澄sumi

心に興味のある20代女性。心に起こる全てのことに深い意味がある。読むこと、考えることが…

澄sumi

心に興味のある20代女性。心に起こる全てのことに深い意味がある。読むこと、考えることが大好きです。hsp

最近の記事

『月曜日の抹茶カフェ』

私は静寂の中にいる。 本を開く、その時、高い高揚感に包まれる。 『月曜日の抹茶カフェ』もそんな一冊だった。 なぜなら、単行本のそでの部分にこう書いてあるから。 ********************** 川沿いの桜並木のそばに佇む喫茶店「マーブル・カフェ」。 その「マーブル・カフェ」が定休日の月曜日に、一度だけ「抹茶カフェ」を開くことに。 〜 この縁は、きっと宝物になる。 人は知らず知らずのうちに、誰かの背中を押している。 一杯の抹茶から始まる、東京と京

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    • 私が文章を書き始めた理由。

      HSPの仲間を見つけるためだと最近気づきました。 HSPとは簡単に言うと、繊細な人です。 普通の人なら気にならないような音や匂い、温度に敏感だったり、怒っている人や愚痴を言っている人のそばにいると、自分まで極度に影響を受けたり。 (もっと他にも色々あるのですが、今日はここがメインではないので、この辺りで。) 文章を始めたのは、私の書いたものを誰かに読んでもらいたかったからです。 しかし「読んでもらえる文章」を書こうという気には一向になりませんでした。 自分の書きたい

      • 私は私以外に興味がない。

        ような気がする。 「他のものなんて何もいらない!」とか、強く意識して思っているわけではないけれど、 普段、素を出せる恋人相手に、何のしがらみもなく言葉を発していると、 私は私の話ばかりしている。 よくもまぁ恋人は「うんうん」と頷いてくれるものだ。 人の目を気にしているっていう話もそうだ。 私はよく人の目を気にする。人前で喋ることが大嫌い。「どう思われているか」が気になって仕方ない。 人には「自意識過剰」なんて言われて、それをネットで調べてみたら、「自分のことにしか目

        • 私は、求められていることに応えることが苦手だ。

          A先輩を見ていて思う。 A先輩は、人から求められていることを瞬時に捉え、それを実行に移すことが得意だ。 女の子らしい受け応えが求められていたら、とろんとした声で甘い言葉を囁く。 男の子の後輩をいじる方がその場に適していたら、大人の女性として後輩をいじる。 仕事ができる人間として求められていたら、そのような態度を示す。 そのA先輩のことを純粋にすごいなと思って、尊敬しているけれど、反面苦手でもある。 私自身がそれをしたいと思っても何一つできないからかもしれない。 人は人。自

        『月曜日の抹茶カフェ』

          真面目さって、私にとっては足枷でしかなかった。

          恋人と本屋に行った時、仕事を今より効率的にこなすには系の本を眺めていたら、「澄は勉強家だね」と言われた。 あまりにも嬉しくて、「もっと言ってー」と返事をした。 「本当に私勉強家かな?」なんてまた聞き返してみたりして。 恋人は「自分でそう思わないの?」と返してくれる。 そんな会話が楽しい嬉しいと思える日が来るなんて。 昔から私は「真面目だね」と言われ、笑われ、 それがたまらなく嫌だった。そんなんどうでもいいじゃないか、人の言葉なんて気にしなければいいじゃないかって言われるか

          真面目さって、私にとっては足枷でしかなかった。

          身体と心は繋がっている。一人の時間も大切。

          風邪をひいた。 たったそれだけなのだけれど、 反省点がいくつもあるなと感じた。 きちんとした休養を取っていなかった。 連休中、ぎっちり予定を詰め込んでしまった。 バランスの取れた食事ができていなかった。 運動不足。 全て、自分の体の声を聞いていたら 回避できていたことなのに…。 悔しい気持ちでいっぱいだ。 ただ、運動は難しいなと思った。 1週間前にも風邪を引いてしまって、完治したら運動を始めようとしていた矢先、こんな感じ。 だめだなー(´-`).。oO 再度、完治

          身体と心は繋がっている。一人の時間も大切。

          私の本当にやりたいことはなんだろうという問いにぶつかっている。

          社会に出てまだ日の浅い人間が何を言っているのか、周りの人に言われてしまいそうだけれど、 本当にやりたいことはなんだろうと、 最近すごく考えるようになった。 就職活動中も考えていた気がするけれど、 最終的には、就職できればそれでいい という考えに落ち着いてしまった。 それだけ、焦っていた。 でも、今入れていただいた会社は、 すごく良い会社だと思う。 定時に上がれるし、雰囲気は柔らかいし。 無理ができない性格の私には、これ以上はないというほどの会社だ。 家族や恋人もよく「

          私の本当にやりたいことはなんだろうという問いにぶつかっている。

          ラベリングできる人間に嫉妬をしている。

          私は寝ることがたまらなく好きだ。 恋人も「たしかに、澄はよく寝ているイメージがある」と言っている。 なぜ寝ることが好きなのか、 他の誰かよりも好きが大きいのか、 インターネットで調べてみることにした。 そんなことをしなくても、好きなら好きでいいじゃんと思われるかもしれないが、 調べずにはいられなかった。 調べた結果、やはり 「寝るのが好きな人」という部類はいるらしく、 ストレスを忘れるため、などの考察がなされていた。 さっきも書いたように、 好きなら好きでいいじゃんと

