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LGBTに当てはまらない私は一体なんなのさ

最近やっと自認したことがある。
それは私が【アンドロジナス】だと言うことだ。

前回の記事で私は美は性差を超える、男女関係なく美しいものが好きだと執筆している。とにかく美しいものはなんでも好きなのだ。

昨今、LGBTというキーワードが話題だ。
みんな聞いたことあるだろうが、
LGBT「Q」は知っているだろうか?
クエスチョニング」は、自らの性のあり方について、特定の枠に属さない人、わからない人等を表す言葉だ。

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LGBTQとは

長らくわたしは男女どちらでもない「Q」だとフワッと思う程度で、まさにこれだ!という実感はなく、しっくりこなかった。

最近、関連のネット記事を見て、アンドロジナスというキーワードを知り、凸と凹がカチッと合わさったように自らの性自認が理解出来たのだ。

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確かに、私はおんぎゃあと産まれてからというもの、物心ついた時から両性具のような片鱗はあった。(もちろん身体は女だ)

私は小さい時から男の子がハマるような趣味があった。
昔からプロレス、相撲、恐竜が好きだったし、木によじ登って木の上でキャンプをしていた。
山では花をちぎってブーケを作る遊びをしていたのだが、変*的発想が当時からあり、
「そうや!おしべとめしべをあわせて人工授粉させよ!」と強制的○○をさせた。
川では、でかい石をひっくり返して隠れてるサワガニを取ってそのまま食った。

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そんなことばかりしていて、日に焼けて真っ黒になったわたしを、
くろんぼだ!!男女だ!!とからかわれて、
非常に辛く、小学校で泣いた時があった。

わたしはよくある「負けん気が強い女の子」ではなく、誰とも絡まず1人の世界観で生きていて好きなことに没頭しているタイプだったのだ。

色々あって2*歳頃ホームレスをしていた時は、公園で顔を洗っていたし、薄汚れて作るリアル汚美味い貧乏飯もそれなりに楽しかった。(※実話です)

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実際の公園

ホームレスになった惨めより、(冬の水はつめてぇな。ああ、小さい時のキャンプみたいやなぁ~役に立ってんだな~早く猫飼いて~~)くらいの気持ちだったからなんともなかった。

凄く男的かといえば、生け花と茶道が好きで習っていたし、煌びやかなゴスロリや化粧、可愛らしいロココインテリアにも惹かれ、ビーズで手作りのアクセサリーを作っては誰かにあげたり、女性らしい趣味もあった。

わたしには年子の姉がいたのだが、遠目から見て見分けが付くよう、母が我々を【キキララ】に見立てて、姉には赤い服を、私には青い服を着させられて簡単に見分けが付くようにされていたものである。

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キキとララ

わたしは青担当だった。
ララに見立てて髪の毛も短く切られていた。

大人のエゴでしかないこの発想。
通常は幼少期のイヤイヤ期はこだわりがひときわ強く、ぎゃあぎゃあ泣き出したり、気に入らないものは断固拒絶する時期があるのだが、そういったこともなく
「ふーん、、」と受け入れてしまうガキんちょだったものである。

そのことからわたしは、
男女どちらでもない、または性別不明の「Q」に当てはまっているものだと思った。

しかし、それは違いわたしは男女どちらも持っている、両性具有(男女・雌雄の意味で)中性的なアンドロジナスだったのだ。

これを知った時に幼少期から積み重ねられた、今までのなんとも表現しがたい自分という存在・性別に対する違和感がなくなったのだ。
ウン十年と迷走していた凸と凹が、まさしくピッタリと合わさり、やっと自分のことが理解出来た。


わたしはどっちもなのだ。

どちらも持っているのだ。


お**ち*は身体上ないが、
わたしの中である日がある。
お***はあるけど、無いものとして生きている日があるのだ。

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注:決していやらしい画像ではない。彫刻と同じなのだ。

最近は、メンズのパーカーにズボンという服装だ。そういう格好ばかりかと思えば、中坊の時から買うと決めていた1**万のBVLGARIのどデカい宝石のついたネックレスに身体のラインがわかる洋服を着たりもする。
パーティーでもないのにタタジショージを着ている日は極端な女性の日だ。

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飛鳥IIにて


よく聞かれることなのだが、こういったセンシティブな話やわたしの思考というものは普通に生きてる常人には理解できまい。

昔のわたしはひねくれていたから、そういった人達を理解できなかった過去と同じだろう。
生物学的な性別は人類が誕生した時から男と女しかないのは紛れもない事実だし、こうでなければならないという型にはまっていた。
しかしウン十年と生きていて色んなものに触れてきた。経験値が増えた今、わたしは変わったし昔のひねくれた自分とは違うのだ。


あなたはあなたらしくでいい。
体型もファッションも思考も全て。
だれにも邪魔される理由もない。

わたしはわたしらしく生きているし、これからも変えずにそうしていくだろう。
昔はこのなんにも例えようのないセクシュアリティを、バ*でもレ*でもない、これはなんと言うのだろう、と思っていたことだ。


男性でも女性でもあること、1から話せば長くなるので記録としてここに残しておく。

2022.9.28ばくちち

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