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書くことを「競う」舞台に立って、初めて見えたもの

ことばと広告さん主催の「応募作の中でどれがいちばん”いい記事”か」を競う企画、モノカキングダムの審査結果が発表されました。

54本の応募作のなか、優勝されたのはとく とくこさんのこちらの記事(おめでとうございます)!
息子さんのかわいらしい言葉遣いにくすっと笑ったあと、「じぃじ」ことお義父様のお人柄のあたたかさにじんとくる。切なさとやさしさに胸がぐわんぐわんする、文句なしに「あったか」なお話です。

ちなみに応募者が各自2票を投票する仕組みになっていて、私が投票したのはこちらの2本でした。
Harukaさんの記事は、息子さんのあまりに愛らしい様子とHarukaさんの優しいまなざし、そこここにちりばめられたユーモアにきゅーーーーーんとなって。
ぽん子さんの記事は、なんてことない日常の風景からすこしずつちょっとシュールな世界に連れ去られる感じ、それも「ありそう」と「いや、ないでしょ」のあわいを絶妙に突いてくる雰囲気が好みすぎて。

そして私の記事も、準優勝として挙げていただきました。この記事がいい! と思ってくださった方がいたこと、個別に寸評をいただけたことがとてもうれしい。

うれしい。うん、うれしい。……でも、くやしい。ううぅ。

うれしくやしがる一方で、自分の文章に対する課題も見えてきました。

いや、この記事で応募する際、実は結構迷いがあったんです。
企画のテーマは「あったか」。こういうテーマで人の心をつかみやすいのって、たぶん「人とのつながり」が見える記事なんだろうなと思いました。だから自分の人生のそういうエピソードを思い出して絞り出して、下書きに入れてみたけれど、どうにも筆が乗らない。じゃあほっかほかの豚まんのことを思いっきりおいしそうに書いてやろうかしら、と思ったら、一気に書きあがった。

でも、これでいいの? 本当にこれで勝負したかったの? って。

人にも何度か「あなたの文章には人間が出てこないね」というようなことを言われたことがあるのだけれど、どうも私は周囲の人とのエピソードを書くのに抵抗があるみたいです。
どこに遊びに行って楽しかったとかちょっとしたやりとりとかそういうことは書けるんだけど、その人のパーソナルな面ががっつり見えるような描写をしようとすると、筆が止まることが多い。特に現在進行形で交流がある人のことは。

もちろん、書きたくない、書けないものを、無理に書く必要はないとは思います。でも今回優勝作品をはじめ、他の方の文章を読んで気づきました。
私の応募作品には「複雑さ」がない。さみしいのにうれしい、とか。優しいのにせつない、とか。ほろ苦いのに甘い、とか。そういう複雑な読後感がなくて、ただただ「豚まんはおいしい」一辺倒。
例えば差し色の利いたファッションとか、しょっぱい赤えんどう豆がほどよく入った豆大福みたいに、文章も、ひとつの感情にのっぺりと塗りつぶされたものより、異なる感情が入り混じったものの方が、より強く読む人の心を掴むのかも。
……当たり前のことですよね。私もずっと、たとえば小説やエッセイを読む中で、その「複雑さ」を当たり前のように享受してきています。でも、もの書く立場としてそのことを実感したのは、実は初めてでした。

人とのつながりを書いた作品が人の心を強く動かすのは、それによって文章の中にさまざまな思いや感情が同居するようになるからかもしれません。人と人とのかかわりが、ひとつの感情だけで成立することってそうないから。

思えば応募前に感じていた、「ほんとうにこれでいいのかな?」という思いも、そういった意味で自分の文章に物足りなさを感じていたことに起因している気がします。

私は今回(というよりフードエッセイを書くときは概ね)、読む人の「お腹が空いた!」や「ぶ、豚まんが、食べたい!」を引き出したくて書いていました。だから記事にいただいたコメントや、講評の

豚まん(あるいは蒸し器機能付きお鍋)を買いに走った方もいたんじゃないでしょうか。

結果発表記事より

という言葉がほんとうにうれしかった。
表現したいことがちゃんと伝わっていた、という点には満足しているし、愛着のある記事です。

でも、たくさんの応募作のなかで「1位」を獲るためには、「お腹が空いた!」だけではたぶん足りない。
「読んだよ!」「面白かったよ!」という印の「スキ」はいただけたとしても、2作品にしか振り分けられない貴重な「票」を多く集めるにはきっと、もっと他の要素が必要なのでしょう(前者を軽視しているわけではないです、念のため)。

たとえ人とのつながりを書かなかったとしても、同じようなフードエッセイでも、もっと文章に複雑さや深みを出す工夫、読む人の「感情(食欲ではなく)」を動かす工夫はできたんじゃないかな。ちょうど、料理にこっそり隠し味を入れるように。

というわけで、昨日結果発表を見てから、そんな感じでぐるぐると考えていたのでした。
この考察が正解かどうかはわかりません。でも、改善するための足掛かりにはできる。もっと「いい記事」が書けるようになりたいね。

こうしていろいろ考えたのって、きっとモノカキングダムという企画が「たくさん票を獲得して、1位になること」を目指そう、ということをはっきり謳っていたからこそだと思います。
単にひとつのお題でみんなで書こう、という企画だったら、自分に甘い私は「みんな違ってみんないい=だから私も好きなように書いてりゃいいんだ!」という結論に安易に飛びついていただろうから。
今回はあの人もあの人も、みんなライバル。数字ではっきり結果が見えたから、「1位を取れなかったのはなぜなのか?」「自分にはなにが足りなかったのか?」ということをしっかり考える機会になりました。

もちろん、「みんなちがってみんないい」――みごとなまでに票がばらついた投票結果をみると、それがひとつの真理だとは思います。でもあえて、「1位」を決める場にチャレンジしてみてよかったな。なんでもやってみるもんだ。

あらためて、主催のことばと広告さん、一緒に王国キングダムの一員として勝負してくださった参加者の皆様、ありがとうございました! 書く青春、そしてお祭り、とっても楽しかったです。



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