真面目さって、私にとっては足枷でしかなかった。
恋人と本屋に行った時、仕事を今より効率的にこなすには系の本を眺めていたら、「澄は勉強家だね」と言われた。
あまりにも嬉しくて、「もっと言ってー」と返事をした。
「本当に私勉強家かな?」なんてまた聞き返してみたりして。
恋人は「自分でそう思わないの?」と返してくれる。
そんな会話が楽しい嬉しいと思える日が来るなんて。
昔から私は「真面目だね」と言われ、笑われ、
それがたまらなく嫌だった。そんなんどうでもいいじゃないか、人の言葉なんて気にしなければいいじゃないかって言われるかもしれないけれど、ダメだった。気になってしまった。
真面目であることは悪で、恥ずかしいことで、さらには要領の悪い人間であると言われているみたいで惨めな気持ちになった。
私もさらっとこなせる人間になりたかった。
真面目なんて言葉で形容される人間ではない人になりたかった。
要領のいい子が羨ましかった。妬ましかった。
たまに、挫折しそうになった。自分の性格に。
こんな性格やめてしまいたいと思った。
でも、「性格」だもんね。そんなんできっこないよね。
勉強を断念することはあったけれど、
高校まで進むとさ、
今度は「勉強できない」ことが悲しくなってくるんだよね。
勉強に対する真面目さは、どこかで消えてしまった。力が切れてしまった。続かなくなった。
勉強ができない人間になった。
それでも必死に周りに追いつきたいと勉強をしてみたけれど、もうどこにも何年か前の自分はいなかった。
それが本当に悔しかった。
あの時、笑われてでも、自分の性格で進めてこれたら、ちょっとは何かが変わっていたのかな。
なんて、たまーに思う。
だからなのかな、恋人に「勉強家だね」と言われて、こんなにも嬉しかったのは。
恋人は私を、人を、そのまま肯定してくれる人だから、そんな、肯定してくれる人に「勉強家だね」と言われて、
もしかしたら、思ったのかもしれない。
何年か前の私の「笑われたくない」という願いが叶ったんだ、と。
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