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平行線の人生とおじさんの話

今日は私が出会ったおじさんの話をしたい。

時間は無限だと思っていた頃に、お金が無限にあるおじさんと知り合った。

“パパ活”といわれるとそれまでだけど、直接的なお金のやり取りも、オトナな関係もなく、ただ美味しいご飯を食べさせてくれて、たまに欲しいものをプレゼントしてくれる人。

私はお腹が空いたらおじさんに会って、欲しいものある?と聞かれたら自分では買えないようなアクセサリーや洋服を買ってもらった。

おじさんが何の仕事をしている人なのか?家族はいるのか?なんて知らなかったし、知りたいとも思わなかった。

おじさんはちょっと変な人だったけど、話していても苦じゃなかった。

ワインの産地と車の歴史に異常に詳しくて、私は興味がまったくないことを伝えても気にせず、アルファロメオの買収やエジプトのワインの歴史について話し続ける人だった。

きっとおじさんは、話を聞いてくれる人がほしかったんだなぁと今になって思う。私も社会人になって、少しだけ気持ちがわかる。

かくいう私も、ダッフィーの新しいグッズが出たとか、お気に入りのパン屋さんを見つけたとか、自分の好きな話を黙って聞いてもらっていたので、お互い様。

そんなおじさんが就活中の私に「困ったら力になるよ。」と言ってくれた。今考えるときっと、おじさんなりの優しさだったんだと思う。


でも、私はそこでぷつりと何かが切れてしまった。


私は自分の人生と平行線の人生を歩んでいる人が好きだ。恋人とも、お互いの人生をそれぞれ好き勝手歩んでいたいと思う。

交差点では必ずどちらかがどちらかを優先しなくてはいけない。私は誰かのために人生を譲るのも、譲られるのもごめんだ。

2つの人生は、交わることはおろか、1つになることなんて絶対に嫌だ。


昔から、そう思っていた。はずだった。


「他人に何かをしてもらう」ということは自分の人生を進んでいるとはいえない、よな。

おじさんに美味しいご飯をご馳走になり、時折プレゼントを貰っている。誰かがいないと私の人生が成り立たないなんて、ただの寄生虫じゃん。

その日、おじさんに精いっぱいのお礼と謝罪を伝えて別れた。

私は改めて、大切な人と平行線の人生を隣で描いていきたいと思っている。これは私の決意表明。

おじさん、ありがとね。

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