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超あたりまえだけど論理的で、読後が最高に爽快な本に出会ってしまった。

「生命科学的思考」という本、読みました。最高でした。
私自身は文系の大学を出ていて、物理も生物も専攻していませんでしたが、すっきり読めてしまう本でした。

バイオテクノロジー分野で博士課程を出て、かつその分野で起業された女性が書かれた本です。(もうこの事実だけでかっこよすぎてなんだか勇気もらえます。笑)

この本の好きなポイントと、それがなぜ面白いと思ったのか、書き留めておきます。

前提が超あたりまえで超爽快で好き

とにかく好きだったのは、前提の考え方。

この本では、生命活動には「個体として生き残り、種が繁栄するために行動する」という共通の原則があるということを前提にしています。
すなわち、生きる目的とは、生命科学的に捉えると、個体の生存と人類という種の繁栄のためであると。

これって、言われてみればすっごくあたりまえなことだけど、
私たちは、真正面から向き合いたくない事実でもあると思います。

だって、それはつまり、「なんのために生きているのか?」という問いに対する答えは、「生きるために生きてるんです」ってことになってしまうから。
え、じゃあ、究極的には、人生に目的ってないの?って気付かされてしまうから。

私も大学生の時に、この事実に、ふと気づいた瞬間がありました。

人間は、どうしてこんなに生きることに迷ったり苦しんだり悩んだりするんだろうと考えていた時に、ふと思ったのです。
でも、よく考えてみたら、自分が生まれた時に、神様から「あなたはこのために生まれてきたのです」と、何かお告げの言葉でもなければ、結局なんのために生まれてきたのかわからないし、きっと誰もわからないんだと。(幼い頃から親から言われてきたなどは別ですが。)

そう考えると、人生の目的とか生きる意味って、本質的には生きることそれ自体なんだけど、でもそれだけだと思考力を持った人間は生きること自体が辛くなってしまう。だから、人生を歩みながら、人生の過程で、生きる目的や意味を見出していくんだ。
それが、迷い、苦しみ、悩みにすり替わっているだけなんだ、と気付きました。

この本では、私たちが生きている過程で真正面からは向き合いたくない事実、
「生きるために生きている」ということを、生物学的知見から論理的に端的に述べ、その前提に立っているということ自体が、議論全体の爽快感を生み出していると思います。

エントロピーの増大原則と不変のための変化

そして、生きるために生きている私たち人間は、もう一つ大きな原則の中で生きていると整理しています。それが、「エントロピーの増大原則」です。

エントロピーとは、「乱雑さの程度」のことで、「何もしないと次第にエントロピーが増大する方向に物事が変化する」「宇宙の性質」と説明されていました。

私は文系の大学だったため、生物学や物理学を先行していたわけではありませんが、ここで言わんとしていることはなんとなくわかりました。
宇宙は今でもずっと拡大し続けているという話は聞いたことがありましたし、
古来から「栄枯盛衰」という言葉があるように、物事は常に変化し続けている、
それももしかしたらきっと、原子レベルで、ということを感覚的に理解していました。

このエントロピーの増大原則で面白いポイントは、それがあるからこそ、人間は、拡大ではなく収束・維持にエネルギーを使っていると述べているところです。

つまり、エントロピーの増大原則は宇宙空間で働き続けているから、何もしなくても無限に拡張し続けてしまうという。だからこそ、無限に拡張したカオスな状態を収縮させ、秩序を生み出し、それを維持するために、エネルギー・努力が必要だということです。

これってめちゃくちゃ面白いし、特に今の時代にあった捉え方だなと思いました。

人口増加、グローバル化、経済成長の時代は、何かを拡大するためにエネルギーを使ってきていました。しかし、エントロピー増大原則から考えれば、本来は、拡大にばかりエネルギーを使うのではなく、放っておいても拡大するんだから、収束・維持にもエネルギーを割くべきだということです。

個人に置き換えてみれば、そもそも毎日の衣食住のために働いていること自体が、
個体の維持・存続のためであると考えることもできそうです。

また、「いつまでも若いね」、「何年経っても変わらないね」という言葉は、その人やその人との関係性をポジティブに感じられた時に交わされる言葉ですが、その裏では、変わらないために、若くあり続けるために、ある種、エントロピーの増大に歯向かう努力をし続けているのかもしれません。