          ラベリングできる人間に嫉妬をしている。

          物を残すかどうかを雑に決めると、物を雑に扱うようになる。

          例えばメモ用紙。 裏が白い紙を、私はよく残しておく。 「メモをするのに便利だから」と考えているから。 でも、前回のシンプルライフを始めることについての記事を書いてから、考え方が変わり始めた。 母が「いつか使うかもしれないから残す」と言っていたことを書いたけれど、私も漏れることなく、 そういう考え方をしている部分はあると気づいたためだ。 「いつか使うかもしれないから残す」 そうやって言って残したメモ用紙は雑に使うようになる。 「どうでもいいや」って思っているから。 「ど

          物を残すかどうかを雑に決めると、物を雑に扱うようになる。

          魅力ってなんだろう。

          壮大で感動的な他の方の文章を読んで、 たったひとつしか読んでいないのに、 その方のファンになった。 本来、私が文章を好きになったのって、 こういう感動を覚えたのが始まりだったかもしれない。 そんなことを思い出した。 魅力ってなんだろう。 きっと考えても私に答えは出せないし、 考えて出した答えを「魅力」とは呼べないだろう。 魅力的な、人を魅了する文章が書きたいけれど、 多分私には書けない。 だから、ファンになったお相手の文章を これからたくさん読みたいと思った。 私

          魅力ってなんだろう。

          今、私は文章の模索をしている。

          しているのです。 自分がなぜ文章を書きたいのか、は前に書きましたが、「外に出したい感情があるから」です。 今回は「どんな文章を書きたいか」に注目しようと思います。 なぜかと言うと、新しくフォローしてくださった方がいらっしゃるからです。 その方はきっと、私がシンプルライフについて書いたからしてくださったのかなと思うのですが(違ったらすみません)、 今後もシンプルライフについて書くかと言うと、それは分からないです。 書きたいことを書いているから、書きたいと思わなければシン

          今、私は文章の模索をしている。

          シンプルで、時間と 心の充実と お金を大事に、クリエイティブな生活を送る自分になりたい

          そう思う、最近特に強く。 実家が、物の多い家だからだろうか。 すぐに母は「もったいないから捨てない」と言う。 すぐに母は「いつか使うかもしれないから捨てない」と言う。 でも、それで捨てられなかった物達が、有効に使われているかと言うと、決してそうではない。 スペースを狭めている。 ある意味、コストがかかっている。 部屋の中は、乱雑で混乱している。 それでは心の充実は図れないと思う。 母と私では価値観が違うから、母のやり方が悪い・私のやり方を押し付ける、そういうことは

          シンプルで、時間と 心の充実と お金を大事に、クリエイティブな生活を送る自分になりたい

          自分の力で稼ぐということ。

          今の会社に入って数ヶ月。 自分の力で稼ぐということができていないように思う。 本当に本当に「お金を頂いている」状態。 会社では、雇って頂いている以上、 こちら側は労働力を提供する必要がある。 会社に入って数ヶ月で、何ができるのか自分に問うて、急に提供できるわけがないだろうと声がする。 でも、その素質を持つ者と持たない者がいるように感じられる。 私自身は、 冷静に判断して、 何かを与えられる素質を持つ者ではないと思っている。 思ってしまった。 でも、ここからど

          自分の力で稼ぐということ。

          自分の本音を大事にしてあげる。

          恋人とのやりとりにおいて、 たまに、酷く疲れるときがある。 恋人のことはすごく好きだ。 noteで恋人のことをどれだけ好きかについて書いたことがないから、あらぬ誤解を受けるかもしれないけれど、だから本当ならすごく好きだということを先に記事にして、でもほんのちょっとこういうこともあるよと書いた方が良かったのかもしれないけれど、 書きたいから今これを書く。 そして結局、この話は「私の心の話」だから、 そういう目で読んでいただければ幸いである。 恋人と会うことが本当に楽しい

          自分の本音を大事にしてあげる。

          好きなものに囲まれて生きる。

          好きなものに囲まれて生きたい。 常にそう思っているはずなのに、 それは意識の裏側に隠れてしまうことが本当に多い。 プライベートな時間くらい、本気で自分の好きなものだけを追い求めたっていいはずだ。 でも、理性という名の意識はいつもそれを邪魔する。 「それをやったら、自分の望むものとは違う結果が生まれてしまうんじゃないの?」 「これをやったら他の人に不快に思われるかな」 そんな声がよく聞こえてくる。 それを無視したい。 そして、 本気で好きと思えるもののみを周りに置い

          好きなものに囲まれて生きる。

          私はなぜ文章を書きたいのか。

          前に書いた記事で「私の本当にやりたいことは文章を書くこと」と綴った。 ではなぜ文章を書きたいのか。 一日中、方向性みたいなものを考えており、頭の中が混乱しかけたとき、原点に帰ろうと思った。 なぜ書きたいのか。 心の中には無数に溢れる言葉と想像と感情が存在しているから。 それを、私の特性上、喋りでは消化しきれないから。 そして書くことが好きなため、私の中に渦巻く感情を、文章として外に出すことができたなら、どれほど楽しいだろうかと考えたから。 そして、あわよくば、 た

          私はなぜ文章を書きたいのか。