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【今でしょ!note#161】子どもに「勉強しなさい」は言わない

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

今日は、スタディサプリ教育AI研究所所長の小宮山利惠子さんの話を聞いて、「勉強」をテーマにしたこれからの子どもとの関わり方について考えたことをまとめておきます。

私にとって勉強するとは「本を読む、旅をする、人と話す」の3つである、というように高校生くらいの時からずっと定義していました。
この3つの1つ、「旅育」については、過去に子連れ海外旅行シリーズで何度かまとめていますので、よろしければぜひご覧ください!


「勉強」に関する親の役割とは

はじめに、「子どもの勉強」に対する親の役割について考えてみます。

私の考えを端的に言うと「子どもに選択肢を多く見せること」と「子どもの興味・関心の壁打ち相手になること」の2つだと考えています。

子どもに選択肢を多く見せること

まず1つ目、子どもに選択肢を多く見せること、と言うのは、できるだけ世界の大きさ、今いる自分の環境だけが全てではない、と言うことを当たり前に感じてもらうことです。
冒頭にご紹介した子連れ海外旅行もその最たるもので、子連れ海外旅行は大変ではるけどそれでも行くのは、(一番の理由は「両親が行きたいから」になりますが笑)やはり子どもにとっても日常の保育園や東京都内の生活が全てではないということを当たり前に感じて欲しいからです。

未だにオーストラリアの学校は、多国籍であるのが普通であるというのが超魅力的だと感じましたが、子どものうちに色々な文化背景を持った人がいる環境に身をおくことはとても有意義なことです。
今よりさらにグローバル化が進んでいるであろう世界において、母国語が日本語でない人たちと一緒に何かをやり遂げる機会はさらに増えているでしょうから、このあたりに躊躇なく取り組むためには、それを意識すらしない感覚を持ってもらうのが良いのではと考えています。

もう一つ大事なのは、様々な分野の本を家に置いておいたり、様々な分野の場所を見せてあげることですね。
特に小中学生くらいまでは、「子どもが見える世界=親が見えている世界」になりがちですから、親が見えている世界を広げておくことで、子どもが見える世界が広がります。

そのために親にとって大切なのは、明らかに「親が勉強すること」です。
大人が、自分の知見を広げるために、様々な分野の本を読んだり、博物館でも美術館でも、色々な場所に積極的に足を運んだり、国内外の様々な地域に足を運び、そこで得た知見を文章にまとめたり、本業に別分野の面を組み合わせて強みを大きくして、収入を上げていくような行動をせずして、子どもに選択肢を多く見せるなんてできないですよね。

「勉強」と聞くと、机上の勉強を思い浮かべがちですが、それは「勉強」の本の一面に過ぎないです。勉強するとは「本を読む、旅をする、人と話す」の3つという定義からすれば、人よりも早く計算結果が求められることや、何かを暗記できることは、あまり重要ではありません。

大人がこれらを体現して楽しそうに生きていれば、子どもも真似したり、しなかったりするでしょう。それくらいがちょうどいいと考えます。

子どもの興味・関心の壁打ち相手になること

もう一つ大切なのは、子どもをよく観察してちょっとでも何かに興味を示したら、それにリアクションすることだと考えます。
選択肢を多く見せる中で、当然子どもの興味があるもの・ないものがあるはずです。そして、ちょっとでも興味があるかも?と思えるものに出会った時に、「とりあえずやってみたら?」と声かけして、チャレンジの背中を押してあげるのが役目なのかなと。

子どもが「この花綺麗だね」と言ったら「綺麗だね」とすぐにリアクションする、「このご飯おいしいね」と言ったら「おいしいね」と言う。子どもが感じたことに対して、「そうだね」と同感してあげるだけで、自分の感覚に自信を持っていくんだと思うのです。そして、親ができることはそれくらい、と言うことを大人が認識しておくのが大切です。あとは、自分とは完全に別の人間である子どもの人生に干渉しないことです。

また、人は自分の言葉を発すること、文章にすることで、潜在的な想いや考えを整理していけますから、頻繁によき話し相手になって、子どもの考えの壁打ち相手になるくらいの役割で十分です。
「こういうことがあって、このように感じた」ということをはじめからうまく言語化できないのは当たり前なので、「何でそう思ったの?」というような思考の深掘りのための問いかけを通じて、自分で自分の考えを言えるようになればいいと思っています。

「他もやっているから」が理由のときは危険

これから、どの学校に通うか、受験するかしないか、などで判断ポイントがいくつか出てくると思いますが、その判断軸に「他もやっているから」が入っている時は、親のバイアスが強く入り込んでいて危険だと認識すべきです。

受験にしても、子ども本人がチャレンジしたいという明確な意思を持っていればいいですが、そうでないのに周囲の家庭もやっているから、という理由で、本人の気持ちを無視して塾に行かせたりするのは、大人の自己満足になっていないか、検証が必要です。

私自身は、小学校から大学卒業まで全て公立の学校で、塾にも通ったことはありませんでした。今でも自分の親に感謝しているのは、一度も「勉強しなさい」とは言われたことがないことです。「健康に育って、何でもいいから働いてくれればそれで良い」「友達を大切にできればそれで良い」とは、何度も言われてきましたが、それしか言われなかったです。

多分「勉強しろ」と言われていたらやる気をなくして、全然勉強していなかったと思います。特に子どもにとって、親から「何かをしなさい」と言われるのは、基本的に嫌だし、そもそも「勉強」は本質的に人に言われてやるもんじゃないですよね。
何かに興味や関心を持って、踏み込んで色々とやっているうちに、さらに分からないことが出てきたり、その世界で憧れの人に出会って、「もっと知りたい!」という感情だけをエンジンにして夢中になってやるのが「勉強」です。

「リスキリング」という言葉も、世の中的にそういう言葉が流行ってるから「学び直し」しているみたいな大人も少なくないですが、根本的に考え方が違うと思っています。
とりあえず研修を受けたり、資格を取っておいた方が有利だと思う、くらいで取り組む「勉強」は、本質的な勉強ではありません。

資格を取ること自体は良いのですが、「資格を取っておいた方が良さそう」とか「他の誰かも取っていたから」「リスキリングという言葉が流行っているから」というように、その勉強の動機が「他もやっているから」にあるのであれば、そんな勉強などやらない方がマシです。
そんなことよりも、自分が自分の意思で情熱を捧げられる他の何かを探す努力をした方が時間の有効活用だと考えます。

だから、自分の子どもに対しても、「本人がやってみたい」と思っていないのに強要することだけは、絶対にやらないように気をつけたいです。

子どもに過度な期待を寄せずに、親も子どももそれぞれが自分の情熱が捧げられることを見つけて学び続ける、そんな関係性でありたいです。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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