#325 時短勤務は廃止せよ!短時間集中で心痛める人と、「やった感」出してるだけのこねくり回し上司
いかがお過ごしでしょうか。林でございます。
先週、木下斉さんと直接お会いする機会があり、美味しいワインと野菜料理をいただきながら、色々と熱い話をさせていただきました。
色々とトピックがあるので何度かに分けて気付きを深掘りしていきたいのですが、今日取り上げるのは、「時短勤務制度は廃止すべき」という話です。
「時短勤務(短時間勤務制度)」とは、育児・介護休業法により定められた制度で、1日の所定労働時間を短縮した働き方のことです。企業の就業規則などで決められている所定労働時間は、多くの場合8時間ですが、一定の要件を満たした従業員が申請することで、1日の所定労働時間を原則として6時間に短縮することができます。
時短勤務の義務化が全面施行されたのは2012年7月。
共働き世帯の増加、核家族化を背景に、フルタイムでは仕事と育児の両立が難しいことへの措置として始まったようですが、一方で「ノーワーク・ノーペイ」の原則で働いていない分の給与を減額されることがほとんど。
例えば、これまでフルタイムで8時間働いていた人が6時間の時短勤務に切り替えると、給与の基本給は単純計算で4分の3に減額。20万円もらっていた人であれば、15万円となり、フルタイムと比べて25%少なくなります。
時短勤務により給料が減額されてしまうことで手取りが変わってしまうことに問題視する声も上がっており、2023年6月13日に閣議決定された「こども未来戦略方針」では、「こどもが2歳未満の期間に、時短勤務を選択したことに伴う賃金の低下を補い、時短勤務の活用を促すための給付の創設」が掲げられており、2025年からの賃金補填が検討されているようです。
しかし、私は「時短勤務」の問題の本質はそこではないと考えています。
「時短勤務の活用を促すための給付」は逆で、「時短勤務」そのものをなくすべきだという考えです。
私も3歳と1歳の子どもがおり、私はフルタイム、妻が時短勤務形態となりますが、普段の生活の中でも常に「変な制度」だと感じていますし、先日色々な方と意見交換させていただき、よりその思いを強めました。
今日は、私が感じる「時短勤務制度」の問題点と解決策について、まとめてみたいと思います。
そもそも時間前提の制度がおかしい
まず、第一に考えているのは、時間ベースで給料が変わること自体への違和感です。当たり前ですが、従業員給料を決める大きな要因の一つは、組織全体の売上・利益です。
稼いでいない会社が従業員に対して多くの給料を支払うことは無理で、多くの給料が支払えている会社というのは、その分の原資を売上や利益として稼ぎ出しているわけです。
だから、従業員への給料の増減が何で決まるか?と言えば、当然「組織の売上に対する貢献度=仕事の成果」となるべきで、会社の売上・利益向上に貢献していない人が「給料が少ない」と愚痴ったところでそれは当たり前。愚痴る暇があるなら、先にちゃんと組織の売上創出に貢献するのが先です。
現在当たり前になっている「労働時間ベースで給料を決める」というやり方は、大きく2つの理由が背景になっていると捉えています。
1つは、働く時間で給料を決めた方が、売上貢献度(=成果)に応じて給料を決めるというよりも簡単だという経営者、マネジメント側の都合。もう1つは、社会全体の供給量よりも需要が上回っていた時代において、「作れば作った分だけ売れた」工業化時代を前提に制度ということです。
1時間あたりに作り出せる商品の数が100個だとして、6時間働いた人の成果は600個、8時間働いた人の成果は800個と見做せる状況が背景にあった時代は、一定の納得感が得られていたのだと考えています。
しかし、モノ余りで需要よりも供給過剰となり、モノを作れば作るほど売れる時代は終わりました。また、あらゆる産業で自動化や生産性向上が進み、当然ながら供給サイドの余剰人員も生まれてきます。
結果として、先日取り上げた「やった感」を出すための仕事がさらに蔓延するように。
「やった感」だけ出している仕事に「時間」をかけても、組織の売上が上がらないのは自明です。
そうではなく、他社がやらないこと、これまでなかった価値を作り出すことが売上・利益向上といった成果に繋がります。
「これまでにない価値を生み出す画期的な商品を作るべし!」と発破をかけたところで、家と職場の往復だけ、しかも職場に長い時間いるような人が、作れるわけがありません。
人は職場にいれば、職場にいるだけの存在理由を探し出そうとしますから、それらしい「やった感」を出す仕事が生まれます。
10分かけて終わることでも、1時間かけてやる。しかも残業してまで。こういうことが平気で起こっている現場も少なくないのではないでしょうか。
時間を前提にした賃金が生み出す大弊害そのものに目を向けると、「時短勤務の活用を促すための施策」という方向性にはならないはずです。
全員「1日4時間勤務」で良いのでは?
