われて、福井県にある曹洞宗の寺へ禅のリトリート(瞑想合宿)に出かけました。その友人が曹洞宗の僧侶になったからでした。いま思えば、比較的カジュアルな禅修業で、1日に2炷(ちゅう:線香が一本燃え尽きる時間:1炷は約45分)坐ったかどうか、というようなものでした。

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でも僕としては、初めて本格的に坐禅をしたわけで、その45分は果てしなく長く感じたのを憶えています。本職のお坊さんたちも一緒に坐る「僧堂」での坐禅だったので、空気もぴりっとしていて緊張もしました。
食事、掃除も、歩くこともすべてが禅修業で、ひとことも口を利かないのがルールでした。

でも、坐禅が終わると不思議と心が澄んだ感覚がありました。
頭の中で舞っていた塵のようなものが底に沈んで、頭も心もクリアになった気がするのです。

「なんなんだ、この感覚は」

そう思った僕は東京に戻ってからも、坐禅を組むようになりました。

もっとも、本格的な坐禅ではなく、厳密に毎日やっていたわけでもありません。ただ坐禅を終えた後は、静かで澄んだ力が体に漲る感覚を覚えました。

当時、僕は三十代でした。

集中力トレーニングのために、週に五日は10キロ以上のランニングしていました。膝を痛めたり足首を痛めたりしたときは、水泳に切り替えて、やはり最低一時間は泳いでいました。

有酸素運動を長時間行って汗を流した後は、頭のなかの靄(もや)が晴れて、自分の心を遠くまで見渡せるようなシャープな集中力が漲ります。

瞑想をしたあとに得られる感覚は、完全に一緒とは言いませんが、それと非常に似ているものがありました。

少し変な言い方ですが、体を動かす「労力」をコストと考えると、瞑想はスポーツと比べてものすごくコスパが良い。すくなくとも集中力トレーニングとして捉えたときには。

いくら走り終わった後はとても気分が良いことは知っていても、走り出すことが億劫な日はしょっちゅうあります。寒い冬の朝にランニングウェアに着替えるときは憂鬱だし、走り始めてからも体が温まって気持ちが上向くまでには時間が掛かります。水泳も筋トレもキックボクシングも同じ。
でも、瞑想にはそのコストがありません。ただ、坐るだけ。

でも効果は確かに感じる。
そもそも戦国時代の武将達も坐禅をメンタルトレーニングとして取り入れていました。戦争で「生きるか死ぬか」という命のやり取りをしている武将たちが、心を鍛えるために瞑想をしていたのです。そのために織田信長も禅宗だけは弾圧をしませんでした。禅宗は宗教というよりトレーニングの側面が強いからです。

信長時代の武将達が「死の恐怖」をものともしない超強烈な集中力、それを身につけるためのメンタルトレーニングが瞑想だった。
それならば、命の危険のない(少なくとも即死の危険のない)一般的なデスクワークに必要な集中力を養うのに、瞑想は十分すぎるトレーニングです。

でも僕として不思議だったのは、「なぜわずかな時間を坐っているだけなのに、坐禅後もずっと集中力が高まるんだろう?」という点でした。運動をすると集中力が高まる科学的な根拠は本や論文を読んで知っていました。でも瞑想がなぜ似たような効果を生むのはどうしてだろう?

そう思っていたからこそ、初めてマインドフルネス瞑想の記事を読んだときに、ものすごく深く腑に落ちたのです。

集中力の鍛えかた

マインドフルネス瞑想について、非常に有名な研究があります。

ハーバード大学医学部とマサチューセッツ総合病院が行った研究では、マインドフルネス瞑想を8週間行った被験者と、行わなかった人の脳をfMRIを使って画像解析をして比較しました。

すると、瞑想を行った被験者の脳(海馬をはじめとする様々な部分)の構造が、物理的に変化していることが分かったのです。

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瞑想の実践者は「集中力」「記憶力」といった学習過程が強化され、仕事効率を高めて「生産性」を上げたり、意思決定に必要な「判断力」が向上することが、この論文によって科学的に明らかにされました。

ものすごく平たく言えば、
「瞑想をすると脳が強化されて、頭が良くなり、心が強くなる」
のです。

その研究結果は、僕の坐禅による生活の変化や実感と符合しました。

しかも「マインドフルネス瞑想」には、呼吸に集中する瞑想以外にも、他に様々な瞑想法がありました。

「これはすごいものと出会ったかもしれない」

いま僕は毎朝4時に起きています。
歯を磨いて顔を洗ったらストレッチ。
その後に1時間瞑想するところから1日が始まります。

なんなら、起床後のストレッチも瞑想的に行っているので、瞑想に費やしている時間は合わせて2時間と言えるかもしれません。

この話をすると多くの人に、

「瞑想に毎日1時間以上? よくそんな時間あるね」

と訊かれます。
でも、仕事をする時間はあるんです。

実際、去年末に一冊本を出版し、今年に入ってから僕が脚本を書いたドラマシリーズが三作品公開され、秋にも新作の小説作品刊行が控えています。

しかも、いまの僕の仕事は小説や脚本だけではありません。
作詞家として仕事を依頼されたり、あるいは商品や空間やイベントに「物語」を与えるコンセプトプランニング、ブランディングといった仕事も企業から依頼され引き受けています。(ちょうどさっきまでコンセプトの制作を行っていました)