個人のキャリアで考えてみても、変わらずに活躍し続けている人は、
変わらずに努力し続けている人、
変わらないために変わり続けている人なのかもしれないと感じました。

「生物的人間/主観」と「科学的人間/客観」

主観と客観はよく対立して捉えられますが、
この本では、生物的人間と科学的人間という二軸で説明されました。

本来人間は、運動は健康に良いから続けようとする科学的人間(=客観的事実・情報)と、疲れるからあまりやりたくないという生物的人間(=主観)の2つの側面を対等に持っているとされています。

しかし、私個人としては、特に社会人になってから、頭では理解しても、心では納得できないという場面にたくさん遭遇しました。
心では納得できていないけど、頭では理解しているから、とりあえず理解した通りに行動しなければならないという場面です。

このように、科学的側面と生物的側面に差が生まれてしまった理由として、科学の急速な発展が挙げられていました。つまり、人間の生物的側面は人類誕生からあまり変わっていないにもかかわらず、科学的側面が急速に進展してしまったと。

実際に、人類誕生を真夜中0時、現在を同日の24時とすると、情報革命・インターネットの出現は、23時59分59秒だそうです。このたった1秒間に一気に科学が進展したのだから、生物的側面が追いつけないのもあたりまえ。

それでも著者は、科学的知識を習得していくことでその差分を埋めることができるとしています。

この点に関しても、たしかに学び続けることによって物事の見え方・受け取り方が変わったり、そこから自分の意見や感情が変化することもあったので、共感できるポイントでした。

客観の積み重ねにより主観が形成される

こうした内容は、科学的な知識の習得を通して、主観に磨きをかけていくことができるとも言い換えられます。

以前、仕事の中で、同じ情報を提供して同じ質問をしても、人によって回答が異なるということがありました。
それはもちろん、その人の置かれている立場や過去の経歴、責任範囲などの科学的側面にも起因しますが、結局、その科学的側面を踏まえて形成されたものが、結局その人の主観であり意見になります。

だから、客観的な事実を持ってしても、そこから生まれてくる意見は、結局その人の主観です。だからこそ、仕事においても、客観的な事実を収集仕切ったら、最後は自分の主観で判断しなければならないと改めて認識しました。

カオスな環境で主観を見出す

一方で、自分の主観がわからない時は、カオスな環境に身を置くということが書かれていました。

この点は、私自身、大学時代に教育社会学を学び、卒業論文のテーマとした部分でもあり、非常に共感しました。

私は、主に「自分自身を知る」ということに特化した、いわゆる「キャリア教育」の有効な手段のひとつとして、学校という垣根を超えたプロジェクト型の課外活動というものがあると思っています。

特に高校生までは、自分が所属している学校世界が、日常でありあたりまえであり、そこから外に出て本気で活動する経験はなかなかありません。
だからこそ、日常世界である学校を飛び出し、他の地域や学校の生徒と一緒に、物事に取り組むことは、非日常的なカオスな空間の中で、異なるタイプの人との相互作用を通じて、自分自身の新たな一面を見つけることにもつながると考えました。

この本では、秩序ある世界とカオスな世界を対比させ、秩序ある世界では、その秩序に身を任せていれば、ある程度の方向に連れて行ってくれるため、そこでは、たとえ自分の主観が存在していても、それに気付きにくい。
一方でカオスな世界では、自分の主観との相違が発生し、疑問が生まれやすい。
だから結果として、自分の主観を自覚しやすいと説明されていました。

同様の趣旨の内容で、めちゃくちゃ共感できるポイントでした。

終わりに

とにかく、読後のスッキリ感が凄まじかったです。
著者が、ご自身で研究したことを、実際に起業という形え具現化している方だからこそ、こんなにも前向きで力強くて説得力のある言葉が出てくるんだと感じました。

私自身も大学4年の時に、分野は異なりますが、教育社会学という分野での卒論研究と、起業を並行して進めていたので、粒度は全然及びませんが、共感できる部分、心に響く部分が多かったです。

そして、女性で力強く最前線で活躍している方は、本当にかっこよくて、
私もそんな女性になりたいなと、改めて思わされました。

「自分のやりたいことを形にしたい。」
大学時代からずっと思っていることですが、それは、「専門性」「専門分野」という言葉よりは、「思考の立脚点」「世界を見る窓」という言葉の方がしっくりくるような気がします。

専門性なんて陳腐化するし、その希少性なんて変化の激しい今の時代、いつどう変化するかわからない。でも、思考の立脚点や世界を見る窓を、自分の中に獲得していれば、どんな形でも応用できるし、どんな場所でも自信を持って生きていける気がしています。







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