それでも、完全に「勤務時間」を無視した給与体系は現実的に実装不可能、という声もあるかもしれません。
そこで次の論点は、「1日8時間」ベースは長すぎるという点です。
「8時間労働」がはじめて提唱されたのは、今から200年以上前のイギリスの産業革命期と言われています。イギリスの実業家ロバート・オーウェンが、幼い子どもを含む工業労働者が1日に10〜16時間働いていた状況をよしとせず、「仕事に8時間、休息に8時間、やりたいことに8時間を」というスローガンを作りました。
日本では、1947年の労働基準法施行により「8時間労働」が法制化されたわけですが、「8時間労働」という考え方が生まれた時代と今では、仕事の内容や働き方は大きく変わっているはずです。
どのくらいの時間ならいいの?について、私は「1日4時間」が適切と考えてます。理由は過去の記事でも言及してますが、人間が1日に集中できる時間の限界が4時間程度、と考えているからです。
それくらい極端に時間を減らし、それより長く仕事しても「時間」=「給料」に直結しないようになれば、「やった感」の出る仕事や、何も決めずに何度も同じ話を繰り返すだけの打ち合わせが見直されるのでは?と考えてます。だって、何も決めずにあーだこーだと時間かけてもお金にならないから。
とはいえ4時間で回せないサービスも現実には多くあるでしょうから、そこから先はあくまでオプションでやる。少なくとも、8時間職場にいないとベース給料から割り引かれる、をやめるべきかと。
時間以上のところは、成果に応じて評価が決まり、ベース評価に応じた給料体系でよいのでは?と考えてます。
成果主義ではギスギスする、みたいな議論もありますが、基本的に仕事はチームプレイであり、ギスギスしてたら成果が出ません。
成果を出すために協力が生まれて、より組織としての成果が出て、売上が上がるから全員のベース給料が上がる、みたいな方向で考えるべきでは?というのが私の意見です。
「時短」の人が削られない社会を
妻も含め、これまで何人も時短勤務の方を見てきましたが、皆さん時短になって、よりパワーアップされたと感じてます。
おそらく、物理的に時間が制限されてるので、より成果が出る仕事を取捨選択し、そこに一点集中してるからと分析してます。
時間が永遠にあると思うから、無駄な仕事や冗長なプロセスが生まれます。
自分も子どもが生まれてからはかなり労働時間が減って、より価値に繋がる必要なことだけを選んで仕事するようになりました。
とにかく、「時短」の人が肩身狭い思いをされてるのが嫌なんです。
仕事を振る上司側も、「時短」なのに時短の時間外に平気で打ち合わせ入れたり、日中の貴重な仕事時間に「全員参加必須」の号令で無理やり会議に出席させる。
上司本人は、日中打ち合わせで仕事ができなくても、職場に残って時間かけてやればいいですよ。
でも、「時短」の人は、日中打ち合わせで仕事ができなくなった瞬間に、夜遅くの残業が確定します。
「時短」後は、保育園のお迎え→ご飯作り→子どものご飯→お風呂→寝かしつけが発生しますから、その時間は絶対に無理。この一連の育児でヘロヘロになっているのに、子どもが寝たあとに、あまり働かない頭をどうにか動かして、一人で夜中に仕事して、何とかキャッチアップしてるのです。
なのに日中は、「自分が時短で、誰かにしわ寄せがいってる」とか「すみませんが、先に失礼します・・」と肩身狭い思いをしないといけない。
「時短」続けたいならば、こういうことが起こらないように「残業絶対させない業務量の割当」とか「時短の人が気にせず働ける組織風土作り」みたいな「時短のマネジメント」の徹底が必要。
でも現実的に、そんな時短のマネジメントができる人は少ないですから、それなら「時短」そのものをやめてしまおうよ、と考えるわけです。
「少子化が問題だ!」「労働人口不足が問題だ!」というならば、子ども育てながら働いてる人が、せめて嫌な思いせずに働ける社会にくらいしましょうよ。
「時短勤務の活用を推進」とか言ってるあたり、うーん、逆なんだよなぁと考えてしまいました。
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