そのうえ今年からは、更にもうひとつ別の事業を立ち上げようとしています。いずれも物語ることをベースに置いた仕事ですが、プロジェクト毎に頭のチャンネルを切り替えて仕事をしています。

そのような多種多様の仕事をしながら、家族と一緒に過ごす時間も、本を読んだり映画を見たり、友達とつきあう合う時間も大切にしています。

あのボンネットの上で寝ていた子が、です。

「瞑想に1時間? よくそんな暇があるな。仕事する時間あるの?」

と訊かれたときに、僕の答えは、

「むしろ、毎日瞑想を1時間以上してるから。たくさん仕事ができるんだ」

となります。

瞑想によってアイディアが浮かびやすくなり、判断に迷いが減り、生産性が上がる実感があります。瞑想の時間をしっかりと取った方が、仕事が捗って、結果的に時間が生まれるのです。これは僕だけに起こることではありません。瞑想を習慣化しているビジネスマンに訊くと、そのほとんどの人が同じことを語ります。つまり瞑想家の「あるある」なのです。

世界的ベストセラー「サピエンス全史」を執筆したユヴァル・ノア・ハラリも「毎日2時間の瞑想を行っているから、(創造性と生産性が高まり)この本を執筆することができた」と公言しています。

ビル・ゲイツ「もし若いときに瞑想と出会っていたら、今よりも遙かに大きな成果を残せただろう」と言っています。

Google瞑想プログラムを会社に導入しているのは有名な話です。

ロンドンでは公立の小学校数百校にマインドフルネス瞑想が導入されました。

もしあなたが集中力を鍛えて、生産性を上げたいと考えているなら、「マインドフルネス瞑想」を第一オプションとして検討する価値があると思います。

もちろん効果には個人差があるでしょう。
ヨガが得意な人、不得意な人がいるように、瞑想も得意な人と不得意な人がいます。それでも、マインドフルネス瞑想は1日数分からはじめられる(しかも坐るだけの)簡単なメンタルフィットネスです。試してみる価値はあるかとおもいます。もっとも、

「早く効果を実感したいから、毎日1時間から始める!」

という人がいても、僕としては(マジで)お勧めしません。運動に慣れていない人に、いきなりフルマラソンに出場しろというのと似たようなものです。走ることの喜びを知る前に、走ることが苦痛な行為として刷り込まれてしまいます。

でも10分なら比較的簡単に瞑想できるし、時間も作りやすいでしょう。10分間の瞑想を習慣化していけば、遠からず効果を感じることができるかと思います。集中力を強化するトレーニング、まずは十分程度から始めて見てください。

「ちょっと、トライしてみようかな」

と思った方は、3つだけ用意してください。

一人になれる静かな場所。
無料の瞑想app、あるいはYouTubeにある瞑想ガイド。
そして10分の時間。

これだけで、いつでもマインドフルネス瞑想はトライできます。初心者の内は音声ガイドがあると安心して瞑想できるし、上達も早くなります。
そして、一度マインドフルネス瞑想をやってみて、なにかしら心の動きや気分の変化を感じたら、つぎに一週間のコースを試してみてください。一週間のコースとなると有料のものも多くなってきますが、探すと無料のものも出てきます。どんな音声ガイドであろうと、まずは興味の引かれるコンテンツから初めてみることをお勧めします。

僕が今年立ち上げたマインドフルネス瞑想のサポートサービス「Mety」でも、マインドフルネスのはじめかたや、一週間のレッスンコースをYouTubeで公開しているので、興味のある方はぜご覧になってください。

また、よく眠れないとか、眠りが浅いという悩みを抱えている方は、入眠瞑想をappやYouTubeで検索して、こちらからトライしてみるのもいいかとおもいます。
こちらも同様に、Metyが公開している入眠瞑想ガイドがあるので、興味のある方はぜひ試して頂ければと思います。

そして、禅僧となった小説家

もうすこし、僕自身のことをお話ししたいと思います。
僕自身はいま、禅僧でもあります。
なぜ、どうやって禅僧になったのか、そのあたりをすこしだけ。

2008年以降、長い間ひとりで坐ってきた僕ですが、前出の僧侶の友人に誘われて、去年また福井県の禅寺へ行ってきました。摂心(せっしん)と呼ばれる禅の修行に参加するためです。

摂心、聞いたことありますか?

摂心とはいわば坐禅合宿で、曹洞宗大本山でも年に二回だけ行われている特に厳しい修行です。摂心期間中は、日常業務からすべて解放されて、寝食の時間以外は坐禅を何炷も繰り返します。

坐禅だけを、一日中ひたすら行う修行。

そのため、食事の用意や掃除などの日常業務を代わりに行う僧侶が必要となり、その僧侶たちがまた別の日程で交代して摂心を行うために、年に二回行われているのです。(なので、一人の僧侶が参加するのは年一回)。

大本山の僧侶が毎年一度行う、寝ても覚めても坐禅だけの恐ろしく厳しい修行。

これを、毎月、年12回行っているとんでもなくハードコアな禅寺があります。

「ちょっと、なに言ってるか分かりません」

とサンドイッチマンの富澤さんの声が聞こえてきそうな話ですが、本当です。にわかに信じられないことだけど、毎月、摂心をしてる。

それは、2008年に僕がはじめて坐禅と出会った禅寺であり、曹洞宗のなかでも「坐禅一本」として知られている福井県の「清涼山 天龍寺」です。(※ 他にも摂心を頻繁に行っている超ストイックなお寺はいつくかあります)

この天龍寺の摂心に、参加してきたのです。

しかも、年に一度行われている「大摂心」と呼ばれる最終形態的な摂心に。

どんな内容かがイメージできるように幾つか特徴を挙げると、

夜10時頃に就寝。午前2時に起床。睡眠時間は4時間ちょっと。
生活はほぼ僧堂の中で行う。与えられた畳一畳の上で坐禅&寝食。
起床20分後から就寝までとにかく坐禅。
1セッションは3時間(!)。それを朝から晩まで。
僧堂内では無言。つまりほぼ無言。
外は雪。でも生活は裸足。
食事は1日2食。食事も坐禅をしながら行う。
食事は応量器を使用した厳格なルールに基づいた食事法。
この生活を1週間以上。
参加者はプロの僧侶ばかり。フル参加の一般人は2人だけ。

これが大摂心です。

大変だったか? と訊かれればもちろん大変でした。
1セッション3時間はとにかく長い。肉体的にかなり追い込まれます。
初めての修行で、僧侶の所作も分からないことづくしでした。僧堂内では質問もできないので、他の僧侶の動きを観察して、とにかく真似することで所作を憶えました。ものすごく神経を使った。
しっかり測るのを忘れましたが、体重もかなり落ちた気がします。その理由には食事の回数や内容もあるだろうし、睡眠時間の短さもあるだろうし、神経をつかっていたことも理由でしょう。

でもそれら大変さが気にならないくらい、楽しさも大きかった。それは瞑想に没頭する楽しさなのですが、詳しくはまた別の機会にあらためて書いてみようと思います。

いずれにせよ、日本有数の厳しさと言われるこの修行に参加したことで、これまで一人で瞑想してきた僕は自分が一人で坐ってきたことに対する自信を得ることができたし、それ以上に、本当に大きな気づきを得ることができました。

それはマインドフルネスとの出会いによって知った、様々な瞑想の形(歩く瞑想や、食べる瞑想といった生活の中でおこなわれる様々な瞑想)が、そもそも仏教の禅の生活自体に丸ごとすべて含まれていた、という点です。

マインドフルネス瞑想が仏教ベースの瞑想をフィットネス化したものであることを考えれば、当然と言えば当然なのですが「実際に自分の身を投じてみると、体験としてようやく体で理解できた」という感じです。

これが、僕が在家得度を受ける切っ掛けとなりました。
生活によってより深く理解できるものがあるなら、それを理解したいと思ったのです。

得度(とくど)は仏教における僧侶となるための出家の儀式。
── Wikipedia より


得度とは出家のことで、在家得度とはいわば社会生活を送ったまま禅僧となる制度です。僧となった証として戒名血脈を授かります。(よく聞かれるのですが、大本山で修行して住職の資格を得る制度とはまた違います)。

天龍寺では一週間の儀式を経てようやく在家得度を頂きました。師匠は僕に禅を教えてくれた前述の僧侶で、彼から「竜覚(りゅうがく)」という戒名を頂きました。

そんなわけで、今は作家であり、また禅僧でもあるわけです。

最近では友人からマインドフルネス瞑想について訊かれることも多くなり、瞑想や坐禅について広く知ってもらうためのYouTubeチャンネル(前述)や、オンラインクラス&コミュニティもスタートしました。
もし集中力や記憶力のトレーニングに興味がある方は、ぜひご覧頂ければうれしく思います。

集中力は現代を生きるのに重要な資源です。
毎日スマホから、PCから、上司から、部下から、友達から、サービスから、ひっきりなしに通知や連絡が入ってきます。そのような社会生活で、気を散らさずに一つのことに集中し続けていることは「困難」だといっても過言ではありません。

僕たち人類は、今以上に気を散らされる社会で生活したことが、歴史上ないのです。集中力がつづかなかったとしても、それは決して僕ら自身のせいではありません。単純に、僕らの体のデザインに対して、現代社会はあまりにもノイズが多いのです。

そんなノイズだらけの生活の中で、今目の前のことに集中しつづけるための技術・能力は、人生の豊かさをも左右します。(だからこそ、初等・中等教育で導入している国や地域が増えています)。

もし興味を持った方がいらっしゃったなら、シンプルかつパワフルなこの集中力トレーニングを、ぜひ習慣に取り入れて頂ければと思います。


今後もこのnoteでは、マインドフルネス瞑想と禅についての情報を発信していきますので、もしよければフォローのほど宜しくお願い致します!(もちろん、従来通りエンタメ情報も発信してきます)